10.第四夜・冷刀と砲熱 其の2

 まともに戦っても勝てない。

 二ッ森凍はそう言ってから、さらに続けた。

「手段はひとつだけ。わたくしとお姉さまの間の、熱量供給の均衡を崩すのです。わたくしが冷やした分だけお姉さまが熱を放出するのを阻止する。あるいはその逆です。日常生活程度なら、わたくしだけでも奪った熱を元に戻すことができます。ですが戦闘に使う程度となると、お姉さまに放出していただく必要があります。もちろん即座ではなく、わたくしたちの体内に蓄えておくことができますが、限度があります。そこを突くのですわ」

 猛烈な爆撃に〈闢光〉の足元が融解する。

 飛び回る冷刀怪獣ブリゾードが輻射熱を吸収しているため、被害は丸の内のごく一角に留まっている。だが本来なら、周囲数粁が焦土と化していてもおかしくない。〈闢光〉の翠玉宇宙超鋼は外部から加えられた熱攻撃を吸収するが、その速度は無限ではない。吸収速度を遥かに上回る砲撃のために過熱された装甲が、〈闢光〉を常軌を逸した放熱体へと変貌させていた。

 絶え間のない爆炎。上がり続ける警告に、新九郎は奥歯を噛み締める。

 そしてブリゾードがまだ残っていた東京駅の駅舎に降り立ち、ボルカガンが砲撃を止めて背部の放熱器官を閉じた。

 爆風と輻射熱を吸い取られたため、爆心地から上がる黒煙はえのき茸のような奇妙な形をしていた。ブリゾードが一声嘶き、翼で風を起こせば、煙が流され周辺の火災も一時に鎮火する。

 舗装と土、さらにその下の岩盤までが融解し、すり鉢状になった地形が次第次第に顕になる。縁のあたりで均衡を保っていた建物が崩れ、瓦礫がすり鉢の中心へと滑り落ちていく。

 再び飛翔するブリゾード。最後に吹き溜まりになっていた煙が、翼の風圧で吹き飛ばされる。

 滑り落ちた瓦礫がすり鉢の底へ達する。

 ブリゾードが首を傾げた。

 〈闢光〉の姿がなかった。

 ブリゾードが鳴き声を上げながら低空を周回飛行する。ボルカガンが訝しげに前進する。その一歩に地面が震え、石礫が飛び跳ねる。

 地鳴りがした。

 マンホールの蓋が吹き飛び、通りの舗装にひび割れが走った。直後、それらは天樹に書き込まれた形を失い砂になる。

 超高出力の蒸奇機関の証。

 そして悪鬼が姿を現す。

 爆音。岩盤と大地を赤く焼き、舗装の下で爆弾が炸裂したかのように瓦礫が舞い上がる。ボルカガンの砲撃の余波を浴びても残っていた建物が赤熱して融解。灼熱を纏った〈闢光〉が、地中を掘り進んでボルカガンの背後へと姿を表した。

「一五〇〇度もあれば岩を溶かせる」と新九郎は言った。「楽しい穴掘りだったぞ、この野郎」

 蒸奇獣の構成要素は岩や土であることが多い。だがそれらを用いて作られたものの機能は、生物の筋肉や骨格に等しい。即ち、全開のペンローズ・バリアとともに触れれば、皮膚を焼き筋肉を焦がす。

 ボルカガンに背後から〈闢光〉が組みつく。跨がりながら二枚貝型の砲熱器官を抱え、膝を後ろ足関節、篭手を二枚貝の付け根へと押し当てる。赤熱した装甲が外皮を突き破り、筋肉を焼いて腱に達する。

 飛来するブリゾード。すれ違いざまの翼の刃に、右の裏拳を叩きつけた。

 断続的に吠えるボルカガンの腹部に黒鋼の両腕が回る。機体各部の装甲の隙間からオルゴンの翠光が噴出。発揮された剛力が四足の巨獣を放り投げた。

 瓦礫に叩きつけられるボルカガン。その姿を覆い隠すほど舞い上がる砂塵。

 そして〈闢光〉は、体勢を立て直したブリゾードへと向き直る。

 嘶きながら冷気を放つ。傷だらけの街路に氷が走るが、〈闢光〉が進めばそれも溶ける。

 全身から滝のように水を滴らせながら、一歩一歩前進する〈闢光〉。その腹中、新九郎が呟いた。

「いいのか? 姉貴分はもう使い物にならないぞ」

 背後で起き上がったボルカガンは、砲熱器官の腱を焼かれて二枚貝の片方がだらしなく垂れ下がっている。

 もう熱量砲弾を放つことはできない。つまり冷やして奪った熱量は、廃棄されることなく貯まり続ける。

 〈闢光〉の操縦席の警告が収まり、赤表示が次々と緑に転じていく。

「ここだけの話、先に狙うならお姉さまがおすすめですわ」と二ッ森凍は言っていた。「単純な身体能力ならわたくしの方が上です。腕相撲ではお姉さまに敵いませんが、先生は〈闢光〉でしょう? ならお姉さまを一発のして、炎星イェンシーを使えなくしてしまえばいいのですわ」

 もちろん、こんな弱点は二ッ森姉妹の前では弱点にならない。二ッ森焔を一発のすことができる人間などそうそういないからだ。だが、〈闢光〉の弱点を四〇〇〇度の炎でこじ開けたのなら、ボルカガンを先に倒すという攻略法も〈闢光〉の豪腕でこじ開けられる。

 ブリゾードが威嚇の鳴き声を上げた。銀の翼が翻り、四〇米ほどの高さまで飛び上がる。

 羽の刃を閃かせての突撃――〈闢光〉が頭頂部から偃月飾りを取り外して構える。

 見る間に近づく距離。偃月飾りに天からの翠光が集い、炎が揺らめき刃を成す。

 交錯。その一瞬。

「蒸奇殺法、鳥刺し」

 〈闢光〉が両手に構えた刀が、空中でブリゾードを貫いていた。

 刀身が粉々に砕け、支えを失ったブリゾードが地面に斃れる。

 手の中で偃月飾りが一回転し、〈闢光〉の額に収まる。そしてその場で一八〇度転回。

 左前腕以外の全ビームレンズを展開し、突進してきていたボルカガンに斉射した。

 ボルカガンの全身から吹き出す橙色の炎。放出できずに体内に溜まった熱量が渦巻いているのだ。

 翠緑色のビーム束を浴びながらも、物ともせずに大地を揺らして突き進むボルカガン。だが次第にその速度が鈍る。そして走りが歩きになり、ついに停止。〈闢光〉との距離、目算一五〇米。

 炎が四方八方へ飛び散る。獣の咆哮が轟く。

 ビームの照射が終息し、気化したオルゴンがレンズの周りに散る。一斉に閉じる装甲。

 溶岩のような表皮に翠緑色のひび割れが走った。そして内側から膨張し、爆散。かつて怪獣だったものが焦げた岩石と土塊と化して焼け野原の丸の内に降り注いだ。



 起き抜けに煙草に火を点けた新九郎は、窓辺の書斎机に腰を下ろして煙を目一杯吸い込んだ。

 扉が開く。いつものように、制服姿の早坂あかりが入ってくる。

「あれ、今日も早いんですね」

「寝た気がしなくてね……」

「……大丈夫なんですか?」

「倒した」新九郎は窓を開けた。煙たいとあかりが機嫌を損ねるのだ。「鳥刺しを本当に鳥に使ったのは初めてだよ」

「なんの話ですか」

「こちらの話だ。悪いね」

「えっと……」怪訝な顔のあかり。「今日は予定通りってことでいいんですよね?」

「……どうしようかな」

「正体を見極めるんじゃなかったんですか」

「ああ、うん。君はそのつもりでいてくれ」

「わたしは?」

「僕はあの時計と相談することがある」


 一〇時四五分。今日も現れた銀時計男を、新九郎は二階の事務所で出迎えた。

「冷えただろう」と新九郎。

「冷えましたね」とクロックマン。「現在は常温です。整備・点検にも問題ありません。しかしオーバーホールが必要です。超高温からの急冷が記録されており、装甲との接合部の機能に問題がないか心配です。火器もいくつか破損して使用不能です」

「蒸奇殺刀は?」

「異常はありません」

「それさえ使えれば後はどうにかなる」

「星鋳物のここまでの損傷は過去に例がありません。それに私は、異常はないと申しましたが、使用可能とは申していません。あれは〈闢光〉の装備の中でも最も精密で繊細ですので、ペンローズ・バリア展開下とはいえ再点検が必要です。全身のDOR吸収装置が連動しますから」

「使えそうなら使ってみればいいだろう」

「ものが動いてもDOR量が不十分でしょう。怪獣どもを狩る度に使ったのでしょう。それに、星鋳物の運用手順に反します。許可できません。許可できないことを無理にあなたが行うなら……」

「僕に星鋳物の私的濫用の嫌疑がかかるわけだ」今日もクロックマンに注文させ、二階まで持ってこさせた珈琲に口をつけて新九郎は言った。「何時間かかる?」

「最低限の確認項目の網羅で、一八時間ほど」

 クロックマンがおもむろに自分の顔面に手を入れ、長針をくるくると回す。不思議なことに文字盤を覆っているはずの硝子を手が突き抜けている。

 表示させたのは一八時間後の時刻。朝五時である。

「つまりそれまで僕が一睡もせずにいればいいわけだ」

「無理でしょう」

 新九郎は苦笑いになる。「あと一〇歳若ければな……」

「日が高いうちに仮眠しますか?」

「僕が寝たら次の怪獣が出るかもしれない。そうなれば整備途中の無防備な〈闢光〉で戦闘する羽目になる。今度こそ終わりだ」

「夢を見るのは覚醒の直前です。普通にあなたが眠れば、次に怪獣が出る頃には整備も完了しているでしょう」

「いつも通りに過ごせ、夜は怪獣を倒せと言うわけだ、君は」

「不安はわかりますが、遺憾ながらそれ以外に選択肢はありません」

「しかしなあ」新九郎は既に今日五本目となった煙草に火を点けた。「憲兵隊が何やら企んでいることは、そちらも耳に入っているだろう」

「我々は現住知的生命体の自主的な行動を妨害することはできません」クロックマンはしゃあしゃあと応じる。「市民に被害が及ばないよう、全力を尽くしていただきたく」

「しかし〈闢光〉は使えない」

 クロックマンは席を立った。「あなたには別の手段もおありでしょう?」

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