26.蒸奇殺法・炎十文字斬り

「またまやかしか、新九郎」と八雲が怒鳴る。「蒸奇殺法は破った。君が何を繰り出そうと、私はそれを上回る」

「その妄念を斬る」と応じ、壁に蠢く炎の断片に言った。「やれるな、フレイマー」

 どこからともなく声が返った。「太陽面爆発を渡るよりは、容易いことでございます」

 〈殲光〉が両手に構築しようとした〈蒸奇爆砕銃剣〉が完成することなく爆発する。熱風が渦を巻く。夜に没した街を、巨大な炎が照らす。その影、その灼熱を下僕とした悪鬼が、一歩、また一歩と歩みを進め、そして立ち止まった。

 〈闢光・鬼火〉の頭頂部から偃月飾りが外れ、右手に収まる。天に掲げた先端から橙色の光が迸り、透き通った硝子の刃となった。

 間合いはおよそ一〇〇米。平時の〈蒸奇殺刀〉では届かない。だが紅の炎に転じた刃が、伸びた。

 一方の〈殲光〉は、下がらない。逆に前傾姿勢を取り、両手の爪を小太刀の刃渡りにまで伸長させた。

 振り被る〈闢光・鬼火〉。懐に飛び込む〈殲光〉。見上げる誰もが思い出した。湯島の戦いでX字に斬り裂かれた〈闢光〉のことを。

 かの戦いでは、憲兵と警察が新九郎に味方した。

 今はあらゆる銀河の友が味方していた。

 北極星から来た男。外の世界を知った電脳遊人。愛を知った魔水銀。帝都最強の姉妹。遊郭の私兵集団。手練揃いの超電装。隠居の英雄。機械の手脚の少年たち。帝都を塞ぐ暗雲を払うすべての風が、新九郎の背を押した。

 加速する〈殲光〉――刃を振り下ろす〈闢光・鬼火〉。

「燃やせるものなら!」

 その時、突如として路面が盛り上がる。熱に焼かれたわけではない。同族を乱数化されたエゼイド星人の一部が、吹き荒れる蒸奇機関の瀑流を乗り越え、ついに逆襲を果たしたのだ。

 姿勢を乱す〈殲光〉。そして振り下ろされた紅蓮の刃が、白い悪魔を真っ向唐竹割りにする。

 さらに悪鬼が刀を返す。溶けた路面を泥のように飛ばしながら、月光を巻き取る一回転。

 横薙ぎの二の太刀。十字の炎が瞬時建築の街を真昼のように染め上げた。

「蒸奇殺法・炎十文字斬り……斬り捨て御免」

 背を向ける〈闢光・鬼火〉。炎の刀が雲散霧消し、指先で偃月飾りを一回転させて頭頂部へ戻した。

 悪魔が崩折れる。炎が舞う。帝都に災厄をもたらした星鋳物第J号〈殲光〉が、火柱の中に没した。

 その様を肩越しに窺い、伊瀬新九郎が安堵の息をついた。

「やれやれ。焼かずに済んだ」

 目線の先に、先の戦争を耐え抜き、大正末期の姿を今に伝える浅草仲見世商店街があった。


「言いたいことはわかっていますね、スターダスター」

「苦情は後で聞く」

 吾妻橋の袂。今は観光名所となった雷門を目と鼻の先に望む墨田の川縁に、煙草を吹かす伊瀬新九郎と、すべての針を小刻みに振動させる時計頭の英国紳士の姿があった。

「いいでしょう。あれを止めないことには事態は終息しません。叱責は後回しだ」

 頭上を指差すクロックマンに、それでいい、と新九郎は応じる。

 方々から続々と警察や消防の車両が集まってくる。水を貯められる思い思いの道具を市街地から徴発した超電装が、川の水を汲み上げては〈闢光・鬼火〉による火災の消火活動に精を出す。だが一番大活躍しているのは、やはり二ッ森姉妹だった。炎を吸い込んでは夜空に捨てる焔と、強烈な冷気を放って燃焼自体を止めてしまう凍。ふたりが合わされば、損傷を追った超電装数体を優に超える働きだった。

 混乱する現場を掻き分けるように警察の警邏車が現れ、扉が開く。後部座席から現れた場違いな女学生が、新九郎の姿を認めるや小さい体がさらに一回り小さくなるほど大きく息をついた。早坂あかりだった。

「先生……ご無事でよかったです」

「それはこちらの台詞だ。少し無理をさせたね。怪我はないかい?」

「わたしは大丈夫です。彼が守ってくれたので」

 あかりは小脇にしていたものを差し出した。

 小電装の頭部だった。

「……これは?」

「頭以外すべて壊れたのでござる」とその頭が喋った。一語毎に円な瞳が明滅した。「つまり首は取られてはおらぬ。拙者の勝ちにて候」

 ロバトリック星人・呂場鳥守理久之進である。ペンローズ・バリアへの接触と〈蒸奇爆砕銃剣〉への融合同化、そして早坂あかりの救出を成し遂げ力尽きたかのように見えた彼だが、しぶとく生き残ったのだ。無様な姿も彼の勲章だった。

「そういう考え方も、ありか……」新九郎は努めて深く煙を吸い込んだ。「君も無事でよかった。見事な働きだったね。近いうちにもっといい身体を用意するよ」

「かたじけない」

 そしてあかりは空いている手で被っていた帽子を取ろうとする。

 だが新九郎はその手を上から抑えた。

「それにはまだ早い」

「策は?」とクロックマン。不法滞在者を気にかける余裕はない様子だった。「星鋳物を軌道まで上げるのは骨ですよ。しかし〈蒸奇殺砲〉での砲撃なら届きます」

「駄目だ。それでは殺しすぎる」

「では上げて斬り込みますか。いくら星鋳物でも、多勢に無勢です」

「一体ならね」

 新九郎は歩き出した。

「まさか」銀時計のすべての針が止まった。「認められません。あまりにも危険すぎる」

「君にできるのは忠告と告げ口だ。僕の行動を止める権限はない。だろう?」

「立場を危うくします。六号監視官だけではない。あなたもだ」

「しかし最小の犠牲で最大の結果を得るべく、全力を尽くす義務が僕にはある」

「屁理屈ですよ」

「高い理想を屁理屈と言う輩がいるからいつまで経っても理想の社会は実現できないのさ」

「それが屁理屈と言っているんです」

 それには応じず新九郎は言った。「早坂くん、一緒に来てくれ」

「彼ですか」とあかりは応じる。

 一同の目線の先に、仰向けに倒れた星鋳物第J号〈殲光〉があった。

 大股で進む新九郎。婦警に理久之進の頭を預け、駆け足になりながら後に続くあかり。そして時折空間を飛び越えながら行く手を遮ろうとするクロックマン。様子を眺めていた二ッ森焔が「何やってんだあいつら」と呟く。

 そして胸元の操縦席に辿り着いた新九郎が、ブーツの底で装甲板を蹴った。

「いつまで寝たふりしてる、八雲!」

 蹴った音が途中で不自然に小さくなり消える。翠玉宇宙超鋼の特徴だった。

 返事はない。

 新九郎が襟に留めた流星徽章から黒い煙が吹き出し、足元で針鼠と狼の間の子のような黒い犬の形を取る。さらにあかりの足元には黒猫が一匹、どこからともなく現れる。赤い首輪に金色の目。「何してるの、マサムネ」とあかりが言い、前脚のところを掴んで抱き上げる。

 大男、女学生、時計頭、そして犬と猫。様子を眺めていた二ッ森凍が「あれは何かしら?」と呟く。

 気密が開放され、二重扉が上下に開いた。

 マサムネがあかりの腕を逃れて操縦席の内部に飛び込んでいく。

 そして数秒。

 猫を抱いた汗みどろの男がゆっくりと姿を見せた。汚れとほつれだらけの白い宇宙軍艦橋員の軍服。真ん中で分けた前髪が額に張りついている。

「新九郎」とその男が言った。

「八雲」と新九郎が応じた。

「似合わん眼鏡だ」

「お前の腕輪ほどじゃない」

 そしてまた、沈黙が流れた。

 破ったのはマサムネだった。額を八雲に擦りつけ、鳴き声を上げる。あまり人には懐かない猫が、見ず知らずのはずの男にすっかり甘えていた。

 新九郎とあかりが顔を見合わせる。

 この街で最も不浄な場所へ、臆することなくふたりを導いた猫だ。

「憑いたものだけを斬った。機体の傷は浅いはずだ」新九郎は八雲に目を戻して言った。「あの炎はああ見えて器用だからね。記憶は連続しているな。自分のしたことはわかるな」

「ああ。すべきことも」

「お前の天秤は中庸だな」

「君と違ってね」

「なら手を貸せ。侘びは後でいい」

「望むところだ」八雲はマサムネを足元に下ろし、月を仰いで前髪を片手で上げた。「私を傾けたクソどもに、代償を払わせる」

 すると、目と鼻の先にいたクロックマンが、空間を飛び越えてふたりの間に割り込んだ。

「許可できません。〈殲光〉の起動権は彼にはない。不正に入手した流星徽章は可及的速やかに剥奪。例外は認められません」

「君が黙っていればいい。正気に戻った八雲が勝手に持ち出したことにしろ。証人は早坂くん。これが最良の手段だ」

「しかし……」

「星団憲章といち知的生命体の自主独立を懸けた戦いの勝敗、どちらが大切だ?」

 それは、とクロックマンが言い淀む。

 催促するような地鳴りが響いた。

 〈闢光〉だった。放熱は静まっていたが、排出される蒸奇はまだ橙色だった。そして、主である新九郎なしに歩いていた。

「なんと!」クロックマンの頭部が激しく振動した。「制御を奪われている! これは重大な星鋳物運用規定違反です!」

「やはり駄目ですか」という弱々しい声が、あろうことか〈闢光〉から発せられた。「外に出るべきではなかった。外の世界は悪意に満ちています。やはりわたくしのような腑抜けには引きこもって茶でも温めているのが似合いでしたか。分を弁えないことをしました。嗚呼、いっそこのまま灰になってしまいたい……」

 天下無敵の星鋳物が膝を抱えて丸くなり、いじけた指先で地面に円を描く。舗装が見る間に剥がれて土が露出する。怒りに歯を食い縛ったような顔さえ、心なしか悄気て見える。

「あれはなんだ」と八雲。

「友人の火だ」

「火が喋るのか」

「出身は太陽。自己陶酔の気はあるが、害意はないし知能も極めて高い。日本語も堪能だ。名前はフレイマー」

「顔が広いな」

「お前と違ってね」

「相変わらず口を開けば嫌味だな、君は……」

「認められません! 認められません!」クロックマンのありとあらゆる針が高速で逆回転している。

 腕組みの新九郎は、相変わらず膝を抱えた〈闢光〉を見上げる。「僕はフレイマーの推力で上がる。お前はどうする」

「私には」八雲は左手を挙げた。その手首に腕輪が光る。「これがある」

「報告させていただきます! これは絶対に報告させていただきます!」

 クロックマンは絶叫しながら消滅と出現を繰り返す。

 すると、あかりの足元でじっとお座りの姿勢を保っていた〈黒星号〉が言った。

「気の毒な時計だ。そうは思わぬか、翻訳師のお嬢さん」

「ちょっと可哀想だね」とあかりは応じ、それから瞠目して、澄まし顔の犬を見た。「君、喋れたの……?」

「しまった」

「なぬ?」

「わおーん、犬です」

「こら!」

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