第2話 話せばわかると人は言う

魔水銀 ロバトリック星人 合体鋼人 クロームキャスター 登場

1.女と嘘

「人を探して欲しいんです」とその女は言った。

 時は夕刻。所は帝都東京、上野入谷の鬼灯探偵事務所。一階の〈純喫茶・熊猫〉の献立表が夜のものに変わる直前の時間に現れたその女は、目を引く清楚な出で立ちだった。

 初夏に相応しい涼し気な水色のワンピースに白いつば広の帽子とショール。ささやかなヒールを遠慮がちに鳴らして熊猫に現れた彼女を見た店主・大熊おおくま武志たけしは「ありゃどこの偽装皮膜だ」と呟き、「何色目使ってんだ、人間だよ」と妻の雪枝ゆきえに耳を引っ張られていた。

 応対する伊瀬いせ新九郎しんくろうも、膝を揃えてソファに腰掛け伏し目がちなその女を前に、緊張している様子だった。この男、美人に弱い。あるいは三〇絡みの男はみな美人に弱いのかもしれなかった。

 一階からもらった珈琲を出し、下がろうとしたあかりは新九郎に呼び止められ、手招きされる。彼の片手は、応接ソファの空いた席を指していた。隣に座れ、ということらしかった。

 女は、井端いばた彩子さいこ、と名乗った。名刺も持っていた。

「井端鉄工所……?」

 首を傾げたあかりに新九郎が言った。「荒川沿いの、新小岩や小松川のあたりには工房街があってね。超電装みたいな、一個ものの機械で、特注品が多いものの部品を受託製造する非財閥系の小さな工場が並んでるんだ。ですが井端というと、確か最近」新九郎は正面に座る彩子に向き直った。「ルーラ壱式小電装キャストマン。かなり売れているとか。学生時代の知人が、やけに褒めていたのを聞いたことがあります。井端の新型はまるで人だと。その上、小型星人の乗り込み操作も想定されている。よそにはない特徴だ」

「よくご存知で。余程お詳しい方なのでしょうね。うちのような、小さな……」

「とんでもない。少ない動きに特化させるからくりの類より、一枚上手の技術だ。操縦用の部品を積めるのも、井端のだけなのでしょう」

「光栄です。あれは我が社の誇りですから。おかげさまでご好評いただき、経営もかなり上向きまして」

「しかしね、井端さん」新九郎は煙草に火を着け、続けた。「うちは異星人専門です。人探しなら、失礼ながらそこの二丁目の角を曲がったところの警察署に……」

「確かに父は人間です。ですが、直近で請けた仕事のご依頼主が、異星の方々なのです」

「と、いいますと」

「グモ星人です」

 ほう、と新九郎が驚嘆の声を上げた。

 井端鉄工所の主・井端じんが最初に小電装・ルーラ壱式の発注を受けたのは、およそ三ヶ月前のこと。依頼主は他でもない天樹。担当者は、口外しないという約束で、グモ星人が地球来訪時に使用するのだ、と告げた。だが、当時の発注数は二体。それが先週、突然三〇体に増えたのだ。

「私含め従業員らはみな反対したのですが……父は、在庫品を彼らに合わせた操縦席に改造すればいい、問題ないと言って、請けることにしました」

「どうしてまた、そんな急に?」

「わかりません。天樹の方が言うには、当初二名の先遣隊のみの予定だったのですが、グモ星人らのたっての希望で、大人数での表敬訪問になったのだ、とか。ちょうど天樹の麓で、かの〈闢光びゃっこう〉と変な超電装が戦った一件の、直後だったと思います」

 新九郎は少し考えてから応じた。「驚異を見たのでしょう。地球人に」

「驚異?」

「あの先生」あかりはたまらず口を挟んだ。「そのグモ星人という方々がいらっしゃるとして……どうしてその、小電装が要るんです?」

「小さいんだよ」

「小さい」

「そう。体高およそ一〇センチ。だからこの星に来るなら、等身大の機械の身体が要るってわけ。アジアと欧米の首脳会談後の記者会見だと、アジア人首脳の方が演説台の踏み台が高いだろう。立った時に目線の高さが揃い、対等で公平な交渉が行われたと印象づけるためにね。それと同じだよ」

「そんな凄いひとたちなんですか?」

「星団評議会の使う超光速系技術は大体グモ星由来だ。平和維持軍や……巡り巡って我らが帝国宇宙軍の翠光艦隊も、彼らの技術なくして成り立たないね」

「優れた科学技術の持ち主?」

「それと気高い精神の」新九郎は煙草でひと息入れて続ける。「……助手が失礼、話が逸れました」

 助手。また少し扱いが上がった。

 井端仁は、自社の製品が文明間の対話の道具となる、ここで踏ん張らなきゃあ男が廃る、と気合十分。従業員や、他ならぬ井端彩子も、その情熱に感化されていった。そして井端鉄工所は休みなしでルーラ壱式の換装と調整に明け暮れる。近隣の工房が驚き、茶や握り飯を差し入れるほどの気合の入れようだったのだという。

 そんな矢先に、当の井端仁が、姿を晦ました。これが一週間前のことである。

 テーブルに置かれた写真を覗き見る。総白髪を肩ほどに伸ばして後ろで束ねた、よく日に焼けた男だ。重ねた齢の分だけ顔に刻まれた皺。いかにも気難しそうな口髭。誰にも飼い慣らされない職人の目が、写真越しに睨んでくる。

「それは確かに、妙な話ですね」新九郎は煙草の灰を落とした。「動機がない」

「そうなんです」彩子は身を乗り出す。「父は元々酒癖が悪く、酔い潰れて数日帰らないこともよくありました。母が死んで、自分も直後の仕事中の事故で左手首を筋電甲オートシェルに換えてからは、尚更。ですから警察も、まともに取り合ってくれなくて……」

「酒癖、ね。お煙草は吸われないのですか?」

「灰で部品が汚れるからと、嫌っていました」

「……吸ってみれば、よいところもあるものですが」少し寂しそうな顔になる新九郎。「まあこれは、知らない人にはわからないものです」

「それで呑んだくれなのですから、褒められたものでは」

「……失礼ですが、少し意外ですね。妻を亡くした呑んだくれの男が、ルーラ壱式のような逸品を」

「腕は職人の魂。母に続いてそれを失くしてから、魂が抜けたようだったのですが……ある時腹を括って心を入れ替えたのです。このままではいけない、死んだかかあに申し訳が立たねえ、と」

 膝に揃えた手が拳を作る。その爪先が、淑やかな出で立ちに見合わず短く切り揃えられていることにあかりは気づいた。よく見れば、ところどころに機械油の汚れが染みついている。肩ほどの髪にも、結わえた跡が残っている。

 人は見かけによらないし、見かけで人を判断するべきではない。伊瀬新九郎もまた、同じことに気づきつつあるようだった。

「お酒の関係で、揉め事は?」

「あったかもしれません。ですが……」

「文明と文明の対話のための道具作りを放り出して、どこかへいなくなるような男ではない」新九郎は煙草を揉み消した。「いいでしょう。お請けします。手付は、これが異星人絡みの事件とわかった時で構いません」

「よろしいのですか?」と彩子。「正直、うちの工房は仕事は多くとも、利益率が低いのです。父も、義侠心が強く、価格については頑張りすぎてしまうところがあって……」

 よろしいのか、と訊きたい気持ちはあかりも同じだった。

 天樹の仕事で懐は温かいと新九郎は言っていたが、銀行口座の残高をこの目で確かめたわけではない。そして異星人専門の看板を掛け直す決心を固めた男もまた、行方知れずの井端仁と同じく、後先顧みない義侠心の塊だ。こういう男が言う「金ならある」ほど信用ならない言葉はない。

 確か、そんな精神を美化した言葉があった気がする。あかりが頭を捻っていると、まさに隣の新九郎が、いかにも頼もしげな微笑みで言った。

「帝都の男はみなそうです。宵越しの銭ァ持たねェ、ってね」

「お隣の助手さんが怖い顔をしておいでですが……」

「む……」新九郎は眉を上げる。「どうした早坂くん。何か気になることでも?」

「いえ、別に……」

「気になることなら言ってくれないか。君の勘はあてになる」

「なんでもないですって」

「そうか」新九郎は眉を顰め、相好を崩して彩子を見た。「どうも、年頃の娘は難しい」

「心配なんですよ。……ね?」優しげな笑みがあかりを向いた。

 子供扱いされて嫌なような、それはさておき嬉しいような。故郷の姉が時々見せる表情によく似ていた。

 それからは細かい情報の聞き出しだった。井端仁の普段の行動、行きつけの飲み屋。娘の彩子が知る限りの交友関係。井端鉄工所の最近の取引相手。写真を受け取る。

 そしていつしか、互いの身の上話に及んでいた。

「帝大。それも工学部星外技術学科。あそこの教授は変人揃いと聞きますが」

「まったく仰る通りです。ですが、女の私でも研究に没頭できる環境でした」

「ご研究は何を?」

「筋電甲の全身適応、つまりサイボーグについて」

「それは……夢のある。小電装の開発にも通じる研究だ」

「おかげさまで行き遅れました」彩子は指輪のない左手をひらひらと振った。「先生は、ご結婚は……」

「三年ほど前に妻を亡くしました。以来、縁に恵まれませんで」

「見る目がありませんね、帝都の女は」

「男もでしょう。あなたを見過ごしているなら」

「まあ」

「はいはいお上手ですこと」たまらずあかりは口を挟んだ。

「む……」新九郎は首を傾げる。「どうした早坂くん。何をむくれているんだ」

「いえ、別に……」

 そうかい、と応じて新九郎はまた彩子の方を向いてしまう。「僕も帝大の、法学部なんです。今となっては、ただ出ただけですが」

「道理でお詳しいと思いました。法学なら、引く手あまただったでしょうに」

「しばらく東京警視庁におったのですが……色々ありまして、今はご覧の通り。出自が問われない気楽な身分です」

 それからふたりは帝大の食堂やら事務員の癖やら、学生寮の主の話やらにしばし興じる。

 もう口を挟むのをやめて、観察に徹することにした。そして気づいた。

 新九郎が、いつの間にか煙草を吸うのをやめていた。

 半刻ほども話し込んで、彩子は腰を上げた。

「それでは先生、調査の方よろしくお願いします」

 お任せください、と応じ、新九郎は自ら立って事務所の扉を開けた。

 帽子を被り、ショールを肩に掛けて一礼する女。戸を閉じ、新九郎は煙草に火を着けた。

「どう思う、早坂くん」

「いい雰囲気だったんじゃないですか。美人だし、素敵だし、頭もよさそうで」

「そういうんじゃなくてね」新九郎は苦笑して窓際に立つ。

 煙草を吹かし、往来を見下ろす眼差しに茶化しの色はなかった。

 肩越しに同じように往来を見下ろしてみれば、井端彩子が片手を上げて円車タクシーを止めたところだった。

 自分の吐いた煙を浴びながら、新九郎は言った。

「彼女、嘘をついているね」

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