第72話 新しい家族
撃 …… 沈 ……っ。
俺の頭の中には、その二文字しかない。
彼女の表情から読み取るに、これはだめだ。全くダメだ。
呆然とした視界の隅で、田部が慌てたように手を左右に振っているのが見える。
「あの、僕、養子でもなんでもありませんからっ。あの……」
「田部君は問題ないわよ。『
「「……は?」」
田部の言葉を割ってまで喋った香川さんの内容に、俺と田部は同時に尋ねる。
「だけど」
香川さんは俺と田部を交互に見、それからやっぱり俺に視線を向けて、なんだか泣き出しそうな顔で話を続ける。
「だけど、その。なんか、もうすでに聞こえてきそうで……。『え、あれが行橋先生のカノジョ?』『美女と野獣の逆バージョンだよね』的な世間の悪口が」
「……えっと。その……?」
俺は彼女の心情を計ろうと必死で頭をめぐらすが、香川さんは今度は田部に話しかけはじめた。
「私はそりゃ、行橋先生とお付き合いができたり、け……結婚なんて、そんなっ……! あの、ものすごくおこがましいんだけど。そんなことができたら、ものすごく……嬉しいけど……。だけど、私よ? この私よ?」
「ようするに、先生に香川さんはふさわしくない、っておっしゃってるんですか?」
田部が眉根を寄せて要約した。香川さんは真っ赤になって頷く。
「ふさわしいというか、全く問題ないですよっ」
俺は怒鳴る。その隣で、田部が呆れたように香川さんに言った。
「ふさわしい、ふさわしくない、と言うなら、行橋先生が、香川さんにふさわしくないと僕は思いますよ。
この人、同僚とはうまくやれないし、保護者とはトラブル起こしたし、熱血馬鹿だし」
「田部っ! まだ黙っておけ、そういうことはっ」
俺は叱りつけるが、ちらりと一瞥しただけで、田部は香川さんに話し始める。
「香川さん、近隣社協ではそこそこ名前も知られてるし、ボランティアさんにも信頼厚いし……。
この前、県社協で事例発表も新人の中でしたんでしょ? なにも、こんな病気もあって、14歳の男子を養子に迎えようとする男のところに嫁がなくても」
香川さん、結構な有名人だったのか、と愕然とする。
いや、良く考えれば、田部が俺の噂だの学校内での立ち位置だのが判るぐらいだ。SSWの能勢さんからも情報は入っているだろうし、俺のことなんて、最初っから香川さんは知っていただろう。
そんな女性が。
確かに田部が言うとおり、「病気があって」「14歳の養子」がいて「現在職員室で干されて」いる男と付き合おうと思うだろうか。
これは、もう。どうなんだ。
香川さんは、俺のそんな視線を居心地悪そうに躱すと、田部に、「でも」、と声をかけた。
「でも、田部君だって、そんな行橋先生が良い先生だと思ってるでしょ?」
口を尖らせ、こどものように尋ねる香川さんを、田部は面食らったように見つめた。
「いろいろ思うのよ。釣り合わないなぁ、とか。行橋先生カッコいいし、お仕事もできるし、生徒にも慕われてるし、って。私なんか、駄目だよなぁ、とか」
香川さんはやけにマイナス思考を口にしたものの、ちらりと田部を見る。
「だけど、仕方ないじゃない。好きになっちゃったんだから。田部君もそうでしょ。なんか、どうせ僕みたいなのがいたら、先生に迷惑かける、とか思ってるんでしょ」
そう言われ、俺は驚いたが、田部は黙って下唇を噛んでいた。「そうなのか」、と問いただす前に、香川さんが口を挟む。
「この際、二人で行橋先生の家族になろうよ」
香川さんはそう言うと、田部の肩をこつりと左手で押した。そのあと、俺に顔を向け、深々と頭を下げる。
「不束者ですが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
そう言われてもなお、なんだか俺は現実感が湧かず、ただただ、彼女のつむじを見ていた。
「……先生」
肘で田部に突かれ、俺は慌てて頭を下げる。
「こちらこそ。あの、でかい養子もいますが、宜しくお願いします」
そう言って顔を上げると、香川さんがにっこり笑って俺を見ていた。
「はい、引き受けました」
可愛い。思わず見惚れる笑顔でそう言った香川さんは、田部にも視線を向ける。
「田部君も、しっかり後で行橋先生にお願いしなさいよ」
「……別に僕は……」
「照れ屋だな、お前は」
俺が笑って田部の背中を叩くと、「そんなん
「じゃあ、新しく皆で家族になったところで」
香川さんはくすり、と俺と田部に視線を向けた後、ゆっくりと田部家に顔を向けた。
「このお家に住む、女の子の話をお伺いしましょうか」
香川さんの言葉に、俺と田部は顔を見合わせた。
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