第117話 守秘義務

「ん? 誰か近くにいるのか?」

「いいえ、お兄様。私はいつも一人よ」

「そういうことじゃなくてさ…… まいいか。ちょっと今時間いいか?」

「ええ。よろしくってよ」

「そっか。えっと、あれだ。最近、どう?」

「ぼちぼちですわ。近頃は美白ブームで、サプリメントの共同開発ですとか。私は施術前後のお客様のお世話を仰せつかりながら、経理を見たり弁理士と連絡をとったりする片手間で、研究室の方のスケジュール管理なんかを任されているの」

 流石だ、妹。完全にあちらに溶け込んでいる。

「そうか。今は美白か。サプリメント開発に携わっているのならちょうどよかった。聞きたいことがあるんだ」

「守秘義務の範囲内でということになりますわよ。公式には、よろし?」

「もちろんもちろん。血を分けた兄と妹の間に、秘密なんて許さない、なんていってたのは幼稚園のころの話だものな。ああ。話せる範囲でかまわないさ」

「あら。それをおっしゃるなら、夫婦の間にではありまえせんでしたこと? お兄様は私をお嫁さんにしてくださるっておっしゃって、私、本当にうれしかったのに……」

「ゴホン・ゴホン。ごめんごめん。ちょっと、埃っぼくてね。それで、美白サプリなんだが、どんな企業や研究機関が関係してるのかな?」

「まあ。お兄様ったら。いいわ。お兄様になら教えてあげてよ。研究室は、イデア化粧品にあって、私も週に二三回お邪魔しているの。いろんな白い生き物がいてかわいいのよ。時折、インク会社の営業担当の方が見えて…… あの方、おもしろいわ」

「え!? イデア化粧品に、なんでインク会社が来るんだ?」

「私、存じません。色を扱うという点で何か関係があるのではなくって? ほら、タトゥーなんか、化粧でもあり染料でもあり、ぐっと距離が縮まるでしょ? あら、これはお兄様には釈迦に説法だったかしら」

「いや、なるほどね。それで他にはどこが?」

「まあ。本当に根掘り葉掘りお知りになりたいのね。私の縁談のときだってこれくらい熱心でいらしたら、私、心変わりしたかもしれませんのに」

「ゴホン・ゴホン。ごめんごめん。風邪かな。このところ天候不順だから。それで、病院とかインチキそうな教授とか、うちみたいな広告代理店みたいな会社も関係してるのかな?」

「そういったお仕事全般のことには、私疎くって。主人が言うには、ンリドルホスピタルの優秀な皮膚関係のお医者さまがアドバイザーになっていて、そもそもが、その方のお知り合いのカマナミケムリさんとかおっしゃる変わったお名前の方からのお話だったみたいね。お兄様の会社も、ンリドルホスピタルと最近、何かお始めになってのでしょ?」

「あ、ああ。そうらしい。新しいメンタルヘルス関連の福利厚生施設を設置するとか。消耗品調達部とはまったく畑違いだから詳しくは知らないけどね」

「トランキリティーカプセルと、仮想現実体験型アミューズメント施設を融合させて、エグゼクティブなリラクゼーションを提供するしくみだって、氷見先生が」

「氷見先生? それ誰?」

「まあ。お兄様ったらヤキモチかしら? なんて、冗談よ。フフフフフ」

「……」

「あら、本当にお怒りになったの? ごめんなさい。私、少し…… お兄様の声を久しぶりに聞いたものだから、あんまりうれしくって……」

「いや。悪かったよ。お前はかわいいから、僕はちょっと心配したんだ」

「大丈夫です。静ノはいつだってお兄様のことを忘れたことはありませんもの。それに最近は護身術だって習っているのよ」

「護身術だって? 何か、いけないことでもあるのかい?」

「いいえ。でもあの、この美白サプリのことで、裏社会の方々が暗躍なさっているという情報があるの。それで、今回の業務に携わる人はみんな、自分の身を自分で守れるようにって」

「そんなに、キケンなクスリなのか。あ、それで氷見先生というのは、その護身術の先生かい?」

「え? 違います。なぜ、そうお思いになったの? 護身術の先生は、薩它竝馬っておっしゃるのよ。頭首という流派の主宰をなさっていて、とても簡単で実用的に敵を無効にできるのよ」

「へえ。そんなにすごいものなのか。僕も何か身体を動かしたりした方がいいのかもしれないな」

「お兄様は大丈夫よ。敵なんて一人もいらっしゃらないんですもの」

「そうかな…… ああ、それで氷見先生というのは、そうするとどういう関係の先生なんだい?」

「え? 氷見? それどなたのこと?」

「え? お前がさっき氷見先生って言っただろ?」

「いやだわ、お兄様。きっとお仕事がたいへんなのね。氷見なんて人、私の周りにはいなくってよ。美白サプリの研究に関係している先生は、ンリドルホスピタルの千曲先生よ。先生はそりゃ皮にお詳しいの」

「へえ…… それで暗躍している裏社会の方については、何かわかってるのかい?」

「そうねえ。裏社会っていうくらいですもの。私達が表にいるのだとしたら、裏はなかなか見えないのじゃなくって? だけどヘンね。裏からは表がよく見えているみたいなの。それってとってもマジックミラー越しみたいだわ。私が私を見ていると思っていたら、実が裏社会が私を見ていたりするのね、きっと」

「そうか。具体的な組織やなにかは不明なのか……」

「まあ。そんなことはないのよ。私だって色々と対処しなければいけませんもの。密偵を雇ったりしているみたいよ。私少し、報告書を見たりしたのだけれど、何人かをマークして動向を探っているみたいなの。隊毛頭像とかいう名前を見かけた気がするわ」

「本当に、キケンな仕事なんだね。大丈夫か?」

「ご心配してくださって、静ノはとっても嬉しいわ。大丈夫よ。何かあったら真っ先にお兄様にお知らせするわ」

「ああ。本当に気を付けて。また連絡するよ」

「待っているわ。お兄様」


 妹との会話は、多数の情報をもたらしたが、それで事態が明らかになったかといえば、そうはならなかった。大筋が明らかになったが細部が皆目不明なため、結局、細部の集積としての大筋もまた霧の中といった塩梅だ。それに、この件にダッタンインクがどう絡んでいるのかは、全くわからなかった。

 妹の話では、ダッタンインクはイデア化粧品関連で、このプロジェクトに関係しているらしい。染料関係での協力関係だというが、イデア化粧品ほどの大企業が、ダッタンインクなどという一介の一企業の協力を仰がねばならない理由は、資本、技術、調達、販路のどこをとっても見当たらなかった。可能性としはそれ以外の、個人的なパイプ、もしくは特許関係だろうか。だが、そんなものを持っていたとしたら、ダッタンインクがあの規模の会社のままでいるはずはなかった。

 

「そのあたりのところ、どうなの?」

 その数日後の午後。喫茶店「納米里」で、緋弐図孔痲は未実に、そう訊ねてみた。

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