第23話 田部が、見ている
「いいんだ、田部。先生が悪かった。ごめん。玄関外だな。香川さん」
俺は田部の肩に手を伸ばしかけ、それから止める。触れれば、壊れるようなほど、田部が何かを思いつめているように見えたからだ。
「ボランティアさんにお願いしてもらえないかな。玄関外で、って」
俺は即座に香川さんに伝える。香川さんは俺の顔をぐい、と見上げた。しばらく無言で俺を見やる。
「先生は、私にボランティアにそう説明しろ、とおっしゃるのですね?」
ようやく彼女が発したのは、そんな言葉だった。
「雨が降るかもしれない、今からの季節、暑くなるかもしれない、虫だって出るかもしれない。そんなところで、ボランティア活動しろ、と?」
真ん丸い、強い意思が潜む目で俺は睨み上げられる。俺はその目から視線をそらさない。
田部が見ている。田部は、それでもボランティアの指導を待っている。そう感じた。
香川さんがボランティアさんの代弁者であれば、俺は田部の代弁者だ。田部の願いを彼の代わりに伝えねば。
頭の中はそのことだけだった。
「お願いします。できるだけ、俺も協力しますから」
俺がそう言っても、香川さんは俺を無言で見上げ続けた。
「あの」
互いに黙って見詰め合っていると、その空間を田部の変声期直後の少し掠れ気味の声がかすめた。
俺と香川さんは同時に田部を見る。
「家の……。あの、あそこにキャンプで使うようなパラソルつきのテーブルと椅子があります」
田部は、鳶色で色素の薄い瞳を俺と香川さんに向け、交互に顔を見た。
「それを、僕、ボランティアさんが来る日は、玄関前に持ってきます。虫除けも用意します。あの……。扇風機は無いけど。麦茶か何か作ります。アイスノンもあったかも……」
田部は必死に言葉を紡いで、そして口を無言で開閉する。
言葉が、続かない。ただ、頭は必死にめぐらせているようで、瞳はせわしなく左右に揺れ動いていた。
「あの……」
田部はそう言い、結局、何も言わずに黙った。
「それが君の、ボランティアさんへの感謝の精一杯?」
香川さんが真っ直ぐに田部に向かって言葉を放つ。田部は、強烈な掌底でも食らったかのようにみぞおち辺りのTシャツを掴み、ぎゅっと下唇を噛んだ。
フリーズかと思ったが。
違うらしい。
目まぐるしく瞳を左右に散らせ、それから香川さんを見上げた。
「はい」
どこか、観念したような。降参したような声だった。
「僕には、それしかできない」
呟くように、田部はそう言い、それから鳶色の瞳を香川さんに向けた。
「これが僕の精一杯です」
香川さんはしばらく無言で田部を眺めているから、俺は内心落ち着かないまま彼女と田部を交互に見比べる。そんな俺の前で、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ボランティアさんは無償で活動されるの」
香川さんは田部に静かに話し始めた。
「だけどね、無償だからって、何もいらないわけじゃない。ボランティアさんの活動の原動力は、『ありがとう』という感謝の言葉だったり、行動だったりする」
香川さんは、田部の顔を覗きこんだ。
「田部君の誠意はいま、聞かせてもらった。それを私はボランティアさんに伝えてみるね。後は私が引き受けたよ」
香川さんは笑顔でそう田部に続けた。
「ボランティアさんに来てもらえるよう、私も出来るだけ一生懸命努力してみるね。だから、田部君も、ボランティアさんが来やすい環境を一緒に作ってね。例えば、草をむしる、とか」
香川さんの言葉に、大きく息を吐いたのは俺だけじゃなかった。田部もだ。
思わず二人で顔を見合わせ、それから何度もうなずき合った。
「でも、この悪条件なら断れても仕方ない事案だからね。安心しないでよ」
香川さんは田部を睨んでそう言い、ついでに俺まで睨まれた。もらい事故もいいところだ。
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