第20話 希望は、生まれる

「あっちゃぁ〜。やっちゃいましたねこれは」


明るい茶髪の男が洞窟の中、右足を抱え困ったような声をあげた。灯りは小さな焚き火1つだが、充分にこの空間を明るい炎の色に染め上げていた。


男が抱える右足は、膝から下が腫れ、普通ならあり得ない色に変化していた。


「感覚なーい。腐ってるんじゃないですかね。今はそうじゃなくてもいずれそうなりますか」


男は、戦うことはできても治すことはできない。治す魔法は、知らない。


治療の方法は知っていた。だが魔法で痛みを誤魔化し今まで放置していた。


残る方法は1つ。


「……切りますか」







◼️◼️









境界線がわからない全て灰色の世界の中、1つの異色が、現れた。


「…………」


だけどそれに反応する気力がない。また影が蠢き何かを形作る。発せられた言葉が刃となり体を傷つけ、消えていく。見えない何かがドクドクと、流れてはいけないものが、流れていく。


冷たくなった自分の体は、もう流れるものなど無いはずなのに刃が刺さるたびに何かを流す。流し続ける。


『……ぁる……起きて、なのです…………ヴァル…………、ですよ……から…………』


異色が、水色が鼓動し、声が聞こえた。


そしてなぜか、今までたくさんの声を、言葉をかけられたのに、その声はなぜか刃にならず水色の光をこちらに伸ばしてきた。光は、足元で止まり影を隠す。


『ヴァル。見つけたですよ』


一歩、踏み出してみる。光の中に足が入った途端、暖かいものに包まれる。


『ゆーっくりでいいです。私は、待ってるですから』


目の前には、水色の髪の仲間がいる。優しい笑顔で周囲を明るくする仲間の少女が。なぜ、とは思わなかった。


またゆっくりと足を踏み出す。


だがそれは、何かに足を掴まれることで失敗した。


振り向くと、足元にぼんやりと写っていた自分自身が半身だけ足元から体を出し、伸ばした手で足をしっかりと掴んでいる。


『逃げるのか?お前の罪から』


ニヤリと笑う自分は、片手でしっかりと足を掴みながらゆっくりと全身を表す。


言うならば、黒。真っ黒なオーラを放ち、足元には黒い影が蠢いている。いつの間にか足を掴むのは手ではなく、その足元から伸びる影になっていた。


『大事な仲間を見捨てて逃げ、ここからも逃げる。その前にここに来たこと自体、世界から逃げたのと変わらない。なのにまた逃げるのか?』


『逃げるのとは違うなのです。乗り越える、なのですよ。大丈夫、待ってるです。いつまでも。時間はたっぷりあるですからね』


“俺”の言葉に少女は反論すると、その場に座った。なぜか、そのことに俺は安心していた。


『待つですよ?そのために準備してきたですから。さ、乗り越えたら一緒に帰るです』


乗り越える。


罪を。やってしまったことを。


『そんな簡単なのか?俺の罪は』


そう、だ。そんな、簡単なことじゃ、ない。


『世界を壊したんだ。簡単なことじゃない。当たり前だろ』


俺は、世界を、


『そうそう。壊した。希望はあるとか言っちゃって。無いよ、取り返しはつかないほどに世界は壊れてしまいましたー。あ、壊した、か』


そうだ、壊してしまった。


この目で見たはずだ。この場所と同じ色の、最悪の世界を。荒れ果てた世界を。


『そもそもさ、勇者が負けるってどうなの?人の信頼を全部無くしたよね、俺』


何のために俺は勇者になったんだ?人々を、助けたいって思ったからじゃないのか?


なのに、俺がやったことの結果は、人々を苦しめることになった。


『だから、そんな簡単じゃないんだよ。世界は。戻ったって同じ景色を眺めるだけだぜ』


“俺”から伸びる影がウネウネと動き、足を勢いよく這い上がってくる。


だけど俺はそれを眺めることしかできない。


『俺が悪いんだよ。全部』


『レノはどうするなのですかねー』


全て飲み込まれそうになった時、後ろで俺を待つ仲間の声が聞こえた。


そうだ、レノ。約束したじゃないか、助ける、って。


影がゆっくりと離れていく。


『レノ、ね。でもさ、なんで約束しただけで助けに行くんだよ。勝手に来ただけだし』


大切な人だ。いつも隣に立って、俺を助けてくれてた。


『所詮さ、レノだって俺を利用してた。勇者の力を。そうだろ』


レノとは、そういう関係じゃない。


『どうせ助けに来た理由だって、また俺の力が欲しくなっただけだって』


だったら、自分が捕まってまで俺を逃がさない。


レノは、そんなことは考えていない。自信を持って言える。俺とレノは、“俺”の言うような関係じゃない。


『……俺は、求められるような人間じゃあないだろ?』


突然、“俺”の纏う空気が変わる。


いつの間にか俺から全て離れていた影が“俺”を覆い隠す。


『俺は、善なんかじゃない。感じてただろ、俺には』


影が晴れる。“俺”の姿が見えるようになった。


『悪の、暗い感情の方が、多くを占めてる、って』


黒が混じった髪に、赤の、瞳……?あの魔王を連想させるような、攻撃的な赤い瞳。


『イル・レーナ。勇者の家系。俺の、家。ひいひい爺ちゃんはもっと俺より強かった。聞いたよな、俺の年で魔王を圧倒してたって。長い金髪をなびかせて俺が勇者になる前もずっと戦ってたし、俺よりもっと勇者らしかった。どこかでは、わかってた。俺は、何か違うって。だろ!?』


赤い瞳を俺に向けたまま、荒い口調で捲したててくる。言葉と同調するように、影が揺れる。


『みんな、言ってた。間違いじゃないか、って。俺は努力した。認めてもらいたかった。もちろん、普通の人よりは強くなった。でもそれは勇者だからじゃない!俺が、普通の奴らよりもたくさん、たくさん努力したからだ!勇者だから、勇者なんだから。なんだよそれ。だからなんなんだよ!俺は、俺個人として、認められたかった。なあ。思ってるだろ?勇者なんて辞めたい、って』


思ってる、のだろうか。


確かに、思ってる。こんな重くて、潰されそうなもの、捨ててしまいたい。


世界なんて大きなもの、俺は背負えない。


『だろ?だったら……』


「でも、俺じゃないと駄目なんだ。俺だから、こんな結果になった。だけど、我儘だけど。俺は勇者にならないと、レノと隣で戦うことはできてなかった。フィアにも会えてなかったし、セラも、クラムも。リルアにだって。仲間に出会えてなかった。重いし、捨てたい。でもさ、こんな所にまで助けに来てくれて、こんな長い時間待っててくれる仲間、そうそういないだろ?自分が捕まってまで俺を逃してくれる仲間だって、いない。だから俺は勇者じゃないと駄目なんだ」


完全に俺の我儘だ。それはわかってる。俺の気持ちを満たしたいから、勇者になる。そういうことを言ってるのは、わかってる。でも、そうなんだ。


「責任、っていう大きなものも、仲間がいたから背負ってられた。これからだって、重いけど、嫌だけど。みんな支えてくれるから、背負えると思う」


『そんなの間違ってる。じゃあ、なんでこんなとこに堕ちたんだよ。レノとの約束、守る気無かったんだろ!?セラの声、聴こえてただろ!?だけど俺は全部から逃げた!無理だったから!そうじゃないのか!?』


約束は、守るつもりでいた。見捨てられないし、見捨てたくない。セラの声も、聴こえていた。でもその時は、世界の現状を受け止められなかった。


『言い訳じゃないか。ただの、言い訳』


『だったら何がいけないです?言い訳上等、それで戻れるなら万々歳なのです。ですね?さてヴァル。理由は何だっていいなのですよ。例えば……レノならなんて言うですかね?』


レノ、なら。


レノなら、なんて言うだろう。



「──我儘だってなんだっていい。の思う通りに行動する」



例えそれが過去の自分と矛盾したことだとしても、今から生きるのは未来なんだから。


『…………そう、か。いいさ、そうやって自分を騙せば。いずれ分かる。俺が、何なのか。“俺”は、俺なんだ』








◼️◼








眼が覚める。


「ヴァル!!わかる!?私よ、セラよ!大丈夫?わかる?」


うるさい。


「しつ……こ、い」


声が出ない。ガラガラで、痛い。


腹の辺りに重さを感じる。見れば、フィアが上半身を預けて眠っているらしい。


「あら。気がついたんですの?」


「りる……?」


「えぇ、えぇ。完璧美人のリルア・グラナティスですわ。あんまり無理に話そうとしないでくださいまし。病み上がり、ですわよ。話せるようになってから、セラとフィアに感謝の言葉をこれまでにないくらい沢山言いなさい。それまでは言うことでも考えておくんですわね」


最後に見たのはセラだったから、セラが全部やってくれてたんだろう。あの時セラは1人だったのか?それとも、フィアもリルアもいた?


1人だったなら、俺はとんでもないことをした。謝らないといけない。


そして、あの場所でのことは、全部覚えてる。突き刺さる刃、流れ出るもの。冷たくなる体。そして、暖かい光。笑顔。言葉。


もしもフィアがいなければ、俺はずっとあのままだった。感謝してもし足りない。


「……ん、んん…………はっ。ヴァル?ヴァル?あっ。起きたです!良かっ……あれっ」


フィアが突然気がつき体をあげたと思えばガクン、とまた上半身を俺の腹に戻してしまった。


「ぐふぅ……」


「大丈夫、フィア?あんな長い間あの魔法使ってたんだもの。疲れて当たり前だわ。リル──」


「じゃ、ベッドに運んであげますわ。わたくしが」


だいぶ大きな衝撃だったのに、何も言われなかった。まあ、迷惑かけてたのは俺なんだけど……なんだかこう、精神的にくるものがある。


「さ、行きますわよ、フィア」


「じ、自分で行けるです。なのです。や、やだぁ〜っ!」


大きな声をあげながらフィアがリルアに連れていかれ、部屋には俺とセラだけが残った。


よくよく部屋を見れば、最初に見た部屋と同じだ。殺風景な部屋。ドアがなくなり、蝶番だけの出入り口、白とグレーのマントがかかった帽子掛。白と、グレー……。


そうか、セラはレノといたんだ。あのマントは何回か見たことがある。いつも着てるわけじゃなかったけど、隠れて動く時とかに着てたやつ。懐かしい。


ガラスのない窓からは、今の世界の──。


「ぁ……?」


緑の木々?鳥のさえずる声?


え?


「……あ、森は残ってたのよ。少しだけなんだけどね。リルアに教えてもらったわ。大きな森は、まだ消えてないのよ。今はそこにいるの。外だと魔力が濁ってて、あなたにも良くないと思ったから。まあ……ここに来たのはたまたまなんだけど」


そう、か。緑はまだ残っている。


まだ、終わっていない所がある。



今の俺には、それだけで充分だった。それだけで、まだ希望は持てる、と。そう思えた。

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