第10話 俺は、確かにそう言った

 俺の言葉に、香川さんは目をぱんぱんに見開いた。何か彼女が言うより先に、能勢のせさんが言葉を発する。


「お母さんは在宅されていたんですね?」

「はっきりとどこにいる、とは言いませんでしたが、背後から漏れ聞こえる音から察するに、パチンコ屋のようでした」


 俺の返答に、能勢さんは小さく溜息をつき、香川さんは言葉を失い、校長は、「あの大音量はパチンコだよねぇ」とのんびりと呟く。


行橋ゆきはし先生は、田部君のお母さんに、家庭訪問と、田部くんの今後について話がしたいっておっしゃった?」

 能勢さんの言葉に、俺は頷く。


「一度も学校に来ていないので、一度お母さんと今後についてお話をしたい、と」

「そしたら、『放っておいてください』か……」

 能勢さんの語尾は、香川さんの怒声に消えた。


「放っておいたから、こんなことになってるんでしょうがぁっ!」


 いきなりの怒声と、その勢いに、校長室に居た全員が息を飲む。

 見た目は小さく、草食系の動物にも見えた香川さんが、こんな大声で意見をはっきり言うとは思わなかった。


「……すみません。それで?」

 香川さんはようやく皆の視線に気付いたらしい。ばつが悪い顔で俯き、俺を促した。


「それで」

 俺は改めて咳払いをした。


「お母様はそのようにお考えのようですが、お父様は田部くんが登校しないことについて、どのようにお考えなんでしょうか、と聞いてみたんです」


 俺はちらり、と校長を見た。校長はのほほん、とした視線を俺のネクタイのあたりに向けているだけで何も言わない。そこで、俺は続けた。


「夫も、放っておいて欲しいと言っている。引越しで動揺しているんだろう、滉太こうたが自分で学校に行けるようになるまで、待っていてくれ、と」


「おっしゃっていることは間違ってませんね」

 能勢さんは腕を組み、ゆっくりと背もたれに上半身を預けた。


「生活環境が変わり、いきしぶりが始まった生徒には、確かに『待つ』ことが有効であったりします。同じような状態の保護者から相談を受けたら、私もやっぱり『お子さんが学校に行こうと思える日まで待ちませんか』と、言うでしょう」

 能勢さんは、真正面の校長先生を見た。


「だけど、私と香川さんが呼ばれたということは、そのお母さんがおっしゃることは、嘘なんですか?」

 能勢さんは苦笑して校長に尋ねる。校長はのんびりと、「嘘でしょうなぁ」と答えた。


「行橋先生は電話を切ったあと、私におっしゃった。『あれは、子どもを学校に来させようとしていない』と」

 校長は、ゆったりとした視線を俺に向け、「そうだったね?」と確認を促した。俺は頷く。

 電話を一方的に切られ、俺はその時、確かに怒りを覚えた。


『何が「放っておいてくれ」だ!』


 香川さんではないが、切れた電話に向かって怒鳴りつけた。

 俺だって、何人か不登校の生徒に接したことがある。田部が初めてじゃない。保護者にだって面談をしたし、本人の意見を聞いたこともある。


 そこで気付くのは。

 当事者の『焦り』だ。


 いじめなど、明確に不登校の理由がある場合を除き、不登校で浮かび上がるのは、必死なほどの『切迫感』だ。


 親は学校に行かせなくちゃいけないと思っている。本人も学校に行かなくちゃいけないと焦っている。

 不登校は初期対応が大切だ、などと言われるから余計に親も子も切羽詰まってくる。

 その思いが空回りをし、本当は互いに思いあっている親子が、関係をこじらせていることが多い。

 毎朝『学校に行け』と怒鳴る親に、『行けるなら行っている』と、泣きながら部屋に閉じこもる子ども。


 そんな時に、能勢さんが言うように、「待つ」ということは有効だ。


 剣道で言うならば、互いに「打つべき機会に打っていない」のだ。


 待つ、ということは次の機会をうかがうことであり、相手をじっと見ることに他ならない。無闇に動くのは、相手を気にしているような振りをして、実は自分のことしか考えていない。

 だから、じっくり待って互いに相手を見てはどうだ、と促すのは確かに良い事だと思う。


 だが。

 あの母親は違う。


 あの母親から感じるのは。

『無関心』だ。


 自分のことも。

 子どものことも。

 興味が無い。


『見ない振りをしている』。

 あの母親の本音はそれだ。


『あの親は、子どもを学校に来させようとしていない』

 俺は確かにそう言った。

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