第12章 Family Report 第1話
「エータローなの?」
『あ……うん……』
懐かしい、低いカサついた声。
「何年ぶりだと思ってるのよ、何事もなかったように電話してきて!」
とっさにそんな台詞が出た。
『あ、ご、ごめん……』
「元気だった?」
『ああ』
「イギリスで音楽の仕事してるんだってね、由美が言ってた」
『おかげで胸張って日本に帰れるよ。しかし、あの由美がライターになってたとはびっくりした。凱旋ライヴ取材に来るなんてな』
「そりゃ良かった。あいつ小学生の頃から作文得意だったからね」
『毬子のことは一日も忘れたことなかった。日本に帰ったら2人で逢ってくれないか?』
こう言われて一瞬戸惑った。
けど、ない頭を高速回転させて。
「3人にしていい?」
『なんだそりゃ?』
「あんたの子供がいるのよ。男の子。今中学3年生。1992年3月29日生まれ。名前は、祐介」
思い切って言った。今が一番のチャンスだと。
間が開いた。
今話に出た祐介の生年月日を、エータローなりの知識で計算に使っているらしい。
『あ……そ……なの……? 由美が言ってた家族が増えたってそーゆー意味?』
「うん、結婚はしてないよ」
正直に言ってから、
「藤井夫妻覚えてる? 藤花亭の」
『ああ、よく覚えてるよ。その……俺たちの子供? あそこんちの下の娘とタメ年か。生まれてすぐ抱かせてもらったよな』
「そう。その下の娘とあたしたちの息子が今付き合ってる。
藤井夫妻といろいろ協力し合って育てたけど、苦労もあったのよ」
祐介と遊んじゃいけません、と子供に言い聞かす親が居たことは居たし。藤井夫妻がきちんとしていて、地域になじみ、彼らが母子の面倒を見ていたプラス、毬子は業平橋育ちで、近所のひとに愛想よく挨拶をするある意味では良い子だったこともあって、表立っては起きなかったが、未婚で子供を産んだことをよく思わなかった者が居たことは居た。
更に、福祉、というか行政は、未婚シングルマザーに優しくない。たとえば児童扶養手当の支給申請。この手続きで、プライベートなことを根掘り葉掘り聞く区役所に嫌気がさして、選挙に行くことすら嫌になっていたりするのだ。行政と議会が結びついている気がしてしまって。実は違うけど。まあ毬子、行政という言葉を理解していない。
『俺の息子、名前なんて言うの?』
「さっきも言ったでしょ、祐介」
『字は? 日本で育ててんだから漢字あるんだろ?』
「しめすへんにみぎ、介添えの介」
その後。香苗ちゃん大きくなっただろう、おまえの弟や妹は? とかの話もして、電話は切れた。
約束も何もしないまま、電話は切れた。
「お姉ちゃん、電話してたの?」
背後に、律子。
「うん、エータロー。祐介の父親」
「えーっ、もっと強気に出なきゃ駄目だよ」
「あんたにはわからないこともあるのよ」
「子ども扱いして」
初めての人間の前で固まるひとを大人扱いできますか。と思ったが言わないでおく。
その時、ピンポーン、とインターフォンが鳴った。
「……」
律子の方が受話器に近いところに居たが、無言で固まっている。
仕方なく毬子が、
「はい」
『ハト急便です』
「はーい」
言って出ると、
「三村律子さんですか?」
「あ、それ、妹です」
「ご本人出してもらえますか?」
「律子ーっ、出てきてだって!」
言うと律子は、さっきまでの快活さはどこへやら、萎れて出てきた。
「ここにサインか印鑑ください」
言われると無言でサインする。何枚も。
玄関に運び込まれた段ボールは5箱あった。
「あんた本気でうちに住む気なの?」
「うん」
女子大を出てすぐに三村と結婚した律子は、27歳にして職歴がない。人見知りのせいで、学生時代にアルバイトをした経験さえもない――父親が転勤族で、親のコネで家庭教師とかいうクチがまるでなかったのだ。そんな経歴の人間は、このお話が展開されている2006年現在の、27歳のこの世代には珍しいだろう。
ちなみに、夫・三村芳樹と出会ったきっかけは、彼女の通う女子大の学園祭に、とある人気バンドがライヴをしに来て、そのバンドの取材に三村が来ていて出逢ったのだ。
日本という国は、履歴書にブランクがあると採用されにくい(このお話の作者もそれで何かと苦労している人生なのだが、その愚痴はツイッターその他に回す)。20代なら履歴書にブランクのない人間も多いだろう。職歴がなくて人見知りが激しい、となるとこの先どうしたら良いのか。
現実的に考えてみると、実に頭の痛い話である。
もうひとつ、デスクトップパソコンも。
自室の床にあるデスクトップパソコンを、毬子は見つめた。
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