15.種は蒔かれた

「し、死ぬかと思った。今度こそ絶対に死ぬかと思った」

 蝕物怪獣ダイナッソーと〈闢光〉の戦いから通り数本。建物の陰から閃く剣戟の応酬が見え隠れする公園で、早坂あかりは大きく息をついた。

 傍らにはどうにか連れてきた北條撫子。一方の門倉駿也は、さすがに少し息が乱れている程度。伊達の色付き眼鏡を外すと、「後はよろしく頼む」と言い残し、制服警官らと共に避難してきた人々の整理と誘導に飛んでいった。

「恐竜のようでしたのに、あっという間に変わってしまいました」と撫子。

「でも恐竜ってあんな鳥みたいに歩かないし……」そこまで応じて、他に言うことがあることに気づいた。「ごめんね。折角おしゃれしたのに、こんなことになって」

「構いませんわ。やっと……新九郎さまが本音を話してくださいましたから」撫子は息を整えつつ続ける。「きっと、わたくしを傷つけまいと、今日まで避け続けてくださったのだと思います」

「そうかなあ。先生は何事も断言を避けるって宇宙人の火が言ってたし……」

「火……?」

「そこは気にしないで」あかりは神妙な顔で誤魔化して続ける。「撫子ちゃん、先生のどこが好きなの? ぐうたらの自堕落だし、すぐ仕事サボるし、何かというと理由をつけて遊女屋さん通いしてるし、煙草ばーり吸ってるし、法の番人みたいな顔して抜け道ばっか使ってるし……」

「彼は」撫子の目線が足元を向いた。「自分のことより、いつも他の誰かのことを考えておられます。ここぞという時には、どんな困難な仕事も成し遂げてしまいます。相手の年齢や性別、職業、出自に構わず、目の前の人を尊重できる方です。それに、大きな理屈を、小さな人を守るために使ってくれる人です。ですから、わたくしは新九郎さまのことをお慕い申し上げております。祖父が決めたからではありません」

 あかりは目を瞬かせる。

 翻訳師のお株を奪われた気分だった。彼女は、照れや強がりの陰に隠れた、その人の本当の部分を見ることができる子なのだ。あかり自身も、帝都に来てから、君は本質を見ることができるとか、素直ないい子だといったことを、事あるごとに事件を通じて関わった年長者たちに言われてきた。だからもしかしたら、自分は特別な存在なのかもしれないと自惚れもした。でも違う。それは誰にでも身に着けることができる能力なのだ。世界を変えるのは特別な人間の仕事ではないのだ。

 そして、撫子の言葉が突き刺さった理由が、もうひとつある。

 何もかも、あかりが伊瀬新九郎に対して感じていたことと同じだった。

 返す言葉に詰まっていると、撫子が顔を上げた。目線が微妙に合わない。彼女の目が、少し上を見ている。

 その時、公園の人混みを蹴散らすように、黒塗りの浮遊車が停まった。何事かと集まってくる警官らを、車から現れた黒い洋装の男たちが押しのける。そして一番後ろから現れた、白髪のひと房混じった髪を撫でつける冷たい目の男に、あかりは見覚えがあった。

 胸に三ツ鱗の紋章をつけた男は、遠くの戦いを見守る市民たちを押しのけて撫子の前に立った。

「……お父さま」と撫子が言った。

 つい先日、純喫茶・熊猫を訪れた男。北條直秀だった。

「撫子」と言い、片手が上がる。

 叩くのか。彼女の気も知らないで。

 思わず横入りしかけたあかりだったが、直秀の手は、撫子の肩にそっと触れた。

 そして跪き、大きく息をつく。

「無事でよかった。帰るぞ」

「ですが……」

 直秀は〈闢光〉の方を見る撫子の頭を撫でた。「あれは、お前とは生きる世界が違う。この街で、北條に楯突いて明日の朝日を拝める男はいない。やつ以外は」

「お父さま……?」

「私はあの男が心底気に入らん。嫌がる顔はいくらでも見たい。だが、大事なお前を嫁になどやるものか。お前を愛さない男になど、決して」

「ですが、わたくしは!」

 直秀は話は終わりとばかりに立ち上がり、撫子の腕を引く。

 よろめきながらも、撫子はその場に踏み留まる。そして、父を真っ直ぐに見上げて言った。

「彼がわたくしを愛するのなら、よろしいのですね」

「ああ。絶対にありえんがな」

「早坂さん!」

「はいっ!」急に水を向けられ、気をつけの姿勢になるあかり。

「わたくしは諦めません。わたくしは負けません。いつか絶対に、彼を振り向かせてみせます」

「なぬ……?」

 撫子の目線は、やはり少し上を向いている。直秀がちらりとあかりを見て、撫子の腕を強く引いた。

 黒服ともども、親子揃って車の中に消える。

 走り去る浮遊車を見送り、門倉が、得心がいかない様子で近づいてくる。

「あれが北條か。いけ好かない連中だ」

 そうですねえ、と応じつつ、髪に伸ばした手が、被ったままだった伊瀬新九郎の帽子に触れた。

「……あ」

 撫子の目線の先にあったもの。

 何か、とてつもない誤解を与えてしまった気がした。



 左に三越、右に和光。正面にはダイナッソー。百貨店にはまだ一〇〇近い数の生命がある。自由に動けば人が死ぬ。そして未来予測に基づく回避可能な殺傷の防止装置ラプラス・セーフティがそれを許さない。幾度目かの突進をかけてくるダイナッソーを、下段に構えた〈蒸奇殺刀〉が迎え討った。

 動きは最小限。しかし激烈。刃を天へ返し、一歩踏み込みながら振り上げる。

 ダイナッソーの豪腕が繰り出す生体刀のひと振りを弾き返す。そして構えが上がったところに二の太刀を繰り出さんとすると、今度は狒々の左腕の突きが〈闢光〉の顔面を襲った。乱れた体勢からの、まともな人型の生物ではありえない重心移動。だが、それを想定しない伊瀬新九郎ではなかった。

 翠玉の刃が三日月を描く。一瞬遅れて、切断された狒々の左腕が地面に落ち、街灯と並木を薙ぎ倒した。

 数歩下がるダイナッソー。切断面からは薄桃色の液体が滲み出るが、直後、無数の蔦が傷跡を埋める。そして数本の蔦が、たった今斬り落とされた腕へと伸びた。

 目にも留まらぬ速度で蔦が腕に突き刺さり、引き寄せて接合。確かめるように拳を握っては開く。

 継ぎ目を狙ったつもりでも、〈蒸奇殺刀〉の刃が欠けていた。鱗の硬さは健在だった。

 再び対峙する両者。〈闢光〉の装甲の隙間から排出される蒸奇の煙が街に漂う。一方、ダイナッソーはその姿を再び変化させようとしていた。

 太い腕から次第に鱗の板が分離し、肩の鎧のような形になる。板撥条の先端に鉤爪が生えていた足は、見る間に太さを増し、鱗に覆われた脛当てのようになる。大きく裂けた蜥蜴のような口が、次第に人間のように縮まり、頭部自体も前後に短くなる。そして、頭部に鶏冠のような器官が生えた。

 暗色に傾いていく体色。波打つかのような色の変動に、新九郎は目眩を覚える。

 〈闢光〉を写し取っているのだ。

 背に冷や汗が伝う。一刻も早く倒さなければ、もっと厄介なことになるのは目に見えている。だが、百貨店からは今も刻一刻と店員や客が吐き出されている。十文字斬りのような大技では、彼らを巻き込みかねない。そもそも、十文字に切断したとして、この怪物が倒せるとは限らない。

 〈闢光〉は召喚に応え、ラプラス・セーフティはすべての動きを制限しているわけではない。どこかに、最良の一手があるはずなのだ。何も巻き込まず、誰も犠牲にしない戦い方が。

「……待てよ」

 蔦人間は何を言っていた?

 命の営みを阻むな。望みを妨げるな。空に炎を。産まれ、そして旅立つ。

 この草が地球上で繁殖することを何よりも危惧していた。だが、ナッソーは帝都のあちらこちらから一箇所に集結し、他の草で交尾が行われる気配はない。

 知性を持たず、人間の言葉を真似ているだけの存在の言うことをどこまで信用できるのかは未知数だ。しかし、星に定着し数を増やすことばかりが生物の本能とは限らない。人間の外来種に対する認識を、宇宙生物に適用しようとすること自体、そもそも誤っているのではないか。

 なら、邪魔をしなければいい。

 力に訴えないという大博打を打つのも悪くない。それを何度も成功させた少女のことを、新九郎は間近に見てきた。師・葉隠幻之丞の言葉を、思い出さずにはいられなかった。

 〈蒸奇殺刀〉の刀身が粉々に砕けた。

 新九郎は、異性言語翻訳師リンガフランカーではない。銀河標準語A種も怪しいただの男であり、誰しもに届く言葉を操ることなどできない。しかし、尽くす言葉を知らない者にできることは、力に訴えることだけではない。

 〈闢光〉が片膝をつき、偃月飾りを地面に突き刺す。そして空いた右手で額に触れた。

「父と子と精霊の御名によって」

 唱えながら胸に触れ、左肩に触れ、右肩に触れる。

 そして両の掌を胸の前で重ね、祈った。

 祈ることは誰でもできる。真似事であろうとも、その心までは否定できない。

 加えて、真似事ならば新九郎の得手とするところだった。つい先日、若いふたりに祝福を授けたばかりなのだから。

 新九郎自身も操縦装置から腕を外し、手を合わせた。

「アーメン」

 ダイナッソーが接近し、その重さに街が震える。

 新九郎は目を閉じる。絶えず鳴り響いていたラプラス・セーフティの警告音が少しずつ小さくなる。

 交差点に沈黙が続くこと一〇秒。

 新九郎は目を開けた。

 ダイナッソーの右腕の刀が崩れた。

 巨大な腕も、〈闢光〉を模したかのような鎧も、すべて形を失い灰のように崩れていく。鱗が剥がれ、再びダイナッソーの姿が変わっていく。

 晴天から降り注ぐ光が、〈闢光〉に影を落とす。

「……なんと」

 それは聳え立つ塔だった。

 鋼鉄よりも硬い緑の外皮に覆われた筒が、一〇〇米ほどの高さまで伸びている。地上に近づくにつれ金属から蔦へ表層を変えながら末広がりになっており、最下部は根となって路面と融合している。そして最上部には、紅白一対の、人の舌のような肉厚な花が咲いていた。

 〈闢光〉が立ち上がり、数歩後退する。

 百貨店から逃げ出すところだった市民が、思わず足を止めてその巨大な花を見上げている。だが彼らが、急によろめいて街灯や建物の壁に支えを求める。

 塔の根本が薄桃色に発光して激しく振動。地震を生じさせていた。

 発光は根本から先端へと順番に繰り返し伝達していく。その速度が次第に速まっていく。そして。

 爆音とともに、根本から何かが発射された。紅白一対の花が粉々に砕けて散った。発射された光球は、〈闢光〉をもってしても追尾できなかった。だが、辛うじて測定できた速度や光学観測値から弾き出された推測が眼鏡の上に表示され、新九郎は瞠目する。

「第二宇宙速度を超えている……」

 地球の重力を脱出しうる速度。これが意味することはひとつ。

 種子を打ち出したのだ。次に根を張り、花を咲かせる場所を求めて。

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