16.真相は藪の中
事件後、銀座周辺には件の惚れ薬と同じ成分が低濃度ながら散布されたことが明らかになった。しかし、その後一週間、二週間に亘る追跡調査が天樹と警察の共同により実施されたが、婦女暴行等の事件の発生件数に有意な増加は見られなかった。
むしろ、調査よりも有益だったのは人の噂である。なぜか、事件直後から、集合住宅で隣の夜の声が異様に喧しい、あそこの夫婦が急にベタベタしだしたといった噂話を耳にする機会が増えた。立ち寄った先での世間話や、飲食店での盗み聞きである。濃度が薄ければ害はないどころか、かえって人間関係を円滑にする効能があるのかもしれない。決して悪いことではない。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と聖書にも書かれているのだから。
種子の発射台となった塔については、大半が発射後に燃え落ちてしまった。しかし一部の燃え残りを軍が回収したとかしないとか。翠玉宇宙超鋼に匹敵する強度なら、注目を集めるのは仕方ない。とはいえ、その硬さの理由が、発射した種子が第二宇宙速度に達するほどの圧力に耐えるためであることを思うと、釈然としないものがある。命を繋ぐための素材で、彼らは命を奪うための道具を作るのだろうか。
ナッソーの種子の行先については、事件翌朝の一〇時四五分にもたらされた。
「加速した?」
「ええ。太陽系から脱出可能な速度です。我々も危険生物として追跡していますが、向こう二〇〇年は知的生命体の暮らす星に落着することはないでしょう」
書斎机の伊瀬新九郎は、煙草片手に頬杖をつく。「攻撃しなければ危険はないさ。なまじ発達した文明に接すると危険なのかもしれないね。我々人類のように」
「しかし、現住知的生命体を片っ端から発情させ、生殖プロセスを乱す可能性がある」と応じたのは時計頭のクロックマン。生殖とはおよそ関わりのないだろう姿である彼は、勧めた椅子に座りもせず、立ったまま続ける。「あなた方の推測では、あれは落着した土地の生命体の特徴を転写し、支配的な生物が効率よく発情する物質を作り出す性質を持っているのでしたね。すると、どこへ落ちても危険だ」
「僕は何も、監視するなと言っているわけじゃない。ただ少し気になることがあってね。君は人間の文化風俗に興味はあるか?」
「なければこの星に滞在していない」
「それは何より。……これは多分そのへんにある物の本で読んだのだが」新九郎は乱雑に本が積まれた棚を指差す。「豊穣祈願とセックスを結びつける祭りというものは世界各地に存在するのだそうだ。もちろん日本にも。性器を模したものを祭り上げるようなものから、田んぼのど真ん中でセックスするなんてものある。どちらも生命の神秘だからね。気持ちはわからないでもない。もちろん、神事ではなく単に性に解放的になる場としての役割や、共同体で子供を産んで育てなければ集落が滅んでしまうという暗黙の了解を下敷きにしたものもある」
「本題に入り給え、スターダスター」
「文化的な猥談はお嫌いかな? 身持ちが堅いね」新九郎は煙草の煙でひと息入れる。「あのナッソーは、種子の打ち上げと周辺の発情、つまり土着の祭りのパッケージそのものなんだよ。花火も上げるしね」
「まさか、五穀豊穣を祈る祭りの文化そのものが、かつてこの星に落ちたナッソーの影響だと?」
「ま、それは飛躍しすぎだと思うがね。僕はむしろ、どこかの文明が祭りという文化を保存するために作った人工生物なんじゃないかと思う」
「だからあなたも祈ったと?」
「戦いながらそこまで考えたわけじゃないけどね」
「敵前で武器を捨てるならしっかり考えていただきたいものですね」長針が小刻みに震える。「そもそも、それこそ飛躍しすぎでしょう」
「しかし、巨大な砲塔だぞ。あんなものが自然淘汰で発生するとは僕には到底思えんよ」煙が応急処置の窓から吹き込む隙間風に流れた。「他にも気になることがある。確か伝道師、要は例の蔦人間は……気づくと種を持っている、と権田に語ったのだろう」
「裏は取れません。蔦人間はもういませんし、権田の言葉がどこまで信用できるか」
「……あの蔦、高度な知性を持っていたんじゃないか?」
「それは……ありえません。特級異星言語翻訳師、あなたの助手が対話は成り立たないと判断したのでしょう」
「人工生物だとしたら、ありえると思わないか。当初は、僕が言ったような目的で創造された。そして遥かな時をかけて宇宙を飛び回るうちに、進化し知性を得た。しかし、萌芽した知性と人工生物としての本能が、しばしば二重人格のように入れ替わる、とすれば? 早坂くんが対話を試みたのは、レコードのA面だ。権田と意気投合し、街で似顔絵を描いたのは、B面だ」
「これだから、なまじ進化を知識として学んだ生物は困るのです。進化は一〇〇万年単位でようやく起こるのですよ」
「君は時間にうるさいな」
「ご覧の通りの時計ですので」
「だったら一〇万光年先の星に光速の一〇パーセントで辿り着く間に進化していてもおかしくないじゃないか。……まあ、根拠は何もない。ただの僕の推測さ」新九郎は煙草を吹かす。「あれは、どこから来た?」
「それが皆目わかりません。衛星監視網を逃れて再突入したのかもしれませんし、貨物に付着していたのかも」
「あるいはすでにこの星にあったものが何かのきっかけで活動開始したのか。似顔絵師の目撃情報を追うにも、無理があるからね……」
「ええ。いくらでもいます」
「権田は? そちらで保護したんだろう」
「糖尿と高脂血症の嫌いがあります」
「全くの健康体、種子を植えつけられているなどの懸念はなし、と」
「その通りです。しかし彼から気になる証言が得られました」クロックマンは何もない空中から突然書類を取り出す。「おっと、これは種子の発射の煽りで硝子が割れた建物の補償一覧でした。あなたのせいで大変な金額です。ご覧になりますか?」
「絶対わざと出しただろう……」
クロックマンは書類を差し替える。「彼は三ヶ月ほど前から港湾の埋め立て工事に従事していました。その現場で、妙な卵のようなものを拾ったと。そして保管していたはずがその卵がいつの間にか行方不明になり……」
「前後して画廊前で蔦人間に会ったと。当たりじゃないか」
「しかしその卵の発見が偶然なのか、あるいは悪意ある何者かが拾わせるために……」
「考えても仕方ないさ」新九郎は煙草を押し消した。「何が来ようと、僕が守る」
「頼もしいことです」クロックマンは板を打ちつけただけの窓へと文字盤を向けた。「修理を手配しましょう。瞬時建築で修復して差し上げますよ」
「お代は?」
「不要です。……私とあなたの仲だ。そのくらいは融通する」
「持ちつ、持たれつ」新九郎は口の端で笑った。「君もだいぶわかってきたようだね。この街の流儀が」
*
「ナッソー恐竜説を検証するよ!」
と、意気込む田村景に連れられた早坂あかりは、朝から上野の東京科学博物館を訪れていた。
人並み外れて噂話が好きな景がどこからともなく仕入れてきた話である。曰く、軍ではあれがダイナッソーと呼ばれている。ダイナソーは恐竜という意味である。そこから二転三転を経て、ナッソーは軍の実験兵器が脱走したものなのだという。二転三転の詳細について景は口角泡を飛ばして語ったが、途中でついていけなくなってしまった。確かに聞いていたはずなのに、何度聞かされても途中でいつの間にか意味不明になっている。
休みの博物館は子供を連れた家族連れで賑わっている。もう一五の自分たちは大きすぎる気がして、少し恥ずかしい。引いて見てみると、左右対称な建物に目を奪われた。神殿とも洋館ともつかない、なんとも不思議な建物だ。戦前のセンスには独特なものがある。建物も展示も改修の最中らしく、あちらこちらに幌がかけられているのが惜しかった。
「あかりちゃん、現物見たんだよね? どうだった?」
「どう、と言われても……」工事中の仮囲いを見上げつつ、あかりは応じた。「恐竜ってのは、ああいうんじゃないと思うなあ。もっと大きくて、どっしり構えてて……」
「そのああいうが見てないこっちにはわかんないんだっちゅうに」
「ここ、クジラの模型ができるの?」
「らしいねえ。ちょっと前まで骨があったんだけど」
「骨? クジラの?」
「そうそう。倉庫には五四年怪獣の骨もあるらしいよ」
「ひえー」
「やっぱ模型よりナマの骨が見たいよね。骨よ、骨。ご利益ありそうじゃん」
「ご利益……」仏舎利を有難がるようなものだろうか。
入場口の行列に並ぶ。少しずつ、ヨーロッパの神殿のような柱に挟まれた入口へと近づいていく。雲間から差し込む日差しはもう、夏の勢いを失っている。蝉の声もいつの間にか弱々しくなった。もうすぐ秋が来る。
「そういえば」と景がまた口を開く。「今日八幡さまで慰霊祭だよ。あかりちゃん行く?」
「うん。なんか先生が行くって。毎年行ってるらしい」
「うちも甘味の出店出すんだー。来てよ来てよ。安くするからさあ」
「ホント?」
「うんうん」と頷く景。しかし彼女はしたたかだ。彼女の実家の店を訪れた時、安くすると言っておいて実は定価をしっかりせしめられていることが何度となくあった。
「〈5号怪獣事件〉の慰霊なんだよね」
「そうそう。ま、今となっちゃただのお祭りだけどね。当時の星鋳物がギッタンギッタンにやっつけたらしいし」
笑って応じる。その時の乗り手はおそらくあの、葉隠幻之丞だ。
だが、あの葉隠幻之丞をもってしても、慰霊祭が行われるほどの犠牲者を出してしまう強敵と思うと、空恐ろしい。市中への超電装配備のきっかけとなったのも頷ける。上野もまた、品川や銀座と同じく戦いの舞台となったのだ。
しかし誰もが思い出すのは銀座である。当時の戦いで銀座和光の時計台が破壊されたことは語り草になっている。もしも先日の戦いでも破壊されていたら、時計台は四代目になっていた。もしかしたら、伊瀬新九郎も気にして戦っていたのかもしれない。後で訊いてみよう、と思い立った。
雑談を交わしていると、大ホールの入口だった。
「おお、すごい……」
「図鑑とは違うっしょ」と得意満面の景。
来館者を出迎えるように鎮座するのは、アロサウルスの骨格標本だ。ステンドグラス越しの光を浴びる褐色はまるで今にも動き出しそう。子供たちが歓声を上げている。
足元の説明文を見てみる。一億五〇〇〇万年前、ジュラ紀後期。想像を凌駕している。
やはり、ナッソーとは似ても似つかない。アロサウルスは腰を据えて背筋が垂直に近い一方、ナッソーは鳥のように腰が浮いていて、背筋は水平に近い。
やはりただの噂か。首を傾けて、目の前のアロサウルスの胴体を水平になるように見てみる。
「あれ……?」
どうしてか、しっくりくる。
姿勢を正してみる。〈5号怪獣〉のように腰を据えたアロサウルスがいる。
もう一度首を傾げてみる。ナッソーと同じ角度にしてみると、やはりこちらの方が収まりがいいような気がしてくる。
「これ、間違ってないかな」とあかりは言った。
「何が?」と景。
「こう、な気がする」掌を水平に構えてあかりは応じる。「こうじゃなくて」垂直にする。「こう」また水平に。
「いやいや、こんな大きいのに。そんなんじゃすぐ倒れちゃうよ」
「尻尾が地面に触れてないんだよ。それでバランスを取ってるんだと思う。多分、出土した化石の組み上げ方が違うんだよ。だってこれじゃ思いっきり屈まないと噛みつけないじゃん。走るってより歩く感じだし。肉食獣なのに、それでどうやって狩りするの?」
「確かに」景は眼鏡をくいと持ち上げる。「あかりちゃん、翻訳じゃなくて古生物学とか向いてるかも」
「現物を見たから……」
と応じて、それはおかしな話だと気づいた。
超電装の姿を真似たようにナッソーが地球上の支配者の姿を複製したと仮定すると、紅白草ともども一億五〇〇〇万年前の地球に生息していたことになる。
もしも、本当にそうだとしたら。
背筋にぞくりとしたものが走った。
ナッソーの種子が地球にやってきたのが二回目だとしたら。
最初は一億五〇〇〇万年前で、賢い小型の恐竜を支配者と認めて複製し、交尾して他の星へと飛び立った。
その後数千万年を経て再び地球に飛来したが、何らかの事情で開花することはなかった。
そして現代、度重なる人間の自然開発の結果、再び地上に現れた種子が開花した。メスの花は変わらず紅白草として、オスの方はかつてこの星から写し取った恐竜の姿に。
「まさかね……」と呟いた時、足元にある別の化石に気づいた。
「お、同時代の花の化石だって。すげー」
柵から身を乗り出す景の隣で、あかりの顔が引きつったまま固まる。
それは一億五〇〇〇万年を経て、岩に刻まれたただの溝となった、紅白草の化石だった。
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