11.来たれ忠犬

 戦後の焼け野原から宇宙の力で瞬時に高層ビルの森になった丸の内には、大企業から中小企業まで多くの会社組織が本社を構える。その大半は天樹を中心とする宇宙産業、先端技術産業、そして軍事産業に携わっており、昨今では外資系企業の進出も珍しくなくなった。

 そのオフィス街が、今日は正午にもかかわらず静まり返っていた。

 代わって闊歩するのは陸軍憲兵隊の超電装、四八式〈兼密〉が三機に、その背後で威風堂々たる様子の五〇式〈震改〉が一機。両腕を着いて背を丸めて歩く子分の〈兼密〉に先導され、逆三角形の輪郭を作る肩で文字通り風を切って歩く親分の〈震改〉。さらにその足元には、大名行列がごとく陸軍の兵員輸送車や装甲車両が徐行する。

 昨日深夜、帝都を漂う紫の毒雲が丸の内上空で静止してから、企業や商業施設の管理者には陸軍から退避指示が下された。だが避難誘導や周辺封鎖の実働は警視庁警備部の機動隊や、応援に駆り出された所轄の制服警官、そして事件の主導権を持っていかれた刑事部の異星犯罪捜査課員である。

「俺らの親分は警視総監であって幕僚長じゃねえんだけどな。なあ駿ちゃん」

「苦情電話の引受先が必要だったんでしょう」と隣の門倉が応じた。「それと、門倉です」

 彼らの待機場所は、避難区域で唯一営業を許された大衆食堂である。だが厨房には周辺の蕎麦屋や弁当屋の従業員が詰めかけている。兵隊や警官が多数集まれば彼らに食事を提供する必要があり、急な参集のために警備側も食事の手配が間に合わず、結局地元の食堂を儲けさせることになっている。

 表にはテントが並び、これも急に呼び出された電電公社の技術者らの手により周辺の建物から電源と電話線が引かれて、近所の事務所から借り受けた電話機が並ぶ。受けるのは婦人警官や軍の広報担当である。出勤するはずだった人々や今日の営業中止に伴う補償を求める経営者たち、そして単に不安だから電話しただけの市民たちの相手をする彼女たちは、聞くだけで震え上がるようなドスの効いた声で「いいから黙っていろ」という内容をオブラートに何重も包んだ応答をし続けている。

 そしてその中には、東京駅利用者向けの土産物店からせしめた最中を分速三個で食べ続ける二ッ森焔と凍の姿もあった。

「全部軍持ちだと思うと三割増で美味いな」と焔。「よく寝て、よく食べる。これぞ健康の秘訣。あの雲も案外悪いやつじゃねえかもな」

「ええ。お姉さまの寝相の悪さに夜中に起こされずに済んだのは久しぶりですわ」と凍。「おひとついかがですか、あかりちゃん」

 最中を差し出されたあかりは、鼻を鳴らして言った。

「わたし、最中にはうるさいんですよ。仙台の白松がモナカってご存知ですか?」

「あれ美味いよなあ。前にいただきもので食べたぜ」と焔が応じる。「でもやっぱり、俺はこしあんの方が好きだ。あそこのこしあんのもあるけど栗が入ってて、なんか違うんだよなあ」

「それがいいんじゃないですか。わかってないですね」

 凍がうっとりと斜め上の方を見て言った。「あそこの大納言の柔らかい粒感、わたくし好きですわ」

「それです。それですよ。さすがです凍さん」

「なんだよ凍ばっかに懐きやがってよー」

「がさつな癖に餡では気取るからですわ」

「何だとこら。てめえにこしあんの何がわかんだよ」銃に手を伸ばしつつ腰を浮かす焔。

「滑らかなつぶあんこそが菓匠の腕の見せ所なのですわ。それともお姉さまの馬鹿舌にはどれも同じなのかしら?」同じく刀を手に立ち上がる凍。

 また始まった。

 最中を片手にあかりが固まっていると、背後から伸びてきた手がその最中を奪った。

 振り返ると、あろうことかそこには毬栗頭に金釦の軍服。機甲化少年挺身隊の小林剣一である。最中は既に彼の口の中だった。

「食わねえならもらうぜ」口の中でかつて最中だったものをもごもごやりながら小林は言った。

 あかりは小林を見、自分の手を見、もう一度小林を見た。「ぬさこの……」

「いいじゃねえか、もったいねえ」

「だめだべっちゃ!」

「何言ってんのかわかんねえんだけど」

「この……」あかりは一度深呼吸し、銀河標準語A種で言った。「うるせえクソ野郎! 人のもの取るな! 末代まで祟ってやる!」

「いやだって邪魔そうにしてたじゃねえかよ! 何言ってるかわかんねえけど!」

「最低だな」と焔。

「最低ですわね」と凍。

「礼儀を教えてやらないとな」指を鳴らしながら立ち上がる焔。

 笑顔を凍らせて後ずさりする小林。その小林に近づいた焔は、まず笑顔で肩を叩き、生身の方の手を取り、そして勢いよく捻り上げた。そのままヘッドロックが決まる。

「は? 何、礼儀って何何すいませんすいません痛い痛い死ぬ」

「ところであかりちゃん」我関せずの顔で凍が言った。「この一大事に、先生はどちらに?」

「あー、たぶん、あちらに……」

 あかりは頭上を塞ぐビルの屋上を指差した。


「馬鹿と煙は高いところに登りたがると言うが、君はどちらなんだ、伊瀬くん?」

「そういうあなたはどちらなんです、大尉どの?」

 機甲化少年挺身隊の引率役、総隊長の沖津英生。そして蒸奇探偵・伊瀬新九郎。ふたりは吹きすさぶ強風を物ともせず、ビルの屋上から丸の内の街路を見下ろしていた。

 沖津が屋上に待機しているのは、彼が指揮する機甲化少年挺身隊が市街に三次元的に配置されているためである。ある者は看板の上。ある者は車両の天井。ビルの壁面にある僅かな段差に張りつく一方で壁からぶら下がる者もある。警備の隙間を埋めるための配置であり、そして彼らの指揮官である沖津は配置を一望できる高所に登らざるを得ないのだ。

 一方の新九郎が高い場所に登ったのは、単に高い場所が好きだからである。元来背の高い新九郎は、見下ろされることが嫌いである。ゆえに、憲兵隊の超電装スーパーロボットが闊歩している街路は新九郎にとって不愉快そのものであり、不愉快なので超電装より高いビルの屋上へと登れば沖津に出会したのだ。

 しかし、屋上まで登っても、なお高い場所に紫の雲が漂っている。

 彼らの眼下では、憲兵隊の〈震改〉と〈兼密〉が雲を取り囲むような陣形を取る。〈震改〉は右手に長方形の箱のようなものを携えている。超電磁加速器を備えた亜音速電磁抜刀装置、紫電一閃である。この装備ゆえに〈震改〉の周囲一〇〇米は憲兵や警官を含めて立入禁止とされた。

 三機の〈兼密〉が正三角形を描くような位置に配され、その中心に〈震改〉が立つ。その直上に紫の雲の渦巻く中心があった。

 目に見えない緊張が警備にあたる人々の中を駆け巡る。上空には命知らずな新聞社のヘリ。地上にはテレビ局の車両も詰めかけ、軍の車両で築かれた障壁を破らんばかりの勢いで若い警備兵に詰め寄っている。

 新九郎はライターを手で覆いながら、煙草に火を点ける。

「君から見て」と沖津が言った。「この攻撃、成功すると思うか?」

「さすがにこの衆人環視で憲兵もヘマはやらないでしょう」新九郎は煙を吐く。「失礼。あなたも憲兵でした」

「構わん。我々は憲兵隊のはぐれものだ」

「質問への答えですが、成功して欲しいと願っています」

「君の仕事が減るからか?」

「それもありますが」

「星鋳物などなしに人間の力だけで蹴散らすに越したことはない」

「それもありますが」新九郎はまた煙を吐く。「あの敵のおかげで、僕は毎夜毎夜、この街を火の海にしている。夢の中とは言え、寝覚めが悪いのです。もしかしたら、それこそがやつの目的なのでは、と勘繰ってしまうほどに」

「君は五歳だったか」

「あなたは一二でしたね」新九郎は、沖津の革手袋で筋電甲を隠した手を見た。「そういえばあの雲、最初は芝浜の方に漂っていたな」

「夢の中だけの方が幸せだと?」

「ええ。大怪獣も、超電装も、星鋳物も」新九郎は煙草を踏み消し、街路へと目を落とす。報道関係者と一緒に詰めかける野次馬の中には、超電装をひと目見んとする市民や、子供の姿があった。新九郎は、独り言のように呟く。「僕は、夢を守るために戦っているのかもしれません。街の平和を守るため、悪の宇宙人を蹴散らす正義の超電装という夢を」

「しかし、〈闢光〉は突貫整備中なのだろう。何かあったら、君はどうするんだ」

「それは、その時です」と応じた時だった。

 階下へ繋がる階段が開き、葡萄茶袴の女学生が姿を見せた。

「あ、やっぱりこちらでしたか先生」

「早坂くん」と新九郎。「どうだい。何か聞こえるかい?」

「さっきからやってるんですけど、やっぱり何かいます」あかりは胸元から正十二面体の首飾りを引き出した。中心に封じ込められた翠緑色の結晶体が淡く発光している。「こちらを見ています」

「君や、僕をか? 目や、カメラか何かで?」

「いえ。わたしたちじゃないです。それに、見ている、と言っても本当に見ているわけじゃなくて……なんというか、聴こえない言葉で話しかけて、その言葉への無意識の応答を聞き取っているような感じです。要はサイコメトリーです」

「我々が目で見るように、読心によって相手を観察する存在ということか」

「ですね」あかりは紫の毒雲を見上げた。「でも、不思議なんですよ。この前あの雲に向かって話しかけた時は全然応答なかったのに、あのへんにいる感じなんです」

 雲を指差すあかり。

 新九郎は彼女と目線を揃えて雲を見上げる。

「やつが主体ではないのは間違いない。それはあの雲そのものが封瓶から解放された蒸奇獣と思われることとも一致する。しかしあのへんにいる、となると……」

「……さっぱりわからない」腕組みをして目一杯低い声、難しい顔で言うあかり。いつぞやの新九郎を真似ているようだった。

 すると、あかりと新九郎の足元からうにゃあと声がした。

 黒猫だった。閉じ損ねた扉の隙間から入ってきたようだった。赤い首輪に鈴がついているところを見ると、どこかの飼い猫らしい。

「わあ、猫ちゃん」あかりは腰を落としてその猫を抱き上げる。「どうしたー。逃げ損ねたのかー。ここは物騒だぞ?」

「その猫、谷中にいた子じゃないか?」

「似てるだけじゃないですか? 首輪のついた黒猫なんていくらでもいますよ」

 そうかな、と応じつつあかりに抱かれた猫をまじまじと見てみる。猫の顔の違いなどわからない。異種族の顔の違いがわからないのと同じである。ともすれば人間の顔でも怪しい。

 するとその猫が急に暴れ、あかりの手を逃れた。しかし足元からは離れない。

「……先生、嫌われてますね」

「別に猫の一匹や二匹に嫌われても、構わん」

「またまたあ」

「気を落とすな」と沖津が口を挟む。「私も屯所で子供らが世話している猫には嫌われている」

「たかが猫ごとき……」

 またまた、とあかりが口に手を当てる。

 その時、大きな音に一同口を噤んだ。

 眼下の市街で、五〇式〈震改〉が刀を抜き、舗装の地面に突き立てたのだ。そして鞘代わりだった電磁加速装置がスライド展開し、電磁加速器部分が露出。綺麗に直方体だったものが見る間に照準器と固定用二脚を備えた砲へと姿を変える。

 亜音速電磁抜刀装置・紫電一閃のもうひとつの姿である。

 携行時は刀の鞘となり、宇宙超鋼の刀を亜音速まで加速しあらゆるものを切り裂く斬撃を放つ装置だが、展開すれば同じ機構を流用した弾体加速装置となるのだ。

 通常の運用では地面に固定し水平射撃することが多い。だがここは市街地で、流れ弾の一発でも市街に当たろうものなら明日から新聞もテレビも軍への非難一色になる。よって今回は毒雲直下から直上へと射撃とされた。固定がないため照準は操縦師の手動となる。

「さて、何が出るやら」と新九郎。

「さすがに撃たれれば何か反応しますよ」とあかり。

「中にいるのではないのか」と沖津が不意に口を挟んだ。「雲を隠れ蓑にしている、ないし上に乗っている」

「それならせっせと観測している軍や警察が見つけて……」そこまで言って、新九郎ははたと気づいた。

「先生?」首を傾げるあかり。

「……いや、その発想、大当たりかもしれませんよ、大尉どの」新九郎の手元から、強風に煽られて煙草の灰が飛んでいく。「井ノ内という調達屋がいまして、彼は何者かに蒸奇封瓶の遮蔽装置を最近提供しました。その時に現れた買い手は、煙だったそうです。カエル野郎の与太話と思っていましたが、何らかのガス状生命体だったとしたら。そしてそのガス状生命体が、今もあそこにいるとしたら」

 あかりが目を見開く。「超電装は人間の似姿」

 紫電一閃に電力が通い、弾体加速装置が発光。冷却装置が唸りを上げ、〈震改〉が初弾を薬室へ送り込む。

「そう。ある程度文明を発展させた知的生命体は、巨大な自らの似姿を作りたがる。つまり、あれは」

 遅れて得心いった様子の沖津が言った。「超電装か」

「そして僕らが今ようやく思い当たったように、やつがまだそれに気づいていないとしたら」新九郎は屋上の縁の方へと一歩踏み出す。「やつらの感覚では、憲兵の超電装を大きな機械としかみなしていない。人類の大きな似姿である戦闘兵器とは気づいていない。そうだ。やつは星鋳物には触れていても、超電装には触れていない。だが発砲したらどうだ」

「……反撃する」と沖津。「この市街地のど真ん中で」

「それまずくないですか」あかりの目が泳ぐ。それから焦点が定まり、新九郎に詰め寄る。「気づいてないんです」

「何が」

「あれの中にいる人は、んです!」

「確かか」

「わたしの勘です」

「特級の勘だ」新九郎は吸殻を放り投げた。「これはまずい。やつは、なんの目的かはともかく、首尾よく潜入任務を遂行できているつもりでいる。だがさすがに撃たれれば、露見したと気づく」

「尻尾を巻いて逃げるかも」

「その可能性に全賭けするかい?」

 沖津が縁から身を乗り出し、手旗信号を送りながら携行無線機に怒鳴る。「全隊、五〇式の砲撃を止めろ。顔面に食らいついても操縦席をこじ開けても構わん。責任は私が取る。動け!」

 ビル街のそこかしこに張りついていた機甲化少年挺身隊の少年兵たちが一斉に各々の足場を蹴る。だが直後に、息せき切った叫び声が無線に割り込んだ。

「待った待った待った! 全員止まれ! 手足がイカれるぞ!」小林剣一だった。彼は無線機を抱えてケーブルを引っ張りつつ、地上指揮所から手旗信号を送る。「紫電一閃の加速装置の電磁波に俺らの手脚は耐えらんねえ。怪我したくなきゃその場で待機だ!」

 言うが早いが〈震改〉に一番接近していた隊員が蹴ろうとしていた看板に突っ込んで落下。別の隊員がこれも手脚の力を失いながらも受け止め、這々の体で撤退する。

 続いて躍り出る二ッ森姉妹。天樹の秩序で動く彼女らは躊躇いなく陸軍の超電装に銃口と刃を向ける。

 だがその動きに気づいた四八式〈兼密〉が立ちはだかる。焔の放った火炎弾は灰色の装甲を半ば突き破るも倒すには至らず、疾風のような速度で突進していた凍の行手を〈兼密〉が地面に突き立てた刺股が阻む。

 二撃目の前に、憲兵の銃口がふたりを取り囲む。さしもの二ッ森焔も銃を下ろし、二ッ森凍は居合の構えを解いた。

「先生!」固唾を飲んで見守っていたあかりが振り返る。「ほら帽子預かりますから、早く!」

「それには及ばない」新九郎は屋上の縁に片脚を乗せ、左襟の流星徽章に手を翳した。「後で天樹の連中に『致し方なかった』と証言してくれたまえ」

 徽章が変形。内部で捻じ曲げられた空間から、大ぶりな薬剤のアンプルのようなものが現れ、新九郎の手に収まった。

 蒸奇封瓶である。

 星鋳物は修理中で出動不能。だがそのような特殊な状況下において、特定侵略行為等監視取締官としての実力行使が必要な場合に限り使用が許された、伊瀬新九郎の奥の手。

 封瓶のくびれた部分を割り、〈震改〉目がけて投擲。すると中に収められていた黒色の液体が蒸発し、見る間に拡散。量子倉の星虹に似た七色の光を散らし、一体の巨獣が姿を現した。

 少年兵らが唖然となる。二ッ森姉妹が武器を収める。彼らの上に影を落とす四脚の巨躯。黒く刺々しい硬質の表皮は一見すると毛並のように見える。垂れた尾を左右に振り、つぶらな瞳が主たる新九郎を見上げる。震える両耳。並ぶ牙。

 それはとてつもなく巨大な、犬だった。

「行け、〈黒星号〉」と新九郎が言った。「あの侍気取りの大筒を止めろ!」

 鼻を天に向けた遠吠えをひとつ。そして新九郎の忠実なしもべである〈黒星号〉は、塵を巻き上げて跳躍。〈兼密〉に飛びつきこれを足場にして、今まさに引き金を引かんとしていた〈震改〉に襲いかかった。

 新九郎は帽子の位置を直し、目を丸くしているあかりに言った。

「ひとつ言っておく。ご覧の通り、僕は犬派だ」

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