第33話 レクチャー 2

 応接室には、殺気に満ちた緊張が漲っているようでした。しかし、その重圧に押し潰されそうになっているのは、室田ただ一人です。隊毛はもとより、こうした成り行きを想像だにできなかったはずのアルビヤですら、今にも口笛でも吹き始めるかというほど、落ち着いていたのです。吹き出る汗を、プレスされたハンカチで拭う室田を見て、笑うでもなく、飽きれるでもなく、隊毛は話しはじめました。

「釜名見煙の芸術は、常に価値観の破壊をテーゼとし、それは最新の科学的知識、先端技術によって表現されてきました。第一作とされるエンサイクロペディアの発表は、知の破壊と再生とを体現した、いわば『脱・現代宣言』だったのです。

 その後発表された『釜名見ナンバーズ』と呼ばれている一連の作品は、見る者を二分してきました。すなわち、心酔する者と、嫌悪する者と、にです。釜名見は、時として駄々っ子のように、現在の風潮や大義をひっくり返そうと試みてきましたし、そのようにして成し遂げられた作品は、無視することを許さないリアリティを獲得していました。釜名見は現代美術最後の巨匠として、時代の推進力となり、かつ、時代の破壊神として君臨し続けていました。

 釜名見煙の凄さは、こうした状況をすべて、第一作とされている「空想技術体系」の中で予言していたということです。残念ながら、現在、この著作は散逸しており、この点については『釜名見神話』として語り告がれるのみですが。

 時代に対するアンチテーゼが釜名見の製作動機だったことは、いうまでもありません。ですから、自らが時代を造り出してしまった、というジレンマを解決するために、釜名見は、つかみ取った地位を捨て去らねばならなかったのです。釜名見にとって時代はあまりにも軽く、むなしい物に見えたことでしょう。それで、あの空白期間が生じたわけです」

「しかしそれは、あまりにも月並みな苦悩ではないでしょうか?」

 室田は、ようやく感想を差し挟むことができました。いきなり確信に入るかと思われた雰囲気は、どうやら回避されたと考えたのです。あとは、この学生じみた観念論で、押し切ってしまえば、何事も無かったかのようにビジネスの話しが出来る。そう考えていたのかもしれません。

「確かに。釜名見は考えたのです。これまで自分のしてきたことは、時代を壊すのではなく、時代に加担していただけなのではないのかと。本当に重要なのは、時代を流行りの指針としてしか捕えられない現代社会などではなく、もっと個人的なものなのではないのかと」

「私小説への傾倒。と批評家ならば論ずるところですね。そしてその試みは卑小な選民意識に凝り固まってしまう。時代から離れたのではない。時代に関わる事すら出来ないというだけのことだ。それを『孤高』とか『独自の世界』とかいう言葉で説明して自己満足に陥った。と」

「辛辣ですが、異論はありません。結局、釜名見は時代を離れる事は出来なかった。そして作品は、立体から無形のもの、そうハプニングといわれるイベント形式へと変遷していく」

「時代はダダイズムと未来派とシュールレアリズムの入り乱れた混乱期ですね。それは釜名見煙先生が二十年も前に問うた問題ではありませんか」

「振子の理論。として几螺果巳が批評した時代ですね。フーコーの振子は振幅を続けながらコリオリ力によって回転を続ける。果たして、往復する重りは、さきほどの一往復の時と同じものなのか、それとも違うものになっているのか」

「当時のイベントで、先生はミニマルアートとでもいうべき繰り返しの運動を多用していました。それは退屈なイベントでした。正確に反復される運動は、会場の観客にも強要された。席についてから、イベント終了までの間に費やした時間は、全て巻き戻され、それ以降を、この遅れた時間に従って生活すること。時間の観念をテーマとするには、やはり彫刻よりもイベントの方が相応しいのでしょうね」

「いや。それは誤った評論だったのです。釜名見は繰り返し繰り返す繰り返しの中でも、その繰り返しが繰り返しとしての経験を蓄積させてしまう点で苦悩していたのです。何も残らない筈のイベントが、自らの脳に確実に蓄積されているという事実に驚愕したのです。従って、第二の空白期には、釜名見煙はもっぱら脳について思慮していたはずなのです」

「記憶、ですか。全ては記憶の再構成であり、現在とはすなわち過去であるという」

「リアル、という問題も含まれました。実感とは何なのか。感覚が脳で認識されるまでのタイムラグのため、感覚も含めた一切がもはや終わっているのだという事実」

「仮想現実」

「そうです。そしてこの問題意識はまさに時代に合致していたのです」

「私には、先生はこの作品を最後にするおつもりなのではないかという鬼気迫る意気込みを感じるのです。今月号の几螺果巳の『宣言』。あれは尋常ではない」

「恐ろしいことに、このバーチャルリアリティに関して考えた時、まさに空想技術はそう言い換えられるのではないかと思い当たります。釜名見煙は、18作目にして原点に回帰した。その円環は、氏の活動の全てを包括する閉じた世界の完成、すなわち限界を表わしています」

「ある作家が言いました。『私の今後の作品は、全て処女作の解説にすぎない』と」

 隊毛は、煙草を取り出しました。銀色のフィルターの細巻の煙草でした。そして素早い動作で、やはり銀色の華奢なライターで火をつけて、ゆっくりと煙を吐きました。その様子を見て、室田もソファーにもたれ掛かりました。今までは身を乗り出し、隊毛の一挙手一投足に、目を光らせていたのです。室田にとっても、この会見は、自分の青写真を実現するための、負けられない戦いだったのです。

 一本の煙草が灰になり、灰皿には細やかな灰と、銀色のフィルターが一つ、まるで、静物画のように現れました。隊毛はおもむろに身を乗り出すと、サングラスの奥からじっと室田を見据えました。

 ―ここからだ。と室田は背筋を正して、全てを射貫くような隊毛の眼光に正体しました。

「どうでもいいことなのですが、釜名見が実在する一個人ではないという事実は、これまで厳重に隠匿されていました」

 このあまりにも唐突な隊毛の言葉に、室田の顔は一瞬、張り子の面のように凍りつき、それから表情の強ばりをほぐそうとするかのように微笑もうとしました。しかしその試みは、室田の顔に、さらなる驚愕を刻みつけただけだったのです。

「そ、そんな。ご冗談でしょう。それともそれは何か哲学的な比喩なのでしょうか?」

 隊毛は、彼独特の、あの唇の片一方の端をほんの少し持ち上げるような笑みを浮かべました。その冷たい微笑みは、室田の懐疑を100%却下するものだったのです。

「し、しかし… 現に釜名見煙は作品を生み出してきたではありませんか。今回だって先生の新作の発表を企画してほしいというご要望をなさったのは貴方ではないですか。だいたい、今のいままで話していたのは、先生の事ではなかったのですか。貴方は先生の作品と思想、生活についてついさっきまで話していらした。その貴方が、先生の有能なる右腕として初期から先生と行動を共にしてこられた貴方が、何故そのような途方もない事を仰るのか、私には理解できません」

「理解出来ない? なるほど。では、こう言い換えましょう。釜名見煙というのは、登録商標なのです。ブランドなのですよ」

 室田は呆然としていました。自らの描いた青写真が反故になってしまったのだと思ったのです。

 釜名見の知名度を利用すれば、社内での自分の立場は確固たるものとなる。この業績は無視できないものとなるだろう。そんな欲望からこの件に携わった室田の計画は順調に進んでいたのです。

 或日野という人材を得て、室田は、自らが動く事無く、もう少しでたわわな果実をもぎ取れると、確信していたのです。だが、肝心の釜名見が存在しないと、隊毛はいうのです。一体、室田が社内規約を逸脱してまで進めていたのは、何だったというのでしょうか。

 混乱していました。室田はこれまで、さまざまなトラブルを解決してきました。しかし、こんな大がかりな詐欺にあったのは初めてだったのです。

 ―詐欺? 室田は自分の中に思いもかけず浮かんだこの言葉に、新たな衝撃を受けました。自分は、釜名見煙の名をかたる詐欺に加担していたとでもいうのでしょうか。もし、これが詐欺なのだとしたら、被害は自分だけにとどまらず、三十年以上に渡って釜名見作品に携わってきた人々の全てを騙していることになるのです。そんな事が果たして可能なのでしょうか。


「ふふん。隊毛のやつ。本格的に釜名見を乗っ取るつもりでいやがる」

 アルビヤはヘッドホンを外して、ニヤリと笑うと、地媚さん(型端末)を見ました。地媚さん(型端末)は、無表情に座っています。日常業務の最中なのです。五百人からなる社員の出入り、問い合わせ、などにリアルアタイムに対応しつつ全てをデータベース化する作業は膨大です。

 と、その瞳が点滅をしました。アルビヤはその合図を待っていたかのように、地媚さん(型端末)に耳を近づけました。

「多々場さん。多比地さん。が帰社しました。営業二課に戻ります」

「待て。そのまま厚生部へ来るように指示してくれ」

「かしこまりました」

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