8.第三夜・冷刀と砲熱

 当然ながら、寝ている時まで働きたくはない。伊瀬新九郎が何よりも優先するのは地球の平和だが、その次が自分の主義である。前者のために後者を蔑ろにされるのは不愉快極まりない。

 ゆえに、床に就く瞬間、新九郎が考えたのは、「今夜は夢を見たくない」という一点だった。

 だが目を開けば〈闢光〉の操縦席。背の高い建物が片っ端から崩れた丸の内。足元でグリムザンの首を失くした死骸が崩れていく。

 そして目線を上げた新九郎は、肩を落として息をついた。

 鋭く響く鳥獣の鳴き声と、重く轟く四脚獣の吠え声。新九郎の眼鏡に重なった画面に、各々の名前が表示された。

 曰く、冷刀怪獣ブリゾードと、砲熱怪獣ボルカガン。

 前者は銀色の体色を持つ鳥型の怪獣である。羽の一枚一枚が刃のように鋭く、止まり木代わりにした瓦礫が凍りついている。一方後者は、真っ赤な溶岩の流れる火山に足が生えて歩き出したような風情。足元では舗装のアスファルトが高熱に溶けかけている。

「勘弁してくれ……」

 もう明らかである。

 昨夜までのグリムザンが紅緒なら、今度は二ッ森姉妹。かの雲は、何らかの手段で特定侵略行為等監視取締官・伊瀬新九郎の周辺人物を鋳型として怪獣を生成し、何らかの目的で新九郎の夢へと送り込んでいるのだ。

 ブリゾードが翼をはためかせてふわりと飛翔。同時にボルカガンが牙を見せて吠え、舗装を焦がしながら一歩前進する。

 対する〈闢光〉は、まだ左腕部から損傷の煙が上がっている。グリムザンの蒸奇毒液で受けた損傷は、現実世界での修復作業が追いついていなかったのだ。

 新九郎が操縦桿を握り直し、スイッチを幾つか操作しつつ機体を一歩後退させる。

 昼間、塩瀬総本家の饅頭を頬張った二ッ森焔は、こんなことを言っていた。

「見られているっていうか、もうちょっと細かく言うと……知ってる感覚だったんだよ」

 彼女たちはかつて、ウラメヤ横丁で謎の宇宙人に拉致され、人間兵器へと改造された。その結果、焔は巨大な銃を操る戦闘技術と、体内から熱エネルギーを放出する能力を手に入れた。同様に凍は刀を操る戦闘技術と、体内に熱エネルギーを奪う能力を得た。

 では、そのエネルギーはどこから生まれ、どこへ消えるのか。

 熱量は高温の物質から低温の物質へと移動する。そして理想系において、高温の物質が失った熱量は、低温の物質が得た熱量に等しい。これを熱量保存の法則、あるいはヘスの法則という。つまり、焔が何かを温めたのなら何かが代わりに冷えなくてはならず、凍が何かを冷やしたのなら、何かが代わりに温まらなくてはならない。

 答えは、ふたりの中である。

 ふたりの体内に埋め込まれた人類不可到の臓器は互いに熱量を融通する機能を有しており、凍が奪った熱量を焔が放出するのである。

 そして、その臓器の操り方や武器の扱い方を得た時の感覚が、彼女たちがかの毒雲を目にした時の感覚に似ているというのだ。

「頭の中を覗いて、必要なことを書き込んだり、逆に書き出したりするのですわ。そして書き込まれたことと釣り合うように、肉体の方も改造する」

 かつての二ッ森焔と二ッ森凍は、どこにでもいる双子の女学生に過ぎなかった。それが不幸にもウラメヤ横丁に迷い込み、二体一対の生体兵器の実験台を求めていた宇宙人に目をつけられ、拉致された。彼らは人類の脳と肉体を自在に操作するだけの高い技術力を有していた。そして施術は、ふたりの意識がある状態で行われた。己の意に反して記憶が閲覧され、脳から身体へと電気信号が発せられる。そして望みもしない戦闘技術が書き込まれた。

 その時の感覚を、ふたりは雲を前にして思い出した。

 つまり、雲は、紅緒や二ツ森姉妹の脳の中を覗き見ている。そして彼女らの能力や趣味嗜好を分析し、新九郎の夢へと送り込んだ。

 そしてこの仮説は、新たなもうひとつの仮説に繋がる。

 夢を見せているのが雲であるなら、この〈闢光〉もその一部。

 すなわち彼らは、伊瀬新九郎の意識と星鋳物第七号〈闢光〉を、既に分析し終えていることになるのだ。

 昨夜までのグリムザンが、いきなり翠玉宇宙超鋼を破る蒸奇毒液を使ってきたのも、おそらく弱点を分析しているためだ。

 ロバトリック星人と合体鋼人クロームキャスターは、伊瀬新九郎という操縦師を弱点として攻撃を試みたが、長期的に見れば、それは弱点ではない。特定侵略行為等監視取締官は、所詮ただの人間。換えが効く。星鋳物という戦闘単位への攻撃にはならない。安藤和夫と電装王者エレカイザーII世はラプラス・セーフティを狙ったが、これも条件次第では解除されるため、星鋳物の破壊を目的とした場合は決定的な弱点ではない。

 それはともかく、思い起こせば、いきなり弱点を突いてくる怪獣には、どことなく紅緒の面影を感じてしまう。伊瀬新九郎は紅緒に頭が上がらないからだ。

 さて、どう戦うか。

 呟き、新九郎は〈闢光〉をさらに数歩後退させる。

 おそらく、今度の二体も星鋳物の弱点を突いてくる。慎重に慎重を期するに越したことはない。

 すると、滞空していたブリゾードの方が動いた。

 大きな羽ばたきとともに、巨体が嘘のような一瞬の加速。〈闢光〉の電子頭脳による警告が遅れる。崩れたビル街を縫うような、疾風のごとき突撃だった。

 〈闢光〉が腹部のビームレンズを展開し、迎撃のオルゴン光線を放つ。だがブリゾードは、速度を全く緩めることなく、進行方向を軸にして回転して射線を躱す。続けて放った三発もすべて躱される。撃ち落とせない。

 咄嗟に構える〈闢光〉。その右側面にブリゾードが接触しながら通過する。翼の刃が、黒鋼の右篭手の上を滑る。巻き上がる砂塵。ペンローズ・バリア同士の接触で火花が散った。

 飛び去るブリゾードへの自動追尾で機体を転回させようとしてまた警告。〈闢光〉の右脚が凍りついていた。地面から生えた氷の柱に脚部が包まれており、その状態で右脚を動かそうとしたために高負荷の警告が上がったのである。

 正面のボルカガン。背後で滞空するブリゾード。挟まれた〈闢光〉が、右腕の装甲を展開させてビームレンズを露出させる。

 その時、新九郎の目が、夜の帝都に空から舞い落ちる白いものを捉えた。

 雪だった。

 操縦席は完全に断熱されているため、気温の変化を新九郎は感じない。外気温センサも狂ったままであり、正確な気温はわからない。それでも、薄曇りの街に急に雪を降らせるほどの気温低下。何か恐るべきことが起こっていることはわかった。

「まさか」と新九郎は呟く。

 周囲の熱エネルギーを奪って冷やすのが二ッ森凍の能力。今、冷刀怪獣ブリゾードは、空気中の水分が凝結して雪になるほどの急速な気温低下を引き起こしている。ならば、奪われた熱エネルギーは、どこへ行くのか。

 既にどれだけの燃料が、通りの向こうでじっと身を伏せている砲熱怪獣へと注ぎ込まれたのか。

 銀色の鳥獣が、空を劈く鳴き声を上げた。

 溶岩色の四足獣が、背中にそびえた二枚貝のような器官を大きく開いた。

 赤熱した溶岩のような橙色の線が、発光しながら血管のようにボルカガンの表皮を走る。冷気と引き換えに生み出された豪熱が、二枚貝の中心へと次々と注ぎ込まれる。

 そして炎が放たれる。

 二枚貝の奥から天へ向けて発射された火球は、放物線を描く。

 回避が間に合わないと悟った新九郎。〈闢光〉が両腕を組んで受け身を取り、光波防壁の出力が最大に。

 回避できないわけではない。

 回避しても無駄なのだ。

 炎が落着。視界が炎の赤に染まる。機体が揺さぶられ、操縦席の衝撃吸収機構の限界を越えた振動が新九郎の全身を突き上げる。

 〈闢光〉を中心に火柱が上がった。その轟音を貫いて、ボルカガンの大地を震わせる咆哮が響く。続けて次々と飛来する火球に、瞬く間に丸の内が火の海になる。残っていた街路樹が炭化し、衝撃に東京駅の赤煉瓦が崩落する。

 右脚を固定していた氷が溶ける。炎に開いた僅かな間隙から応射するも、熱の壁がビームを歪曲させ、ボルカガンに直撃せずに背後の街を吹き飛ばす。

 着弾点を中心に周回飛行するブリゾード。放射された余分な熱量が回収され、再びボルカガンへと注ぎ込まれて火炎弾となる。直径およそ五〇〇米の殺戮領域。ボルカガンの砲撃は大雑把だが、逃れようとすればブリゾードが敵の動きを止め、さらに砲撃の誘導の役割も担う。無駄のない連携攻撃。その上、個々の戦闘能力も極めて高い。

 操縦席の新九郎に、かつて目にしたことのない警告が上がる。

 翠玉宇宙超鋼の吸収限界が近づいていることを告げるものだった。

 二重スピン状態のマイクロ・ブラックホールにより外部からの衝撃や熱光学的・化学的な侵襲を吸収する〈闢光〉の翠玉宇宙超鋼だが、単位時間あたりの吸収量には限界がある。無限に吸収できるのならば装甲自体が形を保てないからだ。だがこれまでに対峙したどんな敵の攻撃も、この限界値に達したことはなかった。

 最強なはずの星鋳物に、この上ない力技でこじ開けられた弱点。

 新九郎の額を汗が伝う。決して暑さのためではなかった。

 昨日の夕刻、エフ・アンド・エフ警備保障の、辛うじて事務所としての体裁を保っている室内で、新九郎は二ッ森姉妹に、彼女たちとの有効な戦い方を尋ねた。もしもこの敵が伊瀬新九郎の周辺人物を解析して怪獣化しているとすれば、帝都最強の女たちである二ッ森焔と二ッ森凍を鋳型にされた時が一番厄介であると知れたからだ。

 訊かれた二ツ森凍は、片手の人差し指を立て、愛らしく片目を瞑ってこう言っていた。

「まともに戦っても勝てませんわ」



「……起きてる」早坂あかりは絶句していた。「明日は雪ですか」

「雪ならもう降った」新九郎は簡易寝台を降り、事務所の窓を開けた。

 七時半。朝の空気が、汗まみれの新九郎の肌を冷やした。

「また、夢の中で戦ったんですか?」

「ああ。恐ろしく厄介な相手だ」

 制服姿のあかりが眉を寄せる。「もしかして、昨日言ってたみたいに……」

「そのまさか。今度は焔と凍だよ」

「倒せたんですか?」

「いや、また途中で目が覚めた」

「勝てるんですか?」

 珍しく茶化しのない不安げな声。新九郎は思わず振り返った。

「悔しいが、凍の言った通りだ。まともに戦っても勝てるか怪しい」

「そんな……」あかりの手が袴を掴んだ。「もし負けたら、どうなるんですか。損傷は現実の〈闢光〉にも影響するんですよね」

「だから、まともには戦わない」

「どういうことですか?」

 新九郎は、窓の向こうの空と、相変わらず低く漂う紫の雲を睨んだ。

「こちら側で、あれを斬る」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る