3.銃はあくまで護身用

「調査については請け負います」と紅緒べにおは言った。「井端仁。井端鉄工所の主。五〇歳。妻とは五年前に死別。職人なのに手が生身じゃねえとは、苦労しそうですねえ。子は二六で独り身の娘がひとりだけ。あたしも一度、ここの職人さんにお世話になったことがあります」

「紅緒さんが?」

「ええ。うちの表に並べてる芸者からくり、あれが壊れた時に、お得意さんからの紹介で修理をお願いしたことがあるんですよ。えらく腕のいい方でした」

 上野千束、吉原仲之町の遊郭〈紅山楼〉。

 伊瀬新九郎の姿は、無数の金魚が泳ぐ琉球畳の奥座敷にあった。

「しかし先生、なんだってまずあたしのところへ?」

「というと」

「別にただの男の身辺調査くらい、ご自身でなさったらよろしいじゃありませんか。それとも、別のお目当てがあるんですかい?」上目遣いに微笑む紅緒。「あたしはいつでも歓迎ですよ」

 違いますよ、と先にはっきり断ってから新九郎は応じる。「この一件、僕は別の線から追いたいんです」

「行方不明になった井端ではなく?」

「はい。僕は彼の仕事の依頼人が気になる」

「グモ星人、ですか。確かにあれも、敵が多い種族と聞きますからねえ」

 新九郎は煙草に火を点ける。「この件が、単なる呑んだくれ職人の行方探しで済むのならいい。済まなかった場合の備えが、僕ですから」

「行方知れずの理由は、見当もつかないんですかい」

「今のところはね。なぜ、娘の前から姿を消したのか。今、どこで何をしているのか」

 紅緒も煙管に刻みを詰め、火を点ける。「そうそう。グモ星人と言えば、ちょいと小耳に挟んだことがございます」

「ほう。それはどんな」

「連中の地球訪問の、目的ですよ」紅緒は心なしか声を潜める。「市長との会談後の記者会見で、地球への超光速通信網の敷設を発表すると、専らの噂です」

「それは……喜ぶ人々も多いでしょうね」

「ええ。宇宙軍へ従軍した兵士の家族。それだけじゃありません。グモ星人に、地球が認められた証でもありますからね」

 グモ星人は、自身が保有する技術の供与については、星団評議会に対する拒否権を有している。評議会がこの星に超光速通信網を敷設すると決定を下しても、グモ星人がそれに能わずと判断すれば、敷設することは罷りならないのだ。

 それはグモ星人の優位性をこの銀河で保つこと以上に、無秩序な技術の拡散とそれによる争いを危惧する姿勢の現れでもある。地球にも超光速航行が可能な宇宙艦隊が既に現存しているが、これは脱法的なものであり、グモ星人が正式に認めたものではない。地球における歪な技術発達の一例である。

 つまり超光速通信網の敷設は、人類は宇宙からの民を受け入れるのみならず、宇宙へ旅立つ資格を持つ気高い種族である、ということの証なのだ。

 紅緒は煙管を吹かす。「問題は、なぜ今なのか、です。先生」

「仰っしゃりたいことはわかりますよ、紅緒さん」と新九郎。「早坂くんですね」

「ええ。あの娘が帝都へ来て、例のエレカイザーの一件を解決して、いきなりですから。そのふたつを結びつけている人間は、まだそう多くありませんが……」

「前にも言いましたが、それで彼女が彼女であることが変わるわけではありません」

 さいですか、と紅緒は応じる。それきり沈黙が降りた。

 早坂あかり。史上最年少の特級異星言語翻訳師。

 今頃は授業中。初めはどうなることかと気を揉んだが、どうやら学校に友達もできた様子。まだ一五だが、もう一五の娘である。余計な心配は無用であると、新九郎は考えることにしていた。

 階下からは慌ただしい物音がする。耳を澄ませば女たちの艶めいた声も。今は週に二日の昼見世の時間だ。蝶が翔び立つ擬宝珠の回廊に並んだ部屋は八割方が埋まっている。さすがの繁盛店だった。

 腰を浮かしかけると、引き止めるように紅緒が言った。

「そうそう、玉ノ井の件、ありがとうございました」

「例の私娼窟ですか」

「ええ。健全な営業に戻ったと、噂に聞きました」

「僕の仕事のひとつですから」と新九郎は応じる。

 エレカイザー事件の折に、電文化・白川礁二の娘が客を取っていた墨東玉ノ井の私娼窟に警視庁異星犯罪対策課の捜査が入ったのは、二週間ほど前のことだ。新九郎は知人の伝手を使い、その見世で異星人娼婦が人間の客を取る様子を隠し撮り。その証拠を異星犯罪対策課長の財前剛太郎に渡した。

 特定侵略行為等監視取締官として、異星犯罪の捜査権と武力行使権を認められている新九郎だが、逮捕権はない。証拠を揃え、警察に渡し、手柄は警視庁が持っていく。そういう裏方稼業なのである。

 しかし難しいのは、潰しすぎないことである。

 何より肝要なのは均衡である。仮に玉ノ井やその他の非合法性風俗店が全滅すれば、そこで働いていた女たちは合法化されている吉原周辺に集まり、街娼や無店舗型業態を発達させる。結果吉原のみならず周辺地域の治安は悪化し、これまでの上客が離れる。秩序を守って経営されてきた遊郭・娼館の経営は傾き、帝都の性風俗産業が無秩序化する。

 幸い、今の警視庁は上層部から現場に至るまで、その塩梅を心得ている。見方によっては汚職が蔓延っているわけだが、ある程度は必要悪である。あくまで、ある程度は。

「娘は、元気にやっていますか」

「したたかで逞しい子ですよ。あたしもちょうど昨日、顔を見に行ったところです」

「それなら……」

 よかった、と応じようとしたときだった。

 階下の物音が急に激しくなり、女の悲鳴が聞こえた。紅緒の部屋の黒電話が鳴り、彼女は間髪入れずに取り上げる。

 新九郎は腰を浮かせる。慌てふためいたような足音が近づいていた。

 襖が勢いよく開いた。

 姿を見せたのは、裸に着物を一枚羽織っただけの遊女、揚羽あげはだった。長い黒髪を振り乱した彼女は肩で息をしている。

「なんだい揚羽、そんな格好で、みっともない。先生もいらして……」

「大変なんですよお、女将!」京弁や廓言葉というよりは、単に関西の言葉を適当に真似ただけのような強勢で、揚羽は言った。「お客さんが下で暴れてて……うち、腕掴まれて、あだだ、どないかなってしもうたかも」

 彼女が庇う左手首には、くっきりと赤い痕が残っていて、早くも腫れ始めている。

 紅緒は立ち上がった。「異人さんかい? 粂でも見破れない偽装皮膜ばけのかわなんて……」

「人間です」と揚羽。「右腕が筋電甲で……」

「筋電甲で、暴れたのかい」紅緒の言葉は明らかな怒気を孕んでいた。「先生。申し訳ないですが少しお待ちください」

「いえ、僕も行きます。男手に勘定してください」

「ちいと頼りないですね」

 そこへ禿の紗知が薬箱を抱えて現れる。

 揚羽の手当を紗知に頼み、新九郎は紅緒と共に階下へ降りた。

 回廊の一辺の真ん中あたりに、半裸の男がいた。左右から法被姿の男たちが取り押さえようと近づくが、鋼鉄の右腕を大槌のように振り回す男を前に、近づけない。既に怪我人も出ていた。

 客同士を決して鉢合わせにさせない原則を無視して、遊女たちと客がY字の階段の左右から階下へ逃れていく。

 紅緒が新九郎に耳打ちする。

「お得意様です。揚羽を贔屓にしてくださってる」

 〈紅山楼〉の客ならば、ある程度身分の確かな男であるはずだ。それも得意客となれば尚更。

 揚羽が余程客の気分を害する接客をしたのならともかく、彼女も仕事人だ。

 そして腕を振り回す男は、とても単に遊女の態度に怒っているだけのようには見えなかった。

 男の歳のほどは四〇半ば。左腕に嵌めた腕時計が収入の高さを証していた。年相応に腹は出ているが決して不均整ではない身体からは、自分を律することに慣れた性格が窺えた。だが、獣のように歪んだ表情からは理性が見えない。醜男なのか男前なのかもわからない。

 紅緒が手近な男を捕まえて、馴染みらしき警官を呼ぶよう指示を出す。新九郎はそれを遮って言った。

「異星犯罪対策課の財前刑事をお願いします。筋電甲は、異星技術だ」

 法被の男が「承知しました」と一礼して階下へ駆けていく。

 この店に勤める男たちのうち半数は、隠密衆として体術の心得のある者たちだ。だがそんな男たちでも、狂乱に陥った筋電甲の男には近づけないでいる。

 すると紅緒が、大胆にも一歩踏み出した。

「斎藤さま。どうかお気を確かに。何かお気に召さないことが……」

 すると男が、筋電甲を振り翳し、吠えた。

「紅緒さん、下がって!」

 新九郎は紅緒を片手に庇い、前に出る。筋電甲の男が跳躍する。給仕の女が悲鳴を上げる。新九郎を知る古株の小間使いが「先生、危ねえ」と叫ぶ。

 新九郎は呼吸を整え、左胸元の流星徽章に手を翳した。

 すると徽章は見る間に変形し、銀色の小型拳銃となる。銃把と引き金、銃身だけの単純なものだ。六角柱の銃身は先端に行くに従って細くなり、中程で段がついてまた六角柱が延びている。

 眼前に迫る男。新九郎は目を見開き、引き金を引いた。

 銃身の先端から稲妻のような光線が奔り、不規則な軌道を描いて男の右肘に命中。炸裂音と共に筋電甲が引き千切られ、三度跳ねて板張りの廊下に落ちた。

 ふう、と息を吐くと、光線銃は見る間に元の流星形の徽章へと戻り、新九郎の胸元に収まった。

 その場に倒れた男は泡を吹いて昏倒している。新九郎もたまらず、床も構わず腰を下ろした。

「参った……こういうのは得意じゃないんだ、僕は」

 紅緒が目を瞬かせて言った。「意外な特技をお持ちじゃありませんか」

「護身用ですよ」

 落ちた筋電甲は断続的に痙攣している。危険はないか観察していると、破断面に妙な液体のようなものが滲んでいることに、新九郎は気づいた。

 その銀色の液体は、ぬるり、と筋電甲から抜け出し、板張りの隙間から階下へと消える。

「何だ、今のは」

 言い、立ち上がろうとした新九郎だったが、その場につんのめった。

「先生? どこかお怪我を?」

「いえ……腰が抜けました。立てません」

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