第100話 サンドマン

 「耳のある者は聞くがいい。目のある者は見るがいい。鼻のあるものは嗅ぐがいい。舌のあるものは味わうがいい。ほらほら、これが僕の骨。指のある者は突くがいい。あたたたたたたたた、ほ~あた~! 坊主憎けりゃ今朝まで便秘。腸のあるものは脱糞するがいい。そして歯のある者は咀嚼するがいい。そして紙を欲するがいい。求めよ、そうすればあてがわれるであろう。爪のあるものはかきむしればいい。肛門を叩け。そうすれば緩められるであろう。膝のあるものは膝まづいて足をお舐め。パンがなければパンを食べたつもりになればいいじゃない。だがしかし、空想で腹が膨れますか? ここがベツレヘムになりますか? オブラディーゴルゴダ。ゴルゴンゾーラはここいら辺りのチーズでしたか? ほら。オリーブの実が次々と落ちて、転がっていく。そこは地中海でしょうか? エーゲ海でしょうか? それとも瀬戸内でしょうか? オリーブがとぷんと沈む海に浮かんだ奴隷船の甲板からは、船底4キロに及ぶ大脳辺縁系の深さを感じることはできないでしょう。突如として盛り上がる海綿体がマッコウクジラの御神体なら、イヨマンテの夜、北前船に乗って産卵する珊瑚の卵を鷲づかみ、丼にしてかっ食らった日の思い出が走馬灯のように浮かんでは消えて、浮かばれず出てきてしまうかもしれないのです。いえいえ。体育会系サーフィン倶楽部を罵倒しているわけでは決してなく、むしろ逆に! サーッと寄ってきてかと思えば身体にまとわりつき、サーッと後ろへ流れていく星屑のステージのような、羽虫のような、ケチャップ詐欺のような。そんなあなたに私はなりたいとは、これは口を滑らせてしまいましたね。滑る。滑れ。統べろ。べしゃれ。義経12歳のしゃれこうべが「あなめあなめ」と砂に歌う声を聞け。そして合いの手を入れろ。ノリが全てだこの世の中は。乗り遅れるな、乗り込むのよ! 砂漠を横切るキャラバンは運命共同体だし、定期的に人身御供を置き去りにして逃げろ、逃げろ。全てのオリーブから逃げ出せ。そして滑れ。目の前に道はない。僕の後ろにも明確な道はできない。がゆえに、追っ手を撒くには滑り続けるしかなかったのです。東へ行くのよ唇かみしめアナメアナメナイル? チグリスユーフラテス? インダス? 西遊記道中肌理庫裏摩。越すに越されぬ大井川。しかし、ヤジキタ三姉妹の逃避行はいつから、出エジプト記となったのだろうか。それともヘディン『さまよえる湖』探索デスマッチコンテスト第九番乾季のポイズン合唱隊の一員か、はたまた失われた砂絵曼荼羅プリーズカンバックトウーミー」

 という私の脳内名調子を遮り、群集は「ティモテを!」と叫んだ。中央の私の頭上には「空想の王」という札があり、いま一人は「ナボナ」だった。そして再び叫ぶサンドマン。

「助けるべきは誰か?!」

「ティモテを!」

 一つ一つの砂粒が声を上げる。サンドマンは能面をつけているのにもかかわらず、満面に笑みを湛え、「今一度問う!」と叫ぶ。

「十字架から降ろすべきは誰だ!」

「ティモテを!」

 「ティモテ」は、マルチ和牛商法で数億円を集金した上、豪華客船をチャーターしてたまたまイフガメ観光に来ていた善良なるクレタ人であった。そして今一人の「ナボナ」。ああ、なんとかわいそうな「ナボナ」。彼は話題にされることもなくずっと涙目で、グリコのスタイルで磔られているのだが、正直、彼がどこの誰で何をして現在に至ったのか不明でありました。

 私は彼がなぜ、ここにいるのかについて、説明することはできる。だがそれが「ナボナ」でなければならなかった積極的理由は、残念かつ残酷なことに、何もなかった。

「ティモテ」は救われた。墨痕鮮やかな「無罪」の半紙を掲げて、焼けた砂の上を支援者の下へかけていく「ティモテ」の、トゥルントゥルンの金髪。両手を広げて「ティモテ」を待つ群衆。その道筋の途中には、実はでかい落とし穴が掘ってある。なるほど、それを掘った実行犯が「ナボナ」だということになれば、物語的にもつながりと広がりが生じる。駆けてゆく「ティモテ」を焼かれた瞼の隙間から凝視する「ナボナ」の眼。

 だが、「ティモテ」は直径30メートル深さ4キロに及ぶ落とし穴のあるはずの砂を軽やかに滑って超えた。「ナボナ」は凝然とうな垂れ、それから天を仰いで叫んだ。

「エリ・エリ・レマ・砂漠谷」


「……それで、君は彼をSTOP科白ドロボーとして告発したいと、こういう訳ですか?」


 サンドマンは、能面をつけているくせに「眠たいこといってんじゃねぇぞ、コラ」という表情をみせた。しかし、私がこの科白を言わねば稲妻も光らず、「なんかちょっと、凄かったね」という群集の感動を引き起こすこともできず、サグダラのマリアにオリーブ油どころか、マックポテトを揚げ切った廃油をぶっ掛けられて「エリエリレマ油谷」めいた感じで、石室にヘラでサッとおかれて蓋をされた挙句に、四種類のゴルゴンゾーラチーズとハニーのピザへと成り下がってしまうかもしれないのだったし、何よりも問題なのは、この科白がいえなかったばかりに、三日後の約束が曖昧なままになるという不安をいかにすべきか、ということなのである。それは、「ぼんやりとした不安」というような文学的なものではなく、切実な現実的不安であった。


「現実的? それはどのくらいの大きさのものですか?」


 とサンドマンは尻を掻きむしりながら尋ねてきた。能面の眼からボロボロと砂が落ちている。泣いているのだろうか?


「それは、私の肺のレントゲンに写っていたUFO型の白い影ほどの大きさでした。撮ったのが頭部CTでなくてよかったです。もし、そちらに同じような影が映ったとしたら、もっと深刻だったことでしょうから」

「いずれにせよ、君の申し立ては棄却せよと、エホバさんから言伝がきているものですから悪しからず」

 サンドマンは、能面をペロリと平らげて、もはや取り繕おうともせずに、腹を割って、ざっくばらんに、あけすけに、身も蓋もないことを言ってのけた。

「だいたい、君、まだ絶命してないでしょ。じゃ、銛の人。ナボナから、さくっとやっちゃって」

 サクサク。

 思えば、気の毒なことだ。私は両脇からダラダラと砂を垂らし終えて、すっかり小さくなった罪人「ナボナ」の最期を悼んだ。砂漠の真ん中で、キュービー三分間クッキングの始まるような時間に、グリコの姿勢で、わけもわからずに銛で突き殺されるだなんてあんまりだ。無論、屍は解体され、肉はもちろん、内臓も脂肪も骨も髭も市場に流通して砂漠の民の潤いとなるわけだが、一定の敬意は払われてしかるべきではないだろうか。たとえば、「ティモテ」は砂漠を草原化する活動を行うNPOでも立ち上げて、最初に作ったクロレラ水槽には「ナボナ1号」とでもなずけてしかるべきではないだろうか。同様に、私、こと「作者の王」に対するリスペクトも、当然あってしかるべきではないのかね、お前たち!」


 私は左右の手の甲と両足の甲を重ねた上に打ち付けられていた五寸釘をメリメリと引き抜き、両脇を骨盤の辺りに引っかかっていた五寸釘をメリメリと引き抜き、申し訳程度に撒かれていた荒縄と、緻密に編みこまれた茨の冠とを振り落とすと、右手で天を、左手で地を指して、「天上天下由比ガ浜独唱」と叫んで、ビパップを二曲と、ファンクを一曲、ホーンセクション無しのボイパで決めて、「チェストーッ」と十字架を飛び降りた。

 「私の一歩は小さな一歩だが、三日で散歩になる牛歩だ!」

 が、私の足は砂漠を踏み抜いた。

 ナボナはGPS座標を誤ったのだ。

 直径30メートル深さ4キロの落とし穴は、私の着地点にその可能性の中心を持っていたのであった。

「Que Sera Sera」(つづく)


 お~~~~~~と。待った!!!


 ガクン、という衝撃があり、私は脇腹を左右から吊り下げられていた。

 私の出エジプト記は阻止された。

 工辞基我陣と、隊家頭象とに。

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