2.夕暮れの斬光
空襲警報の警笛が市中に鳴り響く。何事かと次々に街路に飛び出してくる隣近所の人々。行き交う車が停まり、路面電車も緊急停車する。
〈黒星号〉を懐に収めた新九郎は一階店舗に降りた。途端に簡着物の上から前掛けを着けた女給姿の早坂あかりが駆け寄ってきて新九郎の腕を引いた。
「先生見て! あれ! あれです!」
「上で見た。近づいているか?」
「雲が厚くてわかんないですよ」
引っ張られるようにして店の前の通りに出ると、近隣の商店主が全員、小雨降る中、空に突如として現れた火の玉を見上げている。
すると、店内から店主・大熊武志の大声が聞こえた。
「おい新九郎! 電話だ!」
「僕に?」
「お馴染みの女王さまだよ。お急ぎみたいだぜ」
待たせる理由はなかった。店内へ取って返し、新九郎は怪訝な顔の大熊雪枝から黒電話を受け取った。
「紅緒さん?」
電話口の紅緒は珍しく早口だった。「ああ先生。えらいもんが降ってきてます」
「彗星の類ですか」
「ええ。軍の観測衛星からの情報をちょろまかしました」
「ちょろまかすって、どうやって」
「ネットワアクってやつです。あたしだって聞き込みだけで情報屋やってるわけじゃありませんよ」
「軍の通信に潜り込んだ?」
「そういうことです。突入角度と速度から計算しましたが、この帝都へ真っ逆さまです」
「被害規模は」
「わかりません。というのも、突如出現し、そして減速してるんです」
「人工物ということですか?」
「ええ。どっちにせよ、落着すれば帝都には壊滅的な被害が出ます」
「減速の推力を僕の〈闢光〉の全出力が推力になったと仮定してください」
「やってますよ」電話口の向こうで、鉄と鉄が触れる音がした。おそらくは煙管。「半径一キロ程度です」
「この街では絶望的な数字だ。向こうに推力があるということは……」
「ええ、そうです。落着点の正確な予測も難しいんです」
「空中で撃ち落とすのが最良ですね」
「そう判断した軍の超電装が動いてます」
「五〇式ですか?」
「ええ。ですが間に合うかどうか。落着まで一〇分とありません」
「僕の出番か」
「健闘を祈りますよ、先生」
受話器を置くと、新九郎は指先で流星徽章に触れた。内部に折り畳まれていた様々な物のうちのひとつが次元の壁を越えて表へと現れ、黒縁の眼鏡になる。
眼鏡を手に、深呼吸。そして思い出した。
〈闢光〉を使うな、と言った何者かのことを。
人口密集地であるこの帝都東京に質量体が落下するとして、今回のケースにおいてはその背後にどんな意図があろうと特定侵略行為等監視取締官の出動を止める法的根拠はない。しかしかの何者かは使うなと言った。
考えあぐねていると、前掛けを取ったあかりが近づいてきて言った。
「先生? とりあえず様子見ですか?」
「……わからん。つい先刻、意味不明な通信があった。〈闢光〉を使うなと言っていた」
「誰からです?」
「わからん」
「でもあれ、どんどん近づいてるっぽいです。その通信だって罠とかかも」
「時間がない」新九郎は壁掛け時計を睨む。「あと一分で五〇式の射撃が始まらなければ……」
その時一陣の風が巻き起こり、新九郎の目線に別の時計が割り込んだ。
「お待ち下さい」
「急に出てこないでくれ、クロックマン」
「事が急を要するのです」銀時計頭に英国風の洋装で固めた男。文字盤は四分間をカウントしていた。「あれは星鋳物です」
「何?」
「
「なぜここに?」
「まったく不明です」
「星鋳物なら、翠玉宇宙超鋼だ。憲兵隊の電磁投射砲でも破れない。ましてや破壊など不可能だ」
「その〈斬光〉から、衛星軌道へのワープアウト直前に超光速通信がありました。受信したのはあなたです、スターダスター」
「それなら」脳裏に蘇る男の声。「今さっき聴いた」
「彼はなんと?」
「〈闢光〉は使うなと」
「それは」と言ったきり、クロックマンは絶句する。
遠くで花火の打ち上げを鋭くしたような射撃音が響いた。憲兵隊の超電装・五〇式〈震改〉の装備する弾体投射装置〈紫電一閃〉だ。
新九郎の眉根が寄った。
星鋳物ならば、憲兵隊では対処のしようがない。
だがその星鋳物からは、〈闢光〉は使うなという通信。
損傷により制御不能ということは、何かと戦ったということだ。宇宙最強の戦闘兵器である星鋳物に手痛い傷を負わせるほどの強大な何かと。
「時間がない。訊くから即答しろ」新九郎は銀時計男を睨んだ。「〈斬光〉の作戦目的は?」
「あなたにはそれを知る権限がありません」
「なら僕は僕の使命を果たす。憲兵隊に『〈闢光〉に任せろ』と連絡を頼む。異論はないね?」
「私にその権限はございませんので」言うが早いが姿を消すクロックマン。
「早坂くん。財前さんに連絡して万が一に備えた避難の手配を。最新の落着点予想は紅緒さんに訊くんだ。軍経由より早い」
「合点承知です」
「武志、雪枝さん。早坂くんを頼む。怪我をさせたら君たちの初夜の一件が隣近所に知れると思え」
「それは勘弁してくれ」武志は真っ青な顔になる。
「あたしは別に構いやしないけどね……」対照的ににやけた顔の雪枝。
頼んだよ、と言い残し、新九郎は表へ出た。
雨は強さを増していた。にもかかわらず、雲の向こうに太陽が見えた。
否、太陽ではない。今この帝都に落ちようとする彗星だった。
新九郎は眼鏡を掛けた。
「
六月。憂鬱な雨の季節。晴天のない帝都の雲は、梅雨時になるとより厚さを増す。
本降りになった雨が土瀝青の路面を濡らし、既に十分潤っている街路樹を更に潤す。だが傘の花は咲かない。警報が鳴れば市民は軍か警察の指示があるまで屋内退避することになっている。緊急車両を除く車はすべて路肩に止まり、路面電車も高架電車も緊急停車し乗客を降ろし、長距離の蒸奇列車は上野駅構内で待機する。
警報から数分とかからず無人と化す街路――命を脅かす怪獣・怪物・魑魅魍魎の襲来が日常となっている街ならではの風景。
上野警察署前の交差点に着地した星鋳物第七号〈闢光〉は、足元を気にしつつ東へと移動する。天樹を直撃する軌道だったものが、少しずつ西側の浅草周辺へと移動していた。何らかの軌道修正は行っているものの減速が精一杯で、人口密集地を避けるような精密な制御は不可能な状態なのだ。
小石川の陸軍駐屯地から閃光が天を衝いた。花火や高射砲にしては早すぎる軌跡に、甲高すぎる発射音。五〇式〈震改〉の装備する、電磁投射式の大砲〈紫電一閃〉のものだ。
三連射の三発目が的中。だが四発目が放たれることはなかった。
落着点の予想が変化し、新九郎は舌打ちした。
「余計なことをしてくれた」
応えて黒鋼の巨体が躍動した。
頭部を常に接近する隕石、否、傷ついた星鋳物第A号〈斬光〉へ向け、浅草方面へ東進。初めは歩き、踏み潰されて粉々になった都電の施設が見る間に復旧していくのを確認すると、走る。
停車した車両を飛び越えれば、浅草仲見世のアーケードから従業員や客たちが次々と顔を出す。空から迫る火球と地響きを鳴らして走る黒鋼の悪鬼を交互に見ている。このあたりは戦時の空襲を生き延びた、大正年間の建物が残っている。壊せば戻らないものを見極めて突き進むのは、この地に暮らして三〇年の新九郎の土地勘が為せる業だった。
折からの降水で茶色く濁った隅田川を渡りきったところで、クロックマンから通信が入った。それだけで緊急事態の証だった。
「落着予測点が……」
「わかっている!」
怒鳴り返した新九郎に、クロックマンは落ち着き払って応じる。「最短経路を開けました。そちらに送ります」
「住宅が……」
「一部憲兵隊と警察の方々のご協力で住民を避難させました。家財は我々が賠償します」
「恩に着る」
〈闢光〉が水飛沫を振らせて南東へ転進する。
新九郎の眼鏡に地図が映し出されていた。かつて焼け野原となった、本所深川の住宅街を突っ切る矢印が引かれている。
多くの住宅は景観を重視し木造に見える。だがその正体は、戦後に降りた天樹により瞬時建築された異星砂礫の塊である。星鋳物の規格外の高出力蒸奇機関の煽りのために記述された形を崩しかけたその建材が、踏まれ、蹴られ、瓦礫となって次々と舞い上がった。
左右に警察の警邏車と憲兵隊の装甲車両。合羽を着て拡声器を手に怒鳴る制服警官らの中に、先天的に欠損した手脚を機械で補った軍服の少年少女の姿がある。屋根の上には見知った小林剣一の顔。機械の手を振り上げ、〈闢光〉と新九郎に向け何か叫んでいた。しくじんじゃねえぞ、クソ探偵。おそらくはそんな言葉。
操縦席に通知音が鳴る。目標が蒸奇光線砲の射程に入ったことを知らせるものだった。
左前腕部のビームレンズを展開。電子頭脳の計算に従い射撃する。既に天樹と連動したそれは、落下する火球に直撃しその落下軌道を修正する。
だが直後に上がる警報音。ラプラス・セーフティの発動を予告するものだった。
避難が済んでいるなら鳴らないはず。つまり、進行方向の住宅街に逃げ遅れた市民がいる。
このまま突き進むわけにはいかない。一度ラプラス・セーフティにより停止してしまえば再起動には数分を要する。そしてその数分が命取りとなる。そして同時に、市民を守るための力で市民を殺害するわけにはいかない。
かくなる上はこの場で足を止めて、最大火力の砲撃で撃ち落とすしかない。
新九郎が腹を決め、電想機がその思念を検知し、〈闢光〉が減速しようとする、まさにその直前。
ラプラス・セーフティ発動予告が唐突に消えた。
そして新九郎の目に飛び込む、片手に刀、片手に逃げ遅れた老人を抱えた水兵服に濃紺の羽織の女。人並み外れた脚力で平屋の住宅を軽々と飛び越え、降り頻る雨を跳ね除けるように閃く長い銀髪の主は、
そして空に超常の炎で地図と同じ矢印と、銀河標準語A種の檄文が描かれる。屋根の上には巨大な拳銃を構えた和洋折衷装束、黒革の上着を肩に羽織った橙色の短髪の主は、
檄文にご丁寧に添えられた英文――英語なら堪能だが銀河標準語は怪しい新九郎へのささやかな嫌味。
もはや天樹のお膝元。運河を飛び越え、民家を薙ぎ倒しながら疾走した〈闢光〉が、泥を巻き上げながら急制動をかける。芝生が剥がれ石畳が割れる。黒鋼の足がたたらを踏めば、足元で噴水が崩れて水が溢れ出す。
帝都八百八町に広がる異星砂礫建築の終端制御装置のひとつが置かれた、錦糸公園である。
間髪入れずに仰角およそ四五度を照準。〈闢光〉の両腕、両肩の鎧、胸部左右、両脛が一斉にスライド展開。そして額のひとつを加えた九つのビームレンズから一斉に最大出力の蒸奇光線砲が放たれた。
降り注ぐ雨を蒸発させる光線に真正面から突っ込んでくる火球は、その色を断熱圧縮された空気の赤から
いずれにせよ、何者かはともかく、かの星鋳物を操る
ゆえに新九郎は、ふたつある選択肢のうちひとつを捨てた。その選択肢とは、〈闢光〉の最大火力である、九つの蒸奇光線砲を連動させた必殺砲撃・〈蒸奇殺砲〉で、迫り来る第A号を撃ち落とすことである。
そしてもうひとつの選択肢を実行に移す。
ブーツの爪先で安全装置を蹴り上げて解除。〈闢光〉の展開した鎧が全て閉じ、ビームレンズが隠れる。代わって頭頂部の偃月飾りの固定が解除され、空に漂う蒸奇の死骸が翠白色の光となって、鎧の隙間から機体内部へと吸い込まれていく。
雲が薄れ、隙間から薄日が差した。
新九郎の目線が操縦席の計器と眼鏡に映し出された数値の上を飛び回る。
本来砲撃戦仕様の〈闢光〉が新九郎に与えられた時に増設された第二の必殺装備・〈
だがその反面、調整が非常に難しい。よって新九郎は、普段は振り回しても無駄に市街を傷つけない焔と、厄介な敵を斬るために最大限個体化した刃の二点切り替えで運用している。そして今回は、中に何者かがおり、そして貴重な星鋳物である落下物を貫いてはならないのだ。
警告音が鳴り響く。新九郎は呟く。
「こんな蒸奇殺法は習わなかった、畜生」
偃月飾りを右手に構えた〈闢光〉が斜め上方へ突きを繰り出す。すると生成された翠光の刃が空に線を引くように見る間に伸び、その切先が落下する第A号の光波防壁に触れた。
触れる。砕ける。触れる。砕ける。
減速、だがまだ足りない。ここから先は丁半博打。賽を振るまでわからない。
地上の第七号〈闢光〉と空から迫る第A号。両者の距離が零になる、その瞬間。
〈闢光〉が刀を手放し、刃が消失した偃月飾りが遥か後方へと弾き飛ばされる。
そして第A号の光波防壁が消失。新九郎の口の端に笑み。
防壁を張ったまま高速で突撃されてはさしもの〈闢光〉とてひとたまりもない。だが解除されれば、あとは度胸と気合の問題だ。
翠玉宇宙超鋼同士が衝突する、地の底からの叫びのような音が帝都に木霊した。
全身黒焦げの星鋳物を黒鋼の豪腕が受け止める。勢いに負けて滑るように後退。悲鳴を上げた左腕に代わり左肩の鎧で支える。無数の火花。無数の警告。公園の植木を薙ぎ払う暴風と高熱――それでも尚、〈闢光〉の膂力が辛うじて勝る。
公園の敷地をはみ出し、背中からビルに激突すること三度。
新九郎の全身を揺さぶっていた振動が止み、両者停止。
木霊していた轟音が止み、新九郎は腕を包んでいた操縦装置を外し、大きく息をついた。
左腕部損傷により駆動不能。骨格である〈奇跡の一族〉の遺体も一部損傷している。そして左前腕および左肩部鎧の蒸奇光線砲が使用不能。右腕にも損傷はあるが軽微。DOR吸収機構に要点検の警告が灯っている。光波防壁も通常の三割の出力でしか作動できない。
だが、当座の危機は脱した。
手動操作で〈闢光〉を動かし、右腕だけで第A号を仰向けにひっくり返す。
〈闢光〉の足元に軍や警察、消防の車両が次々に集まり、次いで頭に時計を載せた洋装の男が天樹の小電装の一隊を引き連れて出現。全ての銃口が、機能停止した第A号へ向いている。
星鋳物第A号〈斬光〉。その色は、海より深い碧鋼色。
煙を上げる機体を見下ろし、新九郎は呟いた。
「さあて、阿呆の面を拝むとしようか」
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