第42話 俺の居場所は

 第三者委員会が調査し、出した結論に俺はぽかんと口を開けたまま、芝原先生の顔を見つめた。


『最初に、「いじめ」と呼ばれる行為をしたのは、佐藤だったんだ』

 芝原先生は、さらりとそう言った。


 もちろん、佐藤の保護者は怒り狂ったという。


 だが。

 実際に被害にあった生徒とその保護者達が『出るとこ、出ましょう』と言い出したのだそうだ。今まで黙っていてやったが、そちらが被害者こちらに対して『嘘つき』呼ばわりするのなら、どっちが『嘘つき』なのか、はっきりさせようじゃありませんか、と。


 第三者委員会に対し、警察にも関わってもらえるようにを申し出を行ったのだそうだ。実際、「いつ、どれだけの回数、おごらされたか」ということを被害生徒は正確にメモをしていたのだそうだ。


 それを聞き、佐藤の保護者が引き下がった。


 そして。

『来月、転校するそうだ』

 芝原先生は、ペットボトルのお茶をごくごくと飲み干しながら、そう告げた。


行橋ゆきはし先生は……。3学期の間は、保健室登校する生徒の学習を見てやってください。そのあと、新学期からは、特別支援学級をお願いするつもりだから』

 芝原先生の言葉に、ただ俺は頷くしかなかった。


 結局、俺は。

 何も、見えていなかったのだ。


「その不登校生徒の対応に追われた結果、保護者の怒りを買い……。学級運営も上手く行かず、体調を崩して休職したんです」


 詳細まで語るわけにはいかないので、簡単にそう説明した。

 あはは、と笑いながら、俺はフロントガラスを見てハンドルを握る。


「特別支援学級の担任はその時、打診されて……。芝原先生も、『昔から君は向いていると思っていた』って言ってくれたし。それで……」


「いろいろあったけれど。それでも、教職がいいんですね?」 


 不意に彼女からそう言われ、俺は笑顔を顔に貼り付けたまま、硬直した。


「体調を崩すほどですから……。きっと辛いことが一杯あったんでしょうけど、それでも教職が良いんですね?」

 香川さんが澄んだ声で俺に尋ねる。


 何度も何度も。

 それは、休職中に考えていたことだった。


 年齢的にも別に転職しても無理はない。以前、教員をしていました、と言えば学習塾の講師では気に入られる、とも聞く。


 だけど。

 何度も何度も。

 それでも、教職を続けるかどうか自分に尋ねてみた時に。


 やっぱり、俺の居場所は『教室』だと思ったのだ。


 生徒がひとりでも、30人でも。

 人数なんて構うもんか。

 学校に3年間やって来て、将来大人になって、『あの時、楽しかったな』。そんな空間を作りたくて、俺は教員をやってきた。


 中学校の3年間で学んだ知識が、将来ひょんなことで役に立ち、『なんだ、学校で習ったことって、こういうことか』と苦笑するような。そんなことを伝えたくて、俺は教員をやっているんだ。


 そう思ったら。

 どんな部署に回されたとしても、そこに「教室」があるのなら、そこが俺の居場所だ。


「そうですね。教室が俺の居場所ですから」

 俺の返答に、香川さんはうなずいたように見えた。


行橋ゆきはし先生みたいな方に担任を持ってもらって、田部君は幸せですよ」


 香川さんが口にした言葉に、不覚にも涙が零れた。


 幸せだろうか。

 将来。

 田部も、相模さがみも。


『中学校の時の行橋って先生さ。ちょっと変わってたけど、良い先生だったよな』

 そうやって笑ってくれるだろうか。


 慌てて顔を背け、左手で乱雑に涙を拭う。香川さんは、そろりと顔を背けてくれて、俺はその間に必死で顔を取り繕った。


「あ。そうだ」

 俺が落ち着いた頃を見計らい、香川さんが明るい声を上げた。


「はい?」

 首を傾げると、香川さんはシートベルトを緩め、胸ポケットから名刺を一枚取り出した。


「私の携帯番号が書いてありますから。土日に何かあれば、連絡してください」

 香川さんはそう言い、「ここにおきますね」とダッシュボードの小物置きにそっと載せてくれた。


「ああ。じゃあ、俺が一度携帯を鳴らすので、その番号を登録してもらってもいいですかね」


 俺はちらりと名刺に視線を走らせる。さりげなく携帯番号をゲットした、と思ったものの。携帯番号が名刺に印字されているところを見ると、社協で持たされている携帯なのだろうと察しが着いて、少しがっかりする。


「先生の携帯は私物ですか?」

 重ねてそう尋ねられ、俺は苦笑した。やっぱり、向こうは私物ではないようだ。


「私物です。いつでも電話ください」

 そう応えると、曖昧に微笑された。


 これは、脈が無いな。


 そんなことを思いながら、俺は社協まで車を運転したのだけれど。


 この携帯番号の交換が、後日田部の危機を救うとはこのとき、思いもしなかった。

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