第21話 香川さんが怯えている 

「田部君は、顔を出してくれるでしょうか」


 不安そうな声に、俺は門扉越しに中を覗き込む彼女を見下ろす。ハの字に下げた眉の彼女は、きゅうん、と言いそうなほど、母親からはぐれた子犬に似ていた。


「田部は『待ってます』って言ってましたよ」

 そんな香川さんを励ますように背中を叩く。


 俺は軽く叩いたつもりだったし、勇気づけるつもりだったし、いや、そもそもを言えば、触れるつもりもなかったんだけれど。


 結構勢いよく、ばんっと音がした。

 しまった、とおもったときにはもう香川さんは、俺に背を押されるような形で、いとも簡単に前によろめき、門扉にしがみついていた。


 がちゃん、と派手に金属音が鳴る。


「うわっ。すいませんっ、香川さんっ」

「ご、ごめんなさいっ」

 香川さんもその門扉が立てた大音に怯えたように言い、慌てて離れた。


 だが。

 門扉の片方は大きくかしぎ、ゆっくりと家側に向かって開いていく。


 ぎぃぃぃぃぃぃ、と。

 軋みを上げて。


 門扉は、開いた。


 ぎぃぃぃぃぃぃ、と。


 どうやら。

 錠受け座に、アームが引っ掛かってはいなかったらしい。


 俺と香川さんの目の前で。

 鼓膜をざらりと撫でるような金属音が鳴り、門扉は更に大きく開く。


 ぎぃぃぃぃぃ、と。


 門扉が視界から消え、やけにはっきりと田部家の玄関扉が見えた。長年風雨にさらされたせいか、木製の扉が毛羽立っている。


「……行きましょうか」

 俺は香川さんに声をかけた。


 てっきり。

 香川さんも、俺と同じように古びた玄関扉を見ているものだと思っていた。


 だが。

 そうではないらしい。


 俺の視線の先で。

 香川さんは。

 顎を上げてを見ていた。


 空を見ているのかと思ったが違うらしい。俺は彼女の瞳の先を追う。


 香川さんは。

 まっすぐに。

 二階を見ていた。


 二階の窓だ。

 随分と埃でくすんだ窓ガラスだ。カーテンは開け放ったまま。だが、内外の埃や汚れで全く室内がうかがい知れない。


 香川さんは。

 そんな窓ガラスの、なにを見ているんだろう。

 俺がさらに目を凝らしたときだ。


「すみません……っ。中に入りましょうか」


 香川さんが急にそんなことを言い出した。


 彼女の顔を見下ろす。


 珍しく。

 目元が強張っていた。


 いつも柔和に目じりが下がり、笑みを湛えた瞳ではなかった。

 どこか怯え、怖気たような色が黒瞳ににじんでいる。

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