第73話 一緒にあの家に
「香川さんが見た女の子って、どんな子でしたか?」
田部が上目遣いにそう尋ねる。香川さんは顔だけ田部家に向け、透明度の高い瞳を俺と田部にくるりと動かした。
「三歳か……。四歳にはなってないだろうな、っていうピンクのワンピースを着た女の子かな。二階の」
香川さんは左腕を伸ばし、二階の大きく窓が取られた部屋を指差した。
「あの部屋に、なんだかいそうな気がする」
香川さんが指を差すのは、この家に初めてきたとき、『手跡が見えた』というあの部屋のことだ。
「僕がその女の子を見たのは、お父さんとこの家に来た初日でした」
田部は窓の反射が眩しいのか、目を細めて二階を見上げた。
「お父さんは、どの部屋を使ってもいい、と言っていたので、二階を自分の部屋にしようと思って階段を上がったんです。そしたら」
田部は俺を一瞥する。
「アニマルファミリーってわかりますか?」
「あの、犬か」
「猫です」
じろりと香川さんに睨まれた。
そうだ、猫だったと慌てて「そうでしたね」と頷くと、田部が小さく肩を竦めた。
「猫どころか、熊とか羊とか……。なんだかわからないものまで、たくさんありますよ。ドールハウスもあったかな。それがあの二階の部屋にいっぱい飾ってあったんです」
田部が再び見上げるのは、二階の、香川さんが指を差した部屋だ。
「ここは嫌だな、って思ったんです。きっと前の住人の娘さんが住んでたんだろうな、と思って。なんだか『存在感』みたいなのがあって。……それで」
それで、田部は俺と香川さんが幼児用のキーボードを見つけた部屋を自分の部屋に決めたらしい。
ところが。
「あの部屋、すりガラスになってるでしょう?」
田部に言われ、俺と香川さんは顔を見合わせて頷いた。
「映るんですよね。見えるんですよ」
田部は車に体をもたれさせ、ぼんやりと二階を見上げながらそう言う。
「何が」
愚問だと思いながら俺は尋ねる。田部は当然だと言いたげに、こちらに視線を向けた。
「ピンクのワンピースが、ですよ。廊下を行き来したり、すりガラスに手を突いて部屋を覗き込もうとしたり……」
ふわり、と温もりが近づいたと思ったら、香川さんが俺の側に擦り寄っていた。俺は手を伸ばし、その肩をそっと撫でる。香川さんはどこか青白い顔で俺を見上げ、それから強がって微笑んで見せた。
「お父さんに相談もしてみたんですが、『見間違いだろう』って。そう言うくせに」
田部は笑った。
「お父さんもお母さんも、絶対に二階には上がろうとしなかった。知ってたんですよ、何かこの家にはいることを」
「あの、ぶらんこは引っ越してきたときからあったの?」
香川さんが田部に尋ねる。田部は頷いた。
「少なくとも5年ぐらい前にここに住んでいた女の子なんだろうな、とは思っていました。残っている玩具も、それぐらいのものでしたし」
「お父さんが家を出てから、
香川さんの言葉に、田部は頷いた。
「お母さんはずっと外にいて、日中は僕が世話をするしかなかったんですが……。優奈は、とにかくあの子を怖がっていて」
「怖がっているのに、優奈ちゃんは二階で生活していたのか?」
俺は田部に尋ねる。
俺と香川さんが二階に様子を見に行ったとき、優奈ちゃんは押入れに隠れていた、と言っていた。
田部は少し悲しげに首を横に振った。
「僕と一緒のときは一階にいるんですが、ボランティアさんが来たり、近所の人が回覧板を持ってきたりするときは、優奈は二階の押入れに隠れるように、ってお母さんがきつく優奈に言い聞かせていたから……」
可哀想でした。そう田部が呟く。肩が小刻みに揺れ、そして止まる。ぐっと田部が拳を握ったのだ。
その様子を見て、なんとなく相当なことをあの母親は優奈ちゃんにしたのかもしれない。そう思った。
香川さんも俺と同じ事に気づいたのだろう。彼女の顔は次第に険しくなっていく。
「そのピンクのワンピースの子は、ただ現れるだけなのか? 特に何かこう……。呪うとか、そういう悪いことはしないのか?」
俺は香川さんの肩を撫でながら田部に尋ねる。田部は苦笑した。
「お父さんが家を出、お義母さんがパチンコに狂い、優奈が肺炎で入院したのに、これ以上どんな悪いことがあるっていうんです?」
そう尋ねられれば、ぐうの音も出ない。
ただ。
「お父さんとお母さんに関しては、もともとそういう人たちだったのよ」
香川さんは言い切る。胸を張り、たいして身長差があるとは思えない田部に対して香川さんは睥睨してみせた。
「そのピンクのワンピースの子のせいじゃないと思うわ」
「香川さんは確かにそう思うのかもしれないけど」
田部は視線を再び二階に向けた。
「だけど僕は、あの女の子が僕や香川さん、行橋先生に付きまとう限り、不幸になる気がする」
俺は香川さんと視線を合わせる。
そうなのだ。
今日、この家に来たのは、結局この一言に尽きる。
田部一家が住んでいたこの家は、現在空き家となっている。契約自体は年度末まで継続しているし、賃貸料も前もって支払い済みなのだそうだ。
だから本来は。
田部や、あるいは優奈ちゃんとその後見人となるおばあちゃんはこの家に住もうと思えば住めるのだが。
田部は、この家をがらんどうにすることを望んだ。
そして契約の更新はせずに契約解除するように父親に伝えているという。
田部は、そうすることでこの家にいるピンクのワンピースの子から逃れでようとしていた。
いや。
あのピンクのワンピースの子どもを。
閉じ込めようとした。
この家から出さえすれば、あの子からの因縁は断たれ、『ついて来ない』と思っていた。
ところが。
俺の教室が荒らされ、洗面所が汚され、香川さんは怪我をした。
この状態に、ひたすら怯えている。
いくら、『偶然かもしれない』『見間違いかもしれない』『性質の悪い悪戯だ』と言い聞かせても頑なにピンクのワンピースの女の子の関与を信じ込んでいる。
夜中に夢でうなされ、『来るな』『よるな』と言っていたのは、このワンピースの子どものことだったのだ。
ならば、と。
俺は香川さんに相談したのだ。
一緒にあの家に行き、ピンクのワンピースの子と決別させてやりたい、と。
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