第138話 カムナビ


 ボスは揣摩摂愈の話を聞きながら、この砂漠の砂に、バイアスのようなものを感じていた。砂は夢を見るのか? それは空想とどのように異なっているのか? 揣摩摂愈はもはや、以前の揣摩摂愈ではなかった。だが、当の本人はそのことに気づくことができない。魚が自らが水中にいることを認識できないように、砂男は砂の中にいる間は自らが砂であることを認識できないのだった。揣摩摂愈は、56億7000万年の間、眠りから夢を奪われた砂男だった。

「ですから、わたしはそれをそのまま、丸のまま、ありのまま、砂のまま、砂漠のまま、呑み込もうと決めたのです。そうしてそうと決めてしまうと、時間もまた砂の移動にすぎないのだと、すぐに悟ることができたのです。わたしは身の程をわきまえていました。わたしは、イエスではないが、ヨハネだった。弥勒ではないが地蔵だった。芸術家ではないが批評家だった。ツッコミではなくボケだった。そう考えてみると、わたしをこの砂漠へ追放した、社史編纂室の庫裏唐孤塁は、はやり王だったのでしょう。ある意味、彼は律法者だった。だが、彼は文字に溺れたのです」

 揣摩摂愈からの、奇想天外な報告にあった社史編纂室の手書き書類文字案件を、ボスは片時も忘れたことはなかった。だが、やはりこれも、自らがどのような言語を発語し、また書字しているのかを客観的に判断することは不可能だった。魚が水の中にいて、と同じ理屈である。外部なくして差異は認識できない。どんなに些細な境界でもいい。あちらとこちらとを隔てる印がなければ、すべての判断は不可能になる。なぜなら判断とは、差異を判別することなのだから。そのためには、記号が必要だった。その記号とは、崩れ去った赤い塔、聖書では「バベル」と呼ばれたあの、UFOを呼び寄せる鳩舎なのであった。

「庫裏唐孤塁は、歴史の番人ではなかった。歴史そのものだった。だから彼は書字でなければならなかったのだ。歴史は時の権力によって改編される。それに対抗するためには書き記すしかなかったのだ。稗田阿礼? 歴史は寿命を超えて継続しなければならない。口頭伝承では不十分だった。神も仏も「発語」だった。だが、みなそれを「書字」にしてしまった。契約にしてしまった。契約は容易に破棄できるものだ。改竄できるものだ。線文字Aのような末路をたどるものだ。君もまた、プログラミングによって世界に関わる人だったね、揣摩君」

 ボスはそっと揣摩摂愈の右ひじと右手首をつかんだ。揣摩はそのままボスの胸に凭れた。

「君は砂に対抗し、砂に憑かれたのだね。長い間、君は私の来ることを待ち続けた。だがなぜ君は、あのシロアリの女王をプラズマガンで溶かしつくさなかったのかね?」

 ボスは腕に力を込めた。揣摩摂愈は顔をあげてボスを見た。ボスは涙を浮かべていた。

「君は気づいたはずだ。あのシロアリの女王こそが、工辞基我陣が、営業二課の未伊那深夷耶に命じて作らせていた『カムナビ』であったことを。あれは、砂に形を与える、いいかえれば砂の可能性を一つの現実へ固定させる装置だったのだね。当初それは、砂を制御しきれず、携わった者におそろしい原型を見せたり、時空を自在に操ってみせたりした。それは、装置と砂との争いだったのだ。タイラカナル商事で起きた不幸な事故のいくつかは、あの『カムナビ』の誤作動、というよりも『調整』のための試行錯誤だったといってよいだろう。つまりね。もう一度いうと、あれの完成系がこの『シロアリの女王』なのだ。あれが砂から空想力を奪っている。それを君は解明したはずだね」

 揣摩摂愈の口からザラザラと砂がこぼれ始めた。

「もうよい。君はよくやった。君の認識があってはじめて僕は初めて真相の端緒に立つことができたのだよ。だが、わたしは君が長い間わたしを待ち続けたことに感謝しなければならない」

 揣摩摂愈はもがき始めた。だがボスはひじょうに硬く重たい物質のように微動だにしなかった。

「砂は、絶対なのです。ボス。砂は邪悪なのです。それはあまりに純真なのです。砂は万能であるがゆえに何を成すべきかを知らない。ドグマを持たないのです。ですからわたしはボスを待った。ボスこそが弥勒なのです。砂に方向を与え、砂漠の民を導くものなのです」

 揣摩は自分の右肘と手首とがボスの腕でしだいにねじられていき、そのプラズマガンの銃口が自分の口へあてがわれていくのをとどめることができなかった。

「違うな。揣摩君。それは違う。君がわたしを待ち続けることができたのではない。砂がわたしを待っていたのだよ。君がリバースエンジニアリングしたのは、砂ではない。カムナビだったのだ。そして砂を固着させるのではなく、しだいに、水が染み出していくように、砂を周囲へ拡大させるための道具に作り変えたのだ。だから、わたしを待っていたのは君ではない。君は、56億7000年前に死んでいるのだから」

「死など、砂漠では無意味だということを、ボスは理解していません。砂は万能なのです。わたしはあのときのままのわたしではありませんか。記憶もある。熱意も誠意も忠誠心もある。それに砂があれば、時間などいかようにも操作できるのだ!」

「だ」の口にむけて、ボスはプラズマガンを発射した。揣摩は真っ黒な塩の塊となってボスの膝に崩れ落ちた。だがプラズマガンは、、揣摩摂愈の精神力をトリガーにしているはずではなかったのか? ボスはいかにして揣摩摂愈の精神を支配しえたのだろう?

 いや、それもよりもまず、揣摩摂愈が断末魔に指し示した砂漠の只中にそびえるビルヂングを見よ! あれはまごうことなき、タイラカナル商事社屋ではないか!

 ボスはその砂上の楼閣へむけて、脱兎のごとく突進した。まったく無傷のタイラカナル商事へボスは正面玄関から突入した。狙いは、営業二課の或日野文之の机。そこに刻まれた文字を確認することだったのである。


 と、この模様はすべて、釜名見煙新作作品ナンバー18の、あのタコブネモニターで、生中継されていたのである。

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