3.狸と蜥蜴

 中折れ帽に革のブーツ。藍の着物にねずみ色の袴。持ち物は財布と手帳と、煙草とライター、それに眼鏡入れのような小箱だけ。全て懐に収めた伊瀬新九郎の歩みは早かった。一九〇糎はあろうかという長身である。

 帝都の舗装は異星砂礫が三割、土瀝青アスファルトが四割、残りの三割が膠石セメントや煉瓦だ。主に景観を重んじる地域は煉瓦、天樹に近い地域や重要な公共施設は異星砂礫が用いられている。男の靴音は重い。きっと気が進まないのだ。

 天樹到来以来、日本では石油資源への依存度が下がる一方。代わりに用いられているのが、精気炉とも、蒸奇機関とも呼ばれる、ヴィルヘルム式オルゴン・スチーム・エンジンである。小規模な真空相転移により発生したエネルギーを直接駆動体へ供給するこの内燃機関は、稼働に翡翠色の発光を伴う。つまり車が光で宙を走るのだ。

 地面から三〇糎ほど浮いて走る円車タクシーに目を奪われていると、新九郎の姿が随分遠ざかってしまっていた。草履履きの足が痛む。無事雇ってもらえたとして、最初の給料で絶対にブーツを買おうとあかりは思いを固める。

 行き着いた先は、あろうことか上野の駅前だった。

 破壊されたはずなのに元通りになった駅舎と広場、周辺の建物群。だが舗装はところどころ波打っている。

 つい先刻倒された青い超電装は今もその場に横たわっている。辺りに押し寄せる野次馬と、それを押し止める制服警官たち。中には陸軍憲兵隊の姿もある。

 数台の車両に並んだ陸軍所属の都市警備用超電装、四八式〈兼密かねみつ〉の巨体が、明日の一面を飾る写真を求める記者たちの前に立ち塞がる。超電装運用の先進国である仏蘭西で開発された〈パスティーシュ〉という機体を元にした改造機である。

 〈パスティーシュ〉はかつての戦争におけるパリ解放の立役者と名高い名機だが、戦後日本へ持ち込まれ、〈兼密〉と名を変えてからその姿も大きく変わった。一応人型だが移動時には腕も使う。足は短く腕は長い。まるでニホンザルだ。武装は制圧用という名目の、超鋼十手と刺股。そのくせ灰色基調の都市迷彩塗装で、銃剣付きの突撃銃なども備えるのだから可笑しさがある。おかげで市民からもろくな呼ばれ方をしていない。

 野次馬の言い交わす声があかりの耳に届いた。

「おっかないねえ、狒々神サマは」

「あんま見んでねえ、キーキー吠えられっぞ」

「お猿の大将に吠えられたって怖かねえや」

 伊瀬新九郎はそんな野次馬を意にも介さず、警察が引いた規制線を跨ぐ。あかりもやや躊躇ってから、同じように跨ごうとして、肩を落として潜った。

 制服警官らが新九郎に気づき、腰の警棒に手をかけて近づいてくる。だがそんな彼らを制する背広の二人組があった。

「よお伊瀬の、今頃ご登場か」

 総白髪を短く刈った恰幅のいい色黒の男。近づく足音は左右で違った。右脚が筋電甲オートシェルなのだ。だが、先刻出会った挺身隊の少年ほど高性能のものではないらしく、足取りは少し覚束ない。片手を挙げながら笑顔を浮かべているさまを見るに、伊瀬新九郎とは親しいようだった。体型のせいか、陶器の狸を彷彿とさせた。

「財前さん」と新九郎が応じた。「少し野暮用がありまして」そう言ってあかりの方を一瞥する。

 あたかもこの小娘のせいとばかりの仕草。寝てたくせに、というひと言をあかりは飲み込んだ。

「なあにが野暮用だ。こっちは六本木で神林の事務所が潰れて大騒ぎだってえのによ」

「それは警視庁の事情でしょう」新九郎の口調は冷たい。「やくざの貸金業者だ。潰れた方が世のためです。榊は?」

「上野署で事情聴取の真っ最中だ。あの様子なら、直に超電装の入手経路も吐くだろうさ。わかったら知らせる。お前さんの関心事はそれだけだろう?」

 新九郎は煙草に火を着け、一息吸い込んでから応じた。「それだけならいいのですが。今回は少し込み入っているようだ」

「というと?」

 何か言いかける新九郎。すると横から、もうひとりの背広が口を挟んだ。

「財前さん、そんな腰抜け、構うことはありませんよ。天樹の仕事だか知らないが、これは警察の領分です。探偵風情に口を出される謂れはないでしょう」

「そう言うなよ駿ちゃん。憲兵の堅物よりはこいつの方が話が通じる」

「門倉です」そう応じると、彼は新九郎に歩み寄り、左手で新九郎の煙草を奪った。叩くかのような素早さ。あかりは息を呑んだ。

 気障な前髪の門倉という男は、まだ二〇代くらい。細面の二枚目だが、鋭い目つきは敵意に満ちている。藪から迷い出た蜥蜴を思わせる男だった。

 門倉は、奪った煙草を自分の右手に押し当てる。掌は艶の落ちた鋼。筋電甲だった。

「駅前は禁煙だ、探偵」言い、火の消えた煙草を足元にこれ見よがしに落とした。「拾え」

「……君も変わらないな、門倉」意外にも、新九郎は膝を折り、素直に煙草を拾った。

「で、新九郎。込み入ってるってのはどういうことだ。それに、そちらのお嬢さんは」財前は人好きのする笑顔をあかりへ向けた。「親戚かい? それとも……」

 新九郎は袴の埃を払う。「お仕事体験ですよ」

「あの、わたし、早坂あかりといいます。この通り」胸のヘドロン飾りを見せてあかりは言った。「異星言語翻訳師です。事と次第によっては、お役に立てると思います」

「事と次第。こりゃ一本取られたな」財前は豪快に笑う。「なんとまあ、特級か。新九郎、お前ようやく表稼業の看板を掛け直す気になったのか?」

「今日だけですよ」と素気なく応じる新九郎。「僕が追っていたのは榊ではありません。白川しらかわ礁二しょうじという、都市設計師の男です」

「異星砂礫の電文家か? するってえと……」

「ええ。このところ、都市恒常化機構の誤作動が頻発しているのは、ご存知でしょう」

「当たりめえだ。六本木の一件だろ」

「このあたりのは、今のところ正常のようですが……」

「そうでもない」と応じたのは門倉だった。目線は明後日の方を向いている。新九郎と目を合わせたら死ぬとばかりの仕草だった。「作業中も何度か駅舎に不審な変形があった。時々舗装が不規則に脈動するから重機が迂闊に立ち入れない。おかげであの醜い鉄狒々を呼ぶ羽目になったんだ」

 舗装が乱れていたのは気のせいではなかった。あかりは今しがた歩いてきた方を振り返った。

 広場の中心に、光る球体を内に抱えた正四面体の枠がある。これが、都市恒常化機構と呼ばれる、異星砂礫の制御端末だ。地球人の技術水準では未だ完全な理解には遠い。だが宇宙技術を学んだ少数の専門家ならば、要素の変更程度に限られるものの実行可能だ。そのための符号化命令文を記述できる技術者が都市設計師、あるいは広く電文家と呼ばれている。

「その白川が、その六本木周辺を司る終端装置の誤作動直後に、近辺で目撃されたんです。もしも一連の誤作動が彼の仕業だとすれば、星外技術の私的濫用を禁じた星団憲章の第六条に違反している疑いがあります」

「訊くが、探偵」門倉が舌打ち混じりに言った。「その情報はどこで仕入れた?」

「あなた方が神林組の事務所の損壊を厄介と言うのは、神林組と敵対する異星人系マフィアと仲良しだからだ。そして僕にも、仲良しの筋があるのかもしれない」新九郎は懐の煙草を取り出しかけ、収める。「あなた方が赤星レッドスター・一家ファミリーに肩入れするのは勝手だ。僕も勝手にやらせてもらう。それだけだ」

 門倉は気色ばむ。「例の女か。探偵風情が、調子に……」

「まあ待て、駿ちゃん」財前が割って入る。「それで白川の行方は。お前さんもまだ掴めていないのか」

「だから榊を追っていました。やつは白川を脅迫していたようで。白川、一七の娘がいるんですが、これが最近行方不明になっている。白川の経歴を当たりましたが、至って綺麗なものです。最近事業に失敗して、資金繰りに困っていたことを除けば」

「それで榊に脅迫されて、異星砂礫の制御を狂わせた。榊の方の目的は……まあ直に喋るだろう。骨のなさそうなイレズミ者だ」

「何が出るか、です。六条だけなら、大した話ではないのですが」

「九条案件だと?」

「ええ。もしそうなら、これは完全に警察の管轄を外れます」

「流星徽章の出番か。天下の星鋳物せいいぶつが出張るわけだ」

 新九郎は一度左右を見回して言った。「榊から何か話が聞けたら、事務所に知らせてください」

「なんだ、もう行くのか。久しぶりに一杯どうかと思ったんだが」

「僕の見立てでは、あまりのんびりもしていられない。それに」新九郎は口の端で笑う。「そこの蜥蜴に噛まれたくはないのでね」

 誰が蜥蜴だ、と目を三角にする門倉。

 たとえ鬼灯探偵事務所の看板が降りていたとしても、伊瀬新九郎が何もしていないわけではないらしい。とはいえもっと疑問なことがあった。言うべきかしばし迷ってから、意を決してあかりは言った。

「あの、ずっと気になってたんですけど」

「なんだいお嬢ちゃん」と財前。

「あの青いのと戦っていた黒い超電装、一体なんなんすか?」

 すると門倉が目を丸くした。「闢光びゃっこうのことか? あれは……」

「星鋳物・闢光」と新九郎が遮って言った。「あれは特別だ。君が気にすることじゃないよ。早坂くん」

 初めて名前を呼ばれた。「どういうことですか?」

「そうだ、財前さん」新九郎は、黒い超電装の話は終わりとばかりに続ける。「榊、量子倉クアンタ・クロークを使っていました。第四条、安全保障に関わる特定該当技術の無許可私的利用。警察の怠慢で市中に持ち込まれてしまったわけではありません。あれは確実に、僕の管轄だ」

「好きにするがいいさ。こっちも好きにする。市民の安全のために」

「ええ。好きにします。地球の平和のために」

 そう言うと、新九郎は会釈して踵を返した。あかりも慌てて後を追う。

「あの、」なんと呼びかけようかと、自分の語彙全部へ思いを巡らせ、あかりは言った。「先生」

「なんだい」

「たくさんお伺いしたいことがあるんですけど、まずひとつだけ。……星団憲章第九条って、なんなんですか?」

 新九郎は前だけを見たまま応じた。「領土の保全、政治・経済の独立に対する、星団憲章と両立しない武力の行使または武装の教唆、特に発展途上文明に対するものは、これを固く禁ずる」

「えっと……」

 新九郎は足を止めて振り返り、あかりの目を真っ直ぐ見下ろして言った。

 侵略。

 耳慣れない言葉だった。

 世間には、星団憲章を振りかざして降りてきた天樹の気高き宇宙の民を、侵略者と呼ぶ人もいる。宇宙人同士の代理戦争の場となった地球を管理し、あまたの種族の無秩序な進出を規制している彼らの存在なくば、今頃地球はどこかの星の植民惑星となっていたに違いない。ちょうど戦中に、西欧列強が途上国を分割統治し、資源と労働力を搾取したように。

 それでも尚、この星への侵略を試みる種族が存在するのか。

「あの、先生のお仕事って、一体……」そう問いかけた時だった。

 胸のヘドロン飾りが熱を帯びた。そして何者かの声が聞こえた。

 地球人が発することも理解することもできないはずの言葉が、飾りに閉じ込められた蒸奇結晶によって精神の波動となる。ただ学ぶだけでは決して到達できない、特異な才能を持つ特級異星言語翻訳師だけが持つ対話技術だ。

 だがこれは、ただの受話だ。誰かが、別の誰かと交わし合う言葉が、たまたま聞こえたのだ。

 耳を澄ませ、周囲を窺う。

 目に留まったのは、広場に設置された、都市制御機構の端末であるという、高さ三米ほどの正四面体だった。

 新九郎が言った。「情報提供者のところへ行く。白川を抑えるのが早道だろう。榊は駒だ。駒を失ったとなれば、それを操る黒幕が、白川に接触……早坂くん?」

 声が途絶えた。

 早坂くん、ともう一度呼ばれ、「すみません、なんでもないです」とあかりは応じる。

 片手を挙げて円車を呼び止める新九郎。

 声はこう言っていた。

 遊ぼうよ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る