第6話

 トロッコの取っ手を上下させ続けてどれくらい経ったのだろう。トロッコは時折鈍く軋む音を鳴らしながら、軽快な速さで進んでいく。時折分かれ道なのだろうか、道の途中で何度も枝葉のように道をくねらせながら進んでいき、その度に少年は一歩、また一歩闇の淵へ足を踏み入れているような気持ちにさせられる。

 白衣の男が言うには、住処を追跡されないようにわざと入り組んだ作りになっているらしいが、今は着物の少女のいる所まで直通で行ける事になっているらしい。

 細々とした灯が等間隔に点々と壁にかかっており、その灯だけが少年の中の恐怖心を和らげてくれる。そんな時間が永劫続くかと思われたその時、緩い曲がり角の先から、煌々とした明かりが今まで暗闇の中にいた少年の目に酷く突き刺さる。曲がり角は終わり、その先に見えたのは少年の記憶に微かに残る、絢爛豪華な黄金の部屋だった。

 その部屋は余りにも乱雑で、用途の分からない物で溢れ返っていた。光を乱反射させる天井飾りに、真っ黒な人の骨格標本。仮面達とはまた違った気色の悪い面や、機能性の悪そうなフワフワした様相の白黒の服。何を取ってもよく分からない物だらけだった。

 そんな魑魅魍魎の住処のような部屋の真ん中で、着物の少女は胡座をかいて、兄貴が使っていたコンピューターという物に似たものを弄っていた。似たもの、と言うのは、少年でも分かるくらいに性能の違いと言うものを感じたからだ。

 着物の少女の目の前には、正面と左右に大きな画面があり、そこには仮面達の住む場所の、大量の監視映像が映っており、着物の少女はその画面を何度も映し変えては、カチャカチャとキーボードを叩いていた。

 兄貴の使っていたコンピューターは、小さいが分厚い画面で、監視映像は一つしか映し出されていなかった。

「おい、お前。」

 少年が着物の少女に声をかける。しかし着物の少女は何の反応も示さず、相変わらずコンピューターと睨めっこを続けている。少年は着物の少女の反応を待ち、じっと黙っていた。

「おい!」

 少年が先ほどよりも声を荒げると、着物の少女はこちらを振り返ることもなく、気怠げに返事をする。

「そんな大声を出さんでも聞こえとるわい。わしは集中しておるんじゃ、要件は短めに話せ、良いな?」

 着物の少女は、背中越しにでも分かるくらいに神経が毛羽立っているのが分かる。少年はそんな様子に気圧されつつも、ここに来た要件を伝えた。

「お前、兄貴の地図を持っていっただろ、返せよ。」

 すると少女は、またもこちらを振り返ることなく、兄貴の地図をひらひらと翻している。

「これはお前さんが思ってる以上のお宝じゃ、お前の兄貴とやらがどんな人物かは分からんが、この地図を見ただけでかなりの切れ者だと分かる。一度どんな人物か会ってみたかったもんじゃ。」

 兄貴が褒められるのは嬉しくもあり、こそばゆい。まるで自分が褒められているように感じるくらい、兄貴とは繋がりが深かったという事なのか。

「しかしこの地図、常人には到底役に立たん代物じゃ、恐らくお前専用の地図なんじゃろうな。経路や移動距離、乗り越える障害が猿のそれじゃ。お前さんは、いやお前さん達は本当に人間か?」

 褒めてるのか貶しているのか分からないが、少なくとも能力を讃えているのだろう。少年は答えを返す。

「それじゃあお前には役に立たないって事だ、良いから返せ。」

「嫌じゃ。」

 間髪入れずに少女が少年の言葉を制す。

「これをわしが知ってる知識と合わせて調整してやるわい。それまでこれはわしの預かりじゃ。分かったらさっさと鶏達の餌やりにでも戻るんじゃな。」

 けんもほろろにあしらわれる少年。流石にムッと来たのか実力行使で地図を奪い返そうと思い、着物の少女の方に足を進める。すると足に何かが引っかかった。

 途端に木の板がカランカランと鳴り響き、少年の足元が大きく口を開ける。少年は何が何だか分からず、そのまま真下へ落下した。

 少年は瞬時に、器用に身体を捻りながら落下し、両手足で衝撃を吸収して着地する。

 自分は着物の少女の罠に引っかかった事に気付いた少年は、ぽっかり空いた穴に向かって大きく声を怒鳴り散らす。

「おい、良い加減にしろよ!お前が手を加えなくたって兄貴の地図さえあれば俺は仮面達から盗んでやる、だから余計な事しないで返しやがれ!」

 少年にとって、これは虚勢である事は自分でも分かっていた。仮面達はそんなに甘い相手じゃない、同じ作戦は通じない事は重々分かっていたが、自分と兄貴の繋がりに、土足で踏み込まれているような感覚を覚えてしまったのだ。

「お前が女だからって、容赦はしねぇぞ!10数えるうちに返さねぇと…」

 すると穴から少女がひょこりと顔を覗かせる。しかしその表情は逆光でよく見えなかったが、着物の少女は嘆息する声は穴の底まで聞こえてきた。

「お主も案外優しいのう、10数えるまで待ってくれるとはな。取り敢えずそこにあるトロッコに乗ってさっさと帰れ。わしはこれ以上邪魔されたくないんでの。」

 一方的に話を打ち切ると、少女は穴を閉じてしまった。真っ暗闇に置かれた少年は、慌てて少女に声をかける。

「おい待て!こんなに暗くちゃ帰るにも…。」

 少年の言葉に呼応するかのように、壁に掛けられていた灯が進行方向に向かって、順々に点灯していく。とうとう言葉もなく帰れと言われたのが分かる。

 少年は昨日の自分の誓いを思い出す。あいつ等は俺のことを必要と、いや、利用しようとしている。ならば自分もあいつ等を利用すれば良いのだ。少年の目から見ても着物の少女が只者ではない事は分かる、恐らく本当に自分用に調整してくれるのだろう。

 兄貴が自分に託してくれた想いを無駄にしてはいけない、その想いが少年の心に自制を促してくれた。

 少年は渋々とトロッコに乗り、来た時と同じように取っ手を上下させる。先ほどよりも登りが多い、少年の額には汗が滲む。その時ふと思う。少女はあのか細い腕で、少年を乗せたトロッコを住処まで走らせたのではないかと。少年はそんな考えが頭を過ぎり、頭をかぶる。いいや、あの白衣の男に運ばせたに違いない。

 行きよりも長い時間をかけて住処に戻った少年は、それとなく装って白衣の男に話しかけた。

「最後にあいつの住処に行ったのはいつなんだ?」

 すると白衣の男は言った、あそこに行くと彼女が不機嫌になるからね、もうずっと行ってないよ、と。

 少年は少女の言葉を思い出す。確かに自分は甘いのかもしれない。

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