第5話
人工的な太陽が沈み、今度は人工的な月というものが頭上に現れた。
少女達は夜になったから寝るぞと言い、それぞれが寝室の床へと着いた。少年にとって世界には朝も昼も夜も無く、薄暗い下水道と、仮面達の住む気持ち悪いくらいに明るい光だけが知っている世界だった。
しかし今少年の目に映るのは、硝子越しの淡く優しい、包み込むような光が見えている。
そんな光を視界に捉えようと、ベッドを軋ませながら身体を起こす。そして今日のことを思い起こす。
恐らくあいつ等は悪い奴等では無いと思う。それは決して飯をくれたからでは無い、断じて。
あいつ等は兄貴と同じような人種で、所謂好奇心と言うものを重視する人種なんだろう。その好奇心を満たすためには多少の犠牲も厭わない。勿論兄貴が他の誰かを犠牲にしてそれを満たす人種では無い。しかしあいつ等が兄貴と同じでは無いとも限らないため、少年はその点が気になっている部分であった。
少年にとって兄貴は、唯一無二の相棒だった。お互いにとって替えの効かない大事な存在、血は繋がらなくとも家族だった。
物心付いた時には既に1人だった。他の浮浪者や子供達に混じって、仮面達の捨てる残飯を漁る毎日。皿の底に付いた味気の無い飯を舌で舐め取る、そんな生活だった。
それから程なくして、少年は与えられる側では無く、奪う側へと変わった。他の掃き溜めの連中が必死になって集めた物を奪い取り、それを生活の糧としていた。勿論それは同じ境遇の者にとっては裏切り行為であり、時には袋叩きにあって死にかける事もあった。
それでも少年は意地汚くとも生きようとしていた。それが何のために生きようとしているのかも分からずに。
そんな掃き溜めに命を与えてくれたのは兄貴だった。
「お前、それだけの能力があるのになんでそんな無駄遣いしてんだ?仮面達から直接奪えばいいだけだろ。」
そう簡単に言ってのけたが、仮面達から直接食べ物を奪い、そして見つかり、殺される奴らが残飯と一緒に降ってくるのを何度も見てきた。実入りがいいのは分かっていたが、それでもここまでしがみ付いてきた命だ、そんなに簡単に手放したくはなかった。
しかし兄貴は違った。仮面達の監視の目を潜り抜ける道をいくつも持っており、食料の保管場所、警備の順路、いざという時の隠れ場所等、今まで見た事もない情報をコンピューターという技術で盗み取っていた。
「俺は頭を使う事は得意だが、如何せん身体を動かす事はからっきしでな、お前みたいな身軽な奴を探してたんだよ。どうだお前、俺の相棒にならないか?」
それからの少年は、八面六臂の働きを見せた。兄貴が情報を盗み、少年が現物を盗む。
2人が意気投合するのにはそんなに時間がかからなかった。
互いが互いに信頼しあい、少年が自分より年上の存在である彼を兄貴と呼ぶようになり。そしてそんな兄貴も少年のことを家族だと言い切ってくれた。
そして数年が経った頃、兄貴は大きなヤマを持ってきた。それが件の兄貴を失うことになった盗みだった。
恐らく着物の少女達は、少年が死んだとしても悲しむことはないだろう。少年にしてみてもそれは同じだ。だが少年はそれでもやり遂げなければならなかった。兄貴が残した最後の盗みを、決して無駄にしないために。その為にあいつ等が手を組もうと言ってきているのだ。少年にとっては渡りに船であり、拒む理由も、拒む事も出来ない内容だった。
少年は決意を決めると、布団を深く被り柔らかいベッドの中で、落ちるように眠りについた。
それから少年が目覚めると、着物の少女の姿はどこにもいなくなっていた。白衣の男が飯を運んできても顔を出さなかった。そんな事は気にも止めず、白衣の男はもそもそと食事を口に運んで、少年にも食べるように促す。
パンを千切って口に放り込みながら、少年は白衣の男に詰め寄るように問いかける。
「あいつは何処に行ったんだ、飯は一緒じゃないのか。あと昨日渡した地図を返せ。」
白衣の男は泥水のような飲み物を口に運び一息付き、くたびれた白衣の胸ポケットから出した筒状の紙を口に咥え、今度は箱状の物から木の棒を取り出し、それを箱に擦り合わせる事で火を起こした。それを口元の紙に着けて、煙を薫せる。
少年にとって、火はとても貴重な物であり、それを突然手の中から出した白衣の男に驚愕を禁じ得なかった。
そんな少年の驚きを御構い無しに、白衣の男は煙を上の方に吐き出す。
「煙草はね、彼女がいると臭いって言われるから吸えないんだよね。」
煙が少年の鼻腔を通ると、確かにこれは臭い。泥水といい煙といい、この白衣の男はなぜこんなものを口にしているのか、甚だ理解出来なかった。
「まぁ、彼女は自分のラボに篭り出したよ、ああなったら納得がいくまで意地でも動かないと思うよ。どうしても彼女に会いたいっていうなら、行き方くらいは教えてあげるけどね。地図はそこにあるよ。」
着物の少女がどういう状況かは少年にとっては興味は無かったが、そこに兄貴の地図があるというのなら、ラボとやらに行って返して貰いに行こうと思い、すぐさまラボへの行き方を教えて貰う事にした。
「行き方ってことは、こことは違う場所にも住処があるのか。」
「住処というか穴蔵というか…ま、覚えてるかどうかは分からないけど、君は一度見てる筈だから、行けば納得すると思うよ。ついておいで。」
そう言って泥水をグイッと飲み干し、煙の紙を潰して消した後、ゆっくりとした足取りで家から出て行く。
少年は無言で付いて行くと、やや暫く歩いた所に木製の板があり、その中央には連結した二つの取っ手が付いていた。そしてその板は車輪が付いており、敷かれた金属の上を走るように作られているようだ。
「こいつはトロッコと言ってね、推進力は人間の力、自分で漕いで進むのさ。こうやってね。」
そう言って男はトロッコの上に乗り、取っ手を上下させる、するとトロッコは滑るように動き出し、人間が歩く速さよりも大分速く進んだ。成る程、これで移動するわけか。
少し進んだ所で白衣の男が降りると、少年をトロッコに乗るようにと促す。
「それじゃあ行ってらっしゃい、彼女のドリームランドへ。」
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