第51話 俺は断言する

「そうそう。今日、香川さん、19時ごろ、家に来るそうです。なんか、お話があるそうで、僕も同席してほしい、って。先生も残業をやめて家にいてください」


「そりゃかまわないけど……。なんでお前、そんなに香川さんと仲良いんだ」

 思わずそう言うと、「やきもちですか」とからかわれた。


「お父さんが買ってくれた携帯で、ときどき香川さんと電話するんです。その時に」


 ふぅん、と俺が答えると、田部は助手席のドアを開いてさっさと立ち上がる。お父さんが買ってくれた携帯、というのは俺も見たことがある。一日だけ休みをとって鳥取から来た田部の実父が、『連絡用に』と、キッズ用携帯を田部に持たせたのだ。


 ただ、俺が知る限り、あの実父から電話がかかってきた様子はない。


「行ってきます」

 田部はそう言うと、あっさりと正門の方に歩いていく。田部は、今日は日番で、日番は校門に立ち、登校してくる生徒に挨拶をする決まりになっているのだ。


 長い長い不登校のあとの通学である上に、しばらくは俺と一緒の登校になるわけで、最初は不安もあったのだけれど。


 本人は、肝が太いのか、それともそもそも人に対する興味が、若干薄いのか。


 田部は、全く問題なくクラスに溶け込んだ。


 クラスも、突然現れた奇妙な転校生、ぐらいに見ているようだ。好奇心に負けて話しかけてくる同級生もいて、決して孤立しているわけではない。おまけに、容姿的には大変恵まれたものがあるだけに、熱烈な視線を送る女子生徒までいる。


 この調子で、田部がこの学校や生活に順応してくれれば。

 そんなことを思いながらも、我に返る。


 プリクラだ。あれ、本当にあるのか?


 だいたいなんでそんなものを、沙織は貼ってるんだ。

 俺は運転席から上半身を伸ばし、助手席に手をついて、扉の下部にあるドリンクホルダーを覗き込んだ。


「……まじかよ」

 田部に言われた通り、ドリンクホルダーの底の辺りにそれは貼られていた。


 いつ撮ったのかもすでに忘れたような写真だ。社会人になってからなんて撮った覚えがないから、多分学生の頃のものだろう。俺は指を伸ばし、剥がし取る。


 まじまじと見つめると、紫外線に焼けたのか、それとも劣化したのか、俺の顔も沙織の顔も若干薄くなっているが、それでもプリクラが”俺”ということは判別が出来た。


 なんで、こんなものをここに。

 俺は顔を顰めて、くしゃりとプリクラを丸めて潰す。無造作にスラックスのポケットにねじ込んで車から出た。


 鞄を持ち直し、扉を閉めて施錠する。

 同時に。

 携帯が鳴り出した。


 なんだ、誰だ。


 そう思いながらも、さっき、田部が香川さんが夜に来る、という話をしたせいか、なんとなく香川さんだろうか、と期待したりもして心が沸いたが。


 表示パネルの文字を見て、しばらく動きが止まる。


 沙織だ。


 文字を見ただけで、眉根が寄った。

 助手席のシートは良いとして、プリクラはなんだか悪意がある。


 どうしようか。

 このまま、携帯を取らずに放置しようかとも思ったが、掌の中で結構しつこく震え続ける。周囲に視線を走らせ、人がいないことを確認して、パネルを指でなぞった。


「……もしもし?」

 低く小さな声でそう尋ねると、「魁人かいとぅ?」と穏やかな声で尋ねられた。少し舌足らずで、そして語尾が曖昧に伸びるこの感じ。


 不思議だと思う。

 昔はとても可愛く感じていたのに、今は明瞭に発語する香川さんの話し方のほうが、断然好感が持てる。


「なに?」


 俺の言葉は大分硬い。この前突然訪問してきたことに加え、さっきのアレだ。どうも警戒感が滲んでしまう。何か言ってやらないと気が済まない。


「どうしてるかなぁ……って思って」


 だが、香織はいつもの調子でそんなことを言い出す。俺はため息をつきかけた。こいつ、本当に変わってない。この感じでは多分、仕事で何かあったのだ。愚痴か不満が溜まっていて、その吐き出し口を求めているんだ。


「ごめん。いまもう、仕事場に来てるから、話聞けない。それから、お前……」

「だよね。うん。分かってる。だからさ」


 は? ……『だからさ』……?


 呆れと怒りがない交ぜになった感情が腹に燻る。それがいやな気分にさせた。だから、なんだ。俺の言葉を遮ってまで何を言いたいんだ。


「時間が取れるときに、一緒にご飯でもどう?」

「無理」


 俺は断言する。


 電話の向こうで、少し息を飲む気配があったが、俺は無視する。


 なんでこいつの機嫌をとらなければならないんだ。

 昔ならそれなりに愛情だの愛着だのがあったから、優しく接していたが、何もかもがなくなったいま、こいつに俺の優しさや時間的余裕を分けなきゃいけない理由がわからない。理不尽な思いだけが心に渦巻いた。


「俺達、別れたんだよな」


 はっきりさせるためにそう言ったのに、沙織の答えは頭を抱えたくなる物だった。


「もう一回、やり直そうよ」 


 あれだ。

 多分、いま、誰もこいつの話を聞いてくれるやつが側にいないんだ。

 これみよがしにため息をつく。俺と別れた直後は、自分に都合の良い事を周囲に吐き散らし、同情や憐憫を引いて自分の思い通りに人を動かしていたのだろう。


 だが。

 時間が経てば、周囲も「もういいだろう」と見切りをつけ始める。

 そして。沙織は思ったのだ。

 自分の話を聞いてくれるのは、魁人こいつしかいない、と。


「仕事始まるから」


 言ってやりたいこととか、やり返してやりたい気持ちはあったが、それ以上にもう喋りたくなかった。俺が冷淡にそう言うと、「待って」と焦った声が聞こえてくる。


「今、誰かと付き合ってるわけ?」

「付き合ってないけど、お前とは無理」


 そう答えたときだ。


行橋ゆきはし先生ぇ! 教室開けてぇー」


 騒がしい足音のあとに、相模さがみの大声が俺の耳に飛び込んできた。


「生徒が呼んでるから。じゃあ」

 そう言って、一方的に電話を切り、相模に向かって声を張る。

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