第83話 そして今、幸せだ

「取れたぞ」

 俺は振り返り、ソファに座る滉太こうたに声をかけた。


「ぱんぱん、音が聞こえてましたよ。荒い取り方ですね」

 滉太は顔を顰めて「生地が破れる」とこぼしている。俺は苦笑いしながら彼に近づき、タキシードを手渡した。


奏良そらさんのドレス、魁人かいとさんは見たんですか?」


 滉太は立ち上がって俺から上着を受け取って手早く着込んだ。出会ったときは、奏良ちゃんより背が小さかったのに、今では俺の顎辺りに頭がくる。


 一度だけしか会っていないが、滉太の実母は、意外に背が高い。彼の身長はまだまだ伸びるだろう。それに、興味が無いとはいえ、毎日部活に参加して筋力トレーニングに励んでいるせいか、背中から肩にかけても、男らしい筋肉が服越しに見えて俺は満足だ。


「見てないよ。今日が初めて」

「ふぅん」


 にやにや笑っている滉太に、俺が手を伸ばして小突いた時だ。

 室内に、ノックの音が響いた。


「花嫁様が参られました」

 スタッフの声がドアの向こうで響き、奏良ちゃんの、「は、花嫁って」という慌てた声が聞こえてきた。


 俺と滉太は顔を見合わせ、小さく噴き出す。ものすごく照れた顔の奏良ちゃんが想像できて可笑しい。


「どうぞ」

 俺が声をかけると、静かに扉が開く。


「お待たせいたしました。花嫁様の準備が整いました」


 係の女性の後から、純白のドレスを着た奏良ちゃんが現れる。


 ぽかん、と。

 俺と滉太は口を開いて奏良ちゃんを見つめる。


 いつも、化粧っ気がないせいだろう。

 こうやってメイクをし、髪をきれいにセットし、生花で飾り、ドレスをまとって、宝飾品をつけたら。


 彼女は、俺なんかには勿体ないほど、ものすごく美しく、可憐な女性だった。


 さっきまで、『こんな洋風な建物でドレスだのタキシードだの着て日本人が写真撮って馬鹿じゃなかろうか』と思っていたが、彼女こそ、この洋館の女主人だと思った。


 ようやく我に返ったのは、カメラマンが俺と滉太を連写し始めたからだ。


 後日写真を確認したら、間抜け面のピアニストとマジシャンが映っていて互いに苦笑するはめになる。


「へ……。変ですか? 好きなドレス選んだんですけど、似合いませんか?」


 語尾になるほど消え入りそうな声で奏良ちゃんは言い、最後には係員の女性の後ろに隠れてしまった。


「いやいやいやいや」

「綺麗、綺麗、綺麗、綺麗」


 俺と滉太は同時にそう奏良ちゃんに告げる。その様子を見て、ようやく安堵したように奏良ちゃんは笑った。ふわり、と。花が綻ぶように笑うその様子に、俺は見惚れる。


「可愛い」

 思わずそう漏らすと、滉太が失笑し、奏良ちゃんは大きく開いたデコルテまで真っ赤になってうつむいた。その様子を、カメラマンがまた写真に収めている。


「では、実際に撮影に参りましょう」

 係員の女性は、微笑みながら俺たちにそう言う。


 俺は頷き、滉太と奏良ちゃんを見た。

 そして、部屋の隅には背を向ける。


 そこにはもう。

 あの女の子の姿はない。


 歩き出したのだろう。

 光の中に。温かい、日差しの中を。


 そう、思うことにする。


 あの子はただ、家族が欲しかったのだ。

 滉太や優奈ちゃんを見て、家族になりたかったのだろう。

 俺や奏良ちゃんを見て、家族にしてほしかったのだろう。


『そんなことをしていたら、きりがありませんよ』

 能勢のせさんの言葉が不意に耳によみがえる。俺は苦笑して、心の中であの女の子に告げる。


 俺が欲しかったのは、「田部滉太」という少年と、「香川奏良」という女性だ。


 その、ふたりなんだ。


 君は君の。君が幸せになれる家族を探してくれ。


 温かい光の中を歩いて行けば、きっとその家族に出会える。

 俺はそう信じているし、そう願っている。

 ただ一つだけ。

 ただ、一つだけ、忠告だ。


 絶対に。

 絶対に。

 自分を産み、そして命を奪ったあの両親にだけは、近づくな。


 例えその二人が、懐かしい光を放ち、心地よい匂いを漂わせたとしても。

 それは、偽りの光であり、香りだ。


 君は君の。

 新しい家族を、絶対に見つけろ。


「花婿様、ソファの左の方に座ってください」

 カメラマンに言われ、俺はソファに腰を掛ける。カメラマンは次に奏良ちゃんを見た。


「花嫁様、その右に」

 奏良ちゃんが座り、係の女性がふんわりとしたロングドレスの裾を手早く直す。


「ご子息さまは、ソファの後ろに回って頂き、花婿様と花嫁様の間に」

「いや、僕は……」

 そう口にする滉太を、俺と奏良ちゃんが睨んで同時に声を発した。


「滉太」「滉太君」

 二人から言われ、滉太は戸惑いながらも、ソファの背の方に回った。


「もう少し、花婿様寄りに……。はい、そこで止まってください」

 滉太は俺の斜め後ろで止まらされ、その後細かい指示をカメラマンから受けている。背もたれに肘をついて、とか。もっと腰をかがめて花嫁様を見て、とか。


 にやにやしていたら、今度は俺に対してカメラマンが、足を組んでみて下さい、とか花嫁様にもっと顔を向けて、とか言い始めた。

 四苦八苦していたら、今度は滉太からニヤニヤ笑われる始末だ。


「はい、準備できました。撮りますよ」

 そう言いながら、カメラマンはすでに何枚も連写している。


 俺は滉太を見上げた。

 滉太は照れながらも、でも、充実した笑みを口元に滲ませて奏良ちゃんを見ていた。俺の視線を感じたのか、ちらりと瞳を俺に向けるが、顔はカメラマンに言われた通り奏良ちゃんから動かさない。「なんですか?」。そんな目で問われたが、俺は笑って奏良ちゃんを見た。


 彼女は、緊張しているものの、嬉しそうだ。

 俺と目が合うと、「なんですか?」と小声で尋ねられた。


 笑え、なんて心の中で命じなくても。

 俺の表情筋も口元も、ゆったりと笑みを浮かべた。


「幸せだなぁ、と思って」

 俺の言葉に、奏良ちゃんは一瞬目を丸くしたものの、微笑んで頷いた。斜め上からは、「ごちそうさま」という滉太の呆れた声も聞こえる。


 幸せだ、と本当にそう思う。


 あの女の子も。

 どこかでそんな家族を手に入れてほしい。


 俺は、俺の家族を手に入れた。

 そして今、幸せだ。


                        (了)

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幸せな家族 武州青嵐(さくら青嵐) @h94095

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