第101話 私の腕時計

 「またしも煙に巻かれるところでしたよ」

 ボスは、そう言うと、私が隠していたショートホープ(紙巻タバコ)を、まるで自分の内ポケットにでもあったかのように取り出して、「裏美疎裸」というぼったくりバーからもってきた紙マッチで火をつけようとした。だが、それは湿っていたので首尾よく炎があがったのは七本目の軸であった。

 私の書斎は狭い。もともと納戸として廊下の突き当たりを無理やり仕切っただけの空間だ。建築基準法に照らせば居室とは見なされていない。そこを無理やり改造し、執筆に必要な資料を押し込む戸棚、あ、これはもともと作りつけてあった頑丈なものをそのまま利用したのだが、その上段に寝具を、下段には簡易キッチンをリノベーションし、大便さえ我慢すれば三日は篭城可能な要塞を構築していたのである。この部屋にいる間は、当然のごとく大便など出るはずもないので、それは全く問題はなかったのである。インターネット接続も可能だ。そろそろサービスも終わろうかというADSLではあったが、扇情的なイメージを渉猟する壁はもちあわせていなかったので、難渋するということはなかった。

 私を両側から制圧していた工辞基と隊家に連衡されて、私は部屋の突き当たり、つまり私が先ほどまで執筆に用いていた椅子のあったところに突如出現したパイプイスに、私を座らせた。そこにはもともと、オリジナルのマンハッタンチェアと、オットマンのセットが置いてあったはずなのである。扉よりも幅をとるこれらの椅子を、いつどのようにこの穴倉へ持ち込んだのかは定かではないが、もともと納戸だったのであるから、どんな代物を放り込んだってよいわけだ。それでこその納戸ではないだろうか。

「おやおや。よい時計をしていますね」

 隊毛が私の左腕を捻りあげる。私はキューと声を上げる。私がキューという声を上げたのが意外だったのは、私だけででもあるかのように、他の四人は、私のキューを気にも留めなかった。こんなにかわいいのに……

「二回目だな。今日、この時計を見るのは。一回目は、室田君が嵌めていた。君にも見覚えがあるだろう。工辞基クン」

 と、隊毛は上機嫌で工辞基に声をかけ、私の腕からスルスルと時計を引き抜いて、無造作に工辞基へ投げ与えた。私は冷や汗を流していた。もし、工辞基が取り落としでもしたら書斎が…… と思うと、気が気ではなかった。その動揺を肌瑪兎がインターセプトして、リバースエンジニアリングして、俗化させてしまった。

「盗んだものだから、返せボケって」


 そのガラス面は黒水晶を薄くスライスした切子細工である。おかげで文字盤はトンネルの中でサングラスをかけているようにしか見えなかったが、揺らめく針の指し示す数字が、透明な闇に紛れてみえるこの時計で計測する時間こそが、もっとも現実に近いような気がしていた。


「美しい時計だね。たしか、その12の代わりにはめ込んであるのは草水晶だったね」

「はは。博識でいらっしゃる。なに、昔語りの記念品ですよ。締め切りに追われる穴居生活をしておりますと、実用一辺倒の時間ではどうもね。こいつは、クゥォーツ時計です。だが、動力はぜんまいです。使用している素材が全て水晶なのに、肝心の基礎振動発生部には、水晶を使用していない。私も、こういったオブジェクツに心酔するお年頃なのですよ」

「それは、空想技師集団の制作なのですよ。ご存じでしょうが」

 工辞基が苛立たしげに口を挟んだ。

「しかも、私が室田クンに贈ったものだ。裏面を見ればシリアルナンバーが入っているはずだ。3673778910-306」

 それと寸分違わぬ刻印が裏面にあるのを、私が知らないはずがなかった。だが、それは私が盗んだ証拠にはならない。たとえば私が、室田から譲り受けた可能性だった消えたわけではないからだ。

「だが、あなたと室田さんとはいわば、ライバル、しかもかなりダーティーな闘争を繰り広げている間柄ではありませんでしたか? そのあなたが、室田さんに、コロニーというあなたの青春を象徴する記念品を贈るというのは、解せませんね」

 いいぞ。こういうところは流石はボスだ。工辞基はひじょうに言いにくそうにボスと隊毛とを見た。

「若気の至りさ。借金のカタというやつだよ。私は入社したばかりの安月給にもかかわらず、『空想技術体系』の掘り出し物を見つけてしまった。私自身の資産だけではとうてい賄えなかったから、「資料代」という名目で経理の地媚クンを抱きこんで、経費計上させてもらったんだが、室田が気づいてね」

「なるほど。だが、課長補佐のポストについたのは工辞基さんでしたね。それについて室田はあなたを重ねて脅したりはしなかったのですか?」

「まあまあ。故人をそんなに悪く言うものではないよ。常に、室田の一課が私の二課の業績を上回るように仕事をヤリクリしていたことを、室田は感謝していた。ここの勤怠管理システムは、コンスタントに結果を出す者を好評価するアルゴリズムになっているからね。私が課長代理に任命されたのは室田の思惑もあった。雑用と、つまらん責任が増えるだけの、面倒な役職で、しかも繋ぎであることは明らかだったからだ。結果、私をイフガメへ飛ばすことに成功したと思った室田は、即日、統括営業部長に任命された。もっとも、私が戻った時点で、一課課長に戻されたがね」

「GPSと盗聴器内臓ですからな」

 と、いつのまにかボスがオットマンに腰を下ろして巨大な虫眼鏡で時計を検分していた。

「使用されている金属がまた、レアメタルですね。繊細な金メッキを施してあるが、これらはイフガメ砂漠には産出しないはずですがね」

「錬金術さ」

 と隊毛がこともなげに言った。

「当時、私は冶金をしていたからその辺りの事情には詳しいんだ。コロニーでは『空想』全般を形にする研究を行っていたのだから、無論、『錬金術』『錬丹術』はその対象だったのさ。幸い、『賢者の石』は産出していたのでね。というか、イフガメ砂漠にコロニーを拓く決め手となったのは、その『賢者の石』の存在を釜名見が発見したからだと言われている。もっとも、それは完全に風化しており、イフガメの砂に混じっていた。開拓者達は『ゴールドラッシュ』よろしく、砂を皿に載せては丹念に奮って、賢者の石をかき集めたと聞いている」

「金を生み出すのが目的だったと?」

「違う」と、今度は工辞基が口を開いた。

「先生には『物欲』というものはなかった。必要な経費を賄わねばならないという実際上の必要以上に、儲けようという魂胆は微塵もなかったんだ。それに、先生の作品が高値で取引されるようになり、コロニー生産物の販売が軌道にのってからは、事実上の金銭問題は消滅していたんだ。もっとも、内部で私腹を肥やそう、という連中にとっては、歯がゆいことだったろうね」

 工辞基はそこまで言って、隊毛に笑いかけた。隊毛はそれを無視し、内ポケットから銀の吸い口の細巻きのタバコを取り出し、銀製のオイルライターで火をつけた。ボスはその紫煙に鼻をピクピクさせた。

「ところで、われわれは、TPOをわきまえるべきではないでしょうか?」

 隊毛は、たったの一息でタバコ一本を灰燼に帰すと、BOSSブラック無糖の空き缶(しかしそれを私はいつ飲んだのだったろう?)へフィルターを押し込んだ。内部で小さな爆発音が聞こえたが、その場にいた全員がそれを無視した。


「またしも煙に巻かれるところでしたよ」

 隊毛が苛立たしげに、私が隠していたショートホープを、まるで自分の内ポケットから取り出したかのように自然に…… 「スト~プッ!」

 肌瑪兎が、背後から私をチョークスリーパーで固めた。ボスがすかさず私が使っていた端末を取り上げ、ここまでの進捗具合を確認した。

「流石に、一筋縄ではいかないね。とくに、私は君の肝煎りで登場したようなものだから、少々部が悪いようだ。だからこの場は、君たちに任せるよ」

 ボスはそういって端末を工辞基に渡すと、隊毛にタバコを一本ねり、書斎の扉へ歩を進めた。だが工辞基は慌てそれを制止した。

「いや。出てはいけない。この世界で単独行動は危険すぎる。ここでは、この男がデウス・エクス・マキナだ。この男に唯一制御できないのが肌瑪兎なのだから、全員行動をともにして、相互監視しなければ、いつ何時、OSを書き換えられるかしれないぞ」

「OS。OWN SELFS。というわけだ。全く作者という存在は、同じレベルに立つとこんなに厄介なものはないね」

 隊家、違う。隊毛はそういってクツクツと笑った。私はその嫌味な声のしだいに遠のいていくのを感じてい…… 「スト~ップ!」

「ここで、章を区切られては困る。せっかく捕まえたあなたをまんまと取り逃がすことになるからね」

 工辞基が肌瑪兎に目配せした。すると肌瑪兎は、足元の砂を兎のようにせっせと掘り始めた。だが、砂である。掘っても、掘っても、周囲からズブズブと砂が崩れて、一向に掘れていない。それでも肌瑪兎は、額に汗をかきながらセッセと掘っていた。私はその意図に気づいた青ざめた。

「わかったからわかったから。何でも聞いてくれ話すから話すから。決して言葉を駆使して煙に巻こうなんてしないから誓うから誓うから」

「何に誓うのよ?」と肌瑪兎が顔をあげた。すでに部屋全体が半分ほど砂に埋もれていた。

「時計のGPS座標にかけて!」

 ボスがすかさずその座標を確認した。その示した位置はタイラカナル商事内やはらぎ塔、別館四階喫茶「凪」であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る