第93話 妖怪オロチと四神獣白虎
大蛇妖怪オロチがひまわり畑を見ていると、ガサガサッとちょっと向こうのひまわりが不自然に揺れた。
「フッ」と荒天丸が笑ったのを、オロチは見逃さなかった。
いったいぜんたい何だってんだ。
荒天丸の含みがある感じの笑いがまた馬鹿にされてるように思えて、オロチは苛立ちを隠せない。
「誰だっ! そこにいるのは?」
オロチがひまわりの動いたあたりに、歩き出す。背の高いひまわりをかきわけかきわけて、向かっていく。
オロチの問いに返事をすることなく、相手は動きを止める。
荒天丸にはその相手がじいっと機会を伺っているように思えた。
……ある感情を持って。
殺気はしない。荒天丸のあの態度からして悪意のある者、敵の仕業ではないことは分かる。判断できる。
「誰だっ? 出て来い」
ガサッと音がまたして、ひまわりが揺れている。
蜂が集団で飛んで来て、オロチの目の前を行ったり来たりし始めた。
オロチは蜂の集団を構わずもろともせず進んだ。
蜂がオロチの顔を刺そうとしたので、オロチは眼光鋭く睨みつけると蜂は動きを止め、数秒ほど空中に浮かんでいたが他の蜂を連れて去って行った。
「そこにいるのは分かってんだ。早く正体を現しやがれ!」
オロチがもう一歩進んだ時だ。
「オ〜ロ〜チっ♪」
「うわっ!」
オロチはひまわり畑の中を倒れ込んだ。誰かに飛びかかられて一緒に転がっている。
オロチの胸の上にはオロチに抱きついて満足げな表情を浮かべる者がいた。
「誰だ。お前?!」
オロチの上でその者は楽しそうにころころ鈴の音のように笑った。
「ワクワクしながら、ひまわりの中で待ってたよ。オロチ〜」
初対面なのにコイツは馴れ馴れしくて、オロチは面食らっていた。
オロチは胸の上からどかそうとしたがこの者は抱きついて離れない。
地面に転がったままではまともに話も出来る気がしなかったので、オロチは抱きついて来てる少女を両手で抱き上げて横に座らせた。
オロチ自身はササッと立ち上がり、少女に抱きつかれて恥ずかしく上気した顔を腕で隠した。
「もうっ。離れたくないのにぃ」
「てめえ! 説明しろ。荒天丸!」
オロチは声を荒げて天狗の荒天丸に助けを求めた。
荒天丸はニヤニヤとオロチを見て、からかうような目をして笑っている。
すぐには荒天丸は説明をしそうにもない。
オロチが恥ずかしさに慌てふためいているのを、楽しんでいるのだ。
オロチの顔を立ち上がって少女は覗き込むと嬉しそうに笑って。
いきなり……オロチの頬にキスをした。
「ぎゃー!」
オロチは突然の思いもよらない少女のキスの攻撃に真っ赤になって放心していた。
「白虎。オロチは
「うぶってなあに?」
オロチはじろじろと少女を上から下まで見た。
「白虎ってお前……」
オロチの前に立つ少女をよく見れば、おきつね銀翔のような頭の上には耳がついていて、長い細い尻尾は白い毛並みに黒のしましま模様である。
少女は尻尾をブンブン回している。
「お前は俺がオロチだとなんで知っている?」
オロチは四神獣の一人の白虎とは会ったことはない。
それにこんなに懐かれる覚えも、断じてまったくないのだ!
「あたし、スズネだよ」
「はっ?」
大蛇妖怪オロチは『スズネ』という名前に聞き覚えがあったが、記憶のなかの『スズネ』とは似ても似つかない。
「忘れちゃった? 私のこと……。ねえ、オロチ?」
少女の姿の四神獣の一人、白虎は悲しそうにオロチの顔を見つめている。
「まさか。……まさか、本当にスズネなのか?」
オロチはスズネのことを思い出していた。
オロチがスズネという名前で思い当たるのは一匹だけ。
スズネは松姫と可愛がっていた白ネコの名前だ。
「白ネコの?」
「オロチ! やっと思い出してくれたっ?! 思い出してくれたんだね〜。わ〜い」
四神獣の白虎は嬉しくて嬉しくて、大蛇妖怪オロチにぎゅうっとまた抱きついた。
女性というものに免疫のないシャイな大蛇妖怪オロチは顔を真っ赤っかにしながら、四神獣の白虎に抱きつかれて困り果てている。
天狗の荒天丸と大蛇妖怪オロチと四神獣の白虎は、荒天丸の館に戻って来ていた。
応接の間に通されて、オロチは荒天丸の母が立てた抹茶を作法などまる無視して、ぐいっと飲み干す。
「あら…ふふっ」と荒天丸の母の周防はオロチに表情を緩めて優しく笑った。
「ああ、すまん。作法など知らんし、喉が乾いていた」
「
荒天丸の母は白虎にオレンジジュースを出して、オロチに今度は屋敷で働く天狗たちに麦茶と和菓子を持って来させた。
「ゆっくりなさいね」
周防は部屋から優雅に着物の裾を翻して退出した。
荒天丸は自分で炭酸のレモン水を炊事場から持って来て、コップに注いで美味そうに飲み始めた。
「妖怪天狗の里もずいぶん近代化の波に乗ったな」
「時代から外れれば生きづらくなる。いくら人間界を否定しようが、嫌がろうが我々妖怪の世界だって人間たちの世界と表裏一体だろ? 銀翔だって妖怪世界に身を置きながらも、普段はバンショウらと稲荷神社の宮司に化けたりして、人間社会に溶け込んでるではないか」
大蛇妖怪オロチは遠く思いを馳せた。
「俺たちの歴史はいつも人間たちと共に存在してきた。切っても切れない関係なんだな」
「隠れていても、人間たちに存在を否定されようが、俺たちだってここにいるんだ」
荒天丸はもう炭酸水を全部飲んでしまい、次に和菓子をぱくついた。
「お前もまったく作法とか気にしないんだな」
「母ちゃんが勝手にやってるだけ。俺は俺がやりたいようにやる。堅苦しいのは大っ嫌いだね。うちの母ちゃん、こっそり人間の茶会に参加したりしてんだから」
白虎は二人の話に耳を傾けながらも、会話には加わらない。
「スズネが白虎なんて、俺はまだ信じられない」
「スズネの私は寿命で死ぬ時に強く願ってたんだ。オロチのそばにいたいって」
「生まれ変わったのが四神獣とは羨ましい」
「そう? 私はまだ自分の力がまだ分からない」
四神獣の白虎はオロチの横で自信なさ気な心配そうな顔をしていた。
遠くでトンビだろうか。
鳥の鳴き声が響き渡る。
「あたしね、オロチが誰を好きか知ってるよ。でもね。それでもね、あたしはアンタが好き」
真っ直ぐな白虎の射抜くような純粋な瞳にオロチはドキリとした。
あまりにも真剣な想いを込めた告白にも。
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