第15章 ANGEL ATTACK 第3話

「じゃ、明後日午後2時半に」

 ということが決まって、みゆきの母は帰っていった。

「そういや八木さん、今日は早いねえ、昨日は具合悪そうにしてたのに」

「寝不足だったみたいで、帰ってすぐ寝たら良くなったっす。ほいで、大将に質問があって」

「なんじゃね」

 と受ける隆宏の横で絢子が「そりゃよござんした」と言ったが誰も拾わない。

「昨夜大将、確か…… 七瀬姉妹に関わる男どもはこの店を窓口だと思っちょるんか、とかって言ってましたけど、最近他に何かあったんすか?」

 前に彼女に告ってた漫画の編集者かな? と、この店で現場を見ていたので八木は予想する。

「それがね、今月の初めに、祐ちゃんのおとっつあんがロンドンから帰ってきちょるんよ。昨夜毬ちゃんたちを送ってった時に聞かなかったですか?」

「想像もしてなかったし聞きにくいっすよ……ふうん」

 それは盲点だった。

 俺が彼女を口説く時はちゃんとケータイに電話しよ……て待て待て待てどういうことだそりゃ。

 八木は内心動揺していた。

「毬ちゃんの今の家がわからないし、わかってても家に行くのはまずいだろう、この店に行けばおるじゃろう、ってことで、帰国したその足でここに現れよってね。ほれ、この街、成田からわかりやすいから。青砥で乗り換えさえすれば来られるから。

 毬ちゃんはりんだちゃんの仕事で来られないで、由美ちゃんがたまたま応対したんけどね。その後ふたりはどうしたか知らんけど、ロンドンに連れて行きたい言うんを毬ちゃんが断ったんちゃうかなと俺は思うんよ」

「なるほどね……

 三村さんの旦那さんは彼女に携帯着拒食らったんちゃうかと」

「それだと納得いくけど、どっちにしてもここにいきなり来るのよして欲しいわ……八木さん、毬ちゃんを口説いてもええけど、本人に直接電話したってな?」

 へ?

 さっき思ったこととそっくり同じ。

 八木は自分の頬がかすかに赤くなるのを感じ始めた。

「すみません、イカ玉とコーラ」

「あいよっ」

 八木は持ってきた漫画で顔を隠しつつ注文する。

 これはヤブヘビかな……?

 プレスリー爺さんと隆宏はそんなことを想った。

「あ、忘れてた、大将、俺にもミックスとビール! というか昨夜、なんか修羅場だったんだって?」

 プレスリー爺さんが慌てて言いだす。

「こないだ爺さん会ったろ、毬ちゃんの妹。彼女の旦那が謝りたいから会いたいって言ってきてさ」

「ふんふん」

「律っちゃん凄かったで、めっさ強く出ちょったわ」

「へええ、見たかったな、ああ、それでこないだ離婚について聞きたいとか言っとったんか。あ、

 ミックス頼んだで」

「あいよっ」

「八木さんは昨夜ここに居たの?」

「居ましたよ……怖くて、頼んだミックスもなかなか来なくて、食べれなくて、話が終わって手を付けたら冷めちょったです」

 有線が、小沢健二の「僕らが旅に出る理由」を流し始めた。

 家に帰ったら、ちょっと自分の気持ちを整理してみよう、と八木は思った。

 プレスリー爺さんは携帯灰皿とキャスターマイルドを持って、扉の外へ出た。扉で、昨夜も居て、エータローのことも見た人物とすれ違う。


 三村さんと由美の関係はえらいことになったなと思った。無関係の筈の中学生の受験勉強にまで影響及ぼして。

「律子ー、ちょっと雷おこしかなんか買いに行こう」

「なんでまた私まで」

「自分が全くの被害者だと思ったら大間違いだからね。昨夜祐介のグループの女の子のお母さんが藤花亭に電話してきたの聞いてなかったの? お詫びに菓子折り買わなきゃ。藤井夫妻の分もね。2,3人お客さんが逃げてるみたいだから。後で三村さんに領収書回すにしても。そもそもあの人が店を窓口みたいにしたのが悪いんだから」

「ケータイ着信拒否したんだもん」

「そういうことね。あー、そのカッコならいいや、行こう」

 ということで姉妹2人で、浅草へ雷おこしを買いに行った。律子を祐介の自転車に乗せた。自転車なんて何年ぶりだろうと思いつつ、文句を言えない状況なので勧められるまま律子は自転車に乗った。

 2人で雷おこし買いに行くからあんたのチャリ借りるよ、と祐介にメールをした。


 三村のメールアドレスを教わり。携帯電話で撮影した雷おこしの領収書の写真を添付する。

 三村は、雷おこし3箱分全額を慰謝料に上乗せすると返事を寄越したので、遅いような気もするけどまあいいか、と考えて了解の返事を出した。


 藤花亭での保護者会当日は、お昼ご飯を食べがてら店に居た。律子も謝らせるために連れてきていた。

 カウンターに八木が居た。

「こんにちは」

「毬子さんここに来る回数減ったよね」

「そう……かもしれないな」

 少しでも会えるのは嬉しいけど、保護者会になったら居てもらえないよね……

「えー、今日は、2時半からひとが来るので、1時45分には撤収していただくので早めに食べてください誠にすみません」

 と隆宏も言ったことだし。

 これは、5年前に隆宏が町内会の役員をやってた頃はよく起きていたことである。午後2時半から会議に使う、その応用に過ぎないので。みゆきの母の申し出にも、絢子が難なく応じる所以である。

 八木は割と、ここでする内緒にすべきな話を聞いていた気もするが。

 なんか心細くもあるな。

 三村が一方的に悪いというのは少し違うとは、毬子がずっと思っていることだけど。律子は経済力がないので、毬子が立て替えたし。

 午後1時に、黒地に白いアルファベット文字がいっぱい散った柄のカットソーを着たみゆきの母が現れた。

「あっ……どうもいらっしゃいませ」

「一昨日食べられなかったので、今日はミックスをいただきます」

「ありがとうございます!」

 発注をいただいて、隆宏はこの上ない笑顔になった。

 絢子は料理を出す合間に皿洗いに余念がない。

 午後1時45分。

「じゃあこれで」

 八木とこれと言った話は出来なかったので内心寂しい毬子を置いて、八木が店を出て行った。


 午後2時半ギリギリに一哉の母・根本琴子が現れて、4人の女性をカウンターの真ん中に呼んだ。

 そして律子が立ち上がって、

「この度は……、我が家庭……の、みっともないとこ……ろをお見せした……上に、ご子息……ご令嬢にもご……迷惑を及ぼしまして、誠に申し訳ありませんでした」

 と、ところどころ不自然な切り方ははあるものの挨拶をして頭を下げ、雷おこしを一人ずつ両手で渡した。

「本当はお宅を……訪れなくてはいけないんですけど、一堂に会する機会を作っていただいたので」

 と毬子が補足する。訪れる、という言葉がなかなか出てこなかった。

「では……

 こちらにお集まりいただいた皆様のお子さんには、うちの娘が仲良くしていただき、ひとかたならぬお世話をいただき、それ自体は誠に感謝をしているのです。ただ、今年に入ってから、一緒に受験勉強やコンサートのチケットを取るなどで帰りが遅くなったり家を空けることが相次いだものですから……」

 と言って、みゆきの母は言葉を濁した。

 娘は容姿は良いが、なんとなく隙があるというか、あぶなっかしい、ということをそのまま云うわけにもいかず。

「うちに集まることが多いものですから、仁科さんに対する配慮が働かず誠に申し訳ございませんでした」

 と言って、絢子と隆宏が頭を下げる。


 藤花亭を追い出された八木は、工事をしている脇を歩いて自宅アパートへ帰宅した。

 帰宅してから緑茶を淹れて氷を入れて、卓袱台を前に座って。このアパートに引っ越してきてからの出来事を思い出していた。

 仕事はまずまず、行きつけの店を持てて、ほどほどに幸せな今である。

 毬子さんとは、祐介くんにカツアゲされたのがきっかけで出会ったんだっけ。それで藤花亭教えてもらって、ひとりでも行くようになって。すげえ出逢い。

 藤花亭は居心地いい店だよな。

 文佳ちゃんのことはかまえなくなって、気が付いたら山本に取られてて。

 藤井家主催のカラオケにも2回参加したな、楽しかった。若い子の間で流行ってる曲も知れるし。

 ほいで、明日香ちゃんに相談されて、花火の夜にこの部屋を祐介くんと明日香ちゃんに提供して、初めて毬子さんの家に行って……あー、その時毬子さんとキスしたわ。

 ここまで思い出して八木は頬を赤くした。

 キスしてぼーっとなってる暇なく、すぐ後で毬子さんが風邪ひいて、祐介くんが、悪天候と、アスカちゃんが雷に弱いせいでライヴから帰って来れなくて、俺が毬子さんの世話をして。

 文佳ちゃんと行こうと取ってたスカルの武道館ライヴに毬子さんと行って。楽しかったな。

 毬子さんの家は妙な居心地の良さを感じたような気もする。

 彼女のこと、もっと知りたいかな。

 !

 気になることはなるな。

 待てよ、そういえば。

 俺がここへ引っ越してきた日に、マツキヨで買い物して道に迷ってたら、倒れてる人に出くわして、その倒れてる人のそばに居た着物着た女のひとが、毬子さんなんだよな。

 そんなところで出会ったひとと再会して、仲良くなって?

 ひょっとしたら。

 八木はこの時、初めて運命なるものがあることを感じた。

 年上の女性って、好みじゃなかったのに。姉もいることだし。 

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