第8章 Catch a cold 第3話
八木が毬子の買い物を冷蔵庫に片付けた直後、ソファでぐったりしている彼女の目の前に置いてある携帯電話が鳴った。夢心地で出る。
「はーい?」
『おふくろ大丈夫? 俺だけど、雷どっかに落ちたらしくてアスカが怖がってるんよ。だからどっかで落ち着かせてから帰る』
電話の向こうの祐介の発言に、毬子は八木の顔をまじまじと見た。
相変わらず大雨の音がザーッと聞こえる。
『おふくろ大丈夫? 俺だけど、雷どっかに落ちたらしくてアスカが怖がってるんよ。だからどっかで落ち着かせてから帰る』
電話の向こうの祐介の発言に、八木は毬子の顔をまじまじと見た。
窓の外から大音量で雨の音が聞こえる。
雷の時の明日香が全く落ち着きがなくなるのは、毬子もよく知っていて、子どもたちが幼い日に香苗と4人で出かけて雷に遭うと、祐介は遊び足りなくて落ち着かない、明日香はパニクって手を取られる上に、香苗がかまわれなくてむくれるので、大変で思い出したくない記憶が蘇ったところで。
「息子?」
「うん」
「なんだって?」
「この雷でアスカがパニクってるから、落ち着かせてから帰るって」
電話を切った毬子に八木は、あけっぱなしの炊飯器を見てから、冷蔵庫を再び開けて言った。
「ところで腹減っとる?」
「うん……」
今気が付いた。
「さっきパック入りご飯買ってなかった?」
「うん……」
毬子の答えに力がない。
「玉子とネギはあるな……ほうれん草もか、ちょっと雑炊つくる。出来たら教えるから食いなさい」
「はーい……ありがと……」
「まな板はある……包丁どこ?」
「台所の下開けて」
「出汁何使っとるの? でもってどこ?」
「……正面の右のタッパー。かつお風味のほんだし」
「鍋は?」
「下の一番左のドア」
毬子の返事を聞くと、八木はまず小鍋に水を張ってコンロにかけてから包丁を握り、リズミカルにネギとほうれん草を刻み始めた。
「やーっ」
「落ち着けっての」
明日香は二人分のリュックを持って、祐介におぶわれて彼の頭をポカポカ叩いてる。
雨が酷くなってきた。
「おい、今いくら持ってる?」
「えー、えーとねえ……」
ゴロゴロゴロ、と音がする。
「やだー!」
「5000円以上持ってるなら泊まるぜ」
明日香は祐介にさらにひっついた。
「出来たぞー」
の声で、毬子が立ち上がってテーブルへ来るが、なんだかふわふわしている。
八木が給仕もして。
毬子は座る。
「お腹すいてたんだあ、ありがとね」
テーブルの向こうで、ふにゃっと毬子が笑む。
「どういたしまして」
「……おいしー……」
風邪で味覚が狂ってる時の「美味しい」は信用できないと思いながら、八木もひとくち雑炊を食べる。さっきお好み焼きを食べたので、少しだけ。
「昼間藤花亭行ったんだけどリバースしちゃったんだ……特に絢子さんに言わないでねこれ……」
「油負けしとるのか……」
毬子はそれっきり、黙々と雑炊を食べる。
念のためにおかわりはないか聞くと食べるというので、給仕してやり、食べる毬子を見つめる八木。毬子が、彼女の母親曰く、「熱があっても食欲が落ちない子」だったと言うのは知らないが。そもそもめったに高熱を出さない。出さない分熱に慣れていない。
「食べ終わったら寝なさい。熱も一応計っとき」
毬子は何か言いかけたが、八木の言うとおりにして、食べ終わったら、買い物が入っていた、今は結んであるビニール袋を1枚掴んで、自室へ向かった。
毬子が「ごめんね、ありがとう」と言うのに、今はとにかく寝んしゃい、と言って、八木が寝室まで付き添って、ベッドに腰かけたところで、毬子の右手に持ってる携帯電話が鳴った。メールだ。
祐介だった。外泊してくるらしい。
パスワードはわからなくても、表面に見える。
八木が部屋から出ると、毬子はパジャマに着替えた。すぐベッドに横になる。
八木は広いリビングで、様子が変わるまで漫画でも読むか、と本棚の前に立つ。
聞いたことあるなこのタイトル、と、とある少女漫画を手に取ると、本と本の間に挟まってたのか、紙片が宙に舞った(実はこの漫画は「BANANA FISH」だ)。
空中でうまいことキャッチして紙片を見る。
写真だった。
若い、というか制服姿の毬子と赤ん坊、それから、毬子より背の低い若い男のスリーショット。
日付は15年前の6月二十幾つ。
男の顔はなんとなく、祐介に似ている。祐介を多少大人にした感じ。赤ん坊はまだ小さい。
むくむくと、面白くない気持ちが沸きあがってきた。
気分変わらんかな、と思って、ぐるっと部屋を見渡すと、CDラジカセがあった。MDも聴けるもの。
その前に、斉藤和義のCD。
「歌うたいのバラッド」が入ってるアルバムか。
聴いたことないんだよな。
聴いてみるか。
すみません、と言いながらCDの表示を見て、大体の使い方を掴み、CDを入れ、音を出す。
わっと大きな音が出て、それまでの静けさと裏腹な音量にやべえと思って、音を小さくしようと思うも、なかなかかなわず、音量が落ち着いた時は、起きなくてよかった……と思っていた。
その少女漫画は19巻あったので、ひと晩で読める長さじゃなかったし。
だけど、漫画の内容は頭に入らなかった。
湧き上がるもやもやした気持ち。
その時、ゴホゴホゴホッと、再び激しい咳の音がした。
「入るよ」
入ると毬子が、碧い小さなガラスの水差しを持って、立ち上がろうとしていた。
「ふらつくならやめとき。俺が持ってくるから」
八木は毬子から水差しを受け取ると歩き出す。
水差しと反対の手で体温計を取ると、37.6Cを示していた。
水差しを持って戻り、定位置がどこか聞いて置いてから、ベッドの足元にある洗濯物の一番上にあるハンドタオルを取ると、顔を歪ませて目を閉じている毬子の額を拭った。
それから更に2時間。CDはとっくに終わり、更に漫画を読み進めていると。
ゴホゴホゴホッ!!!
咳き込む音がした。
「どうした!?」
毬子の部屋へ入ると(入る間際、小声で「悪い」とつぶやいたが毬子には聞こえない)、パジャマ姿でベッドに半身を起こした毬子が、口元に、両手で握ったビニール袋をあてていた。
「痰を吐いただけ。痰が大分出たから少しは良くなると思う。明日病院行くから」
「2、3枚ビニール持ってくるわ。どこにしまっとるの?」
戸棚の真ん中の一番下、45リットルゴミ袋とかあるところ、と言うと、袋を持ってすぐ戻って来た。
ゴホゴホゴホッ!
また咳の音がして、毬子の隣に座って背中をさすってやった。
水差しを見るとまたカラだ。
落ち着いたところを見計らって、水差しに水を入れてくる。
「BANANA FISH」に夢中になりかけた朝6時半。
ピンポーン、と音がする。
息子かな、でも迎えに出たらなんと思われるかな、と思っているうちに足音が近づいてくる。
「八木さん!?」
「おはようございます」
「おはようございます」
八木は慌てて、テーブルの上に置いていた、数時間前に発見した写真をヒップポケットにしまって、朝の挨拶をした。
「世話してくれたんすか?」
「ああ、まあ……」
「どうもすみません。遊び行くの……えーと、こういうのなんて言うんだっけ……」
「躊躇うたのか? ずっと楽しみにしとったんじゃろう?」
「はい……」
祐介は歯切れが悪い。
「早く帰ってこようと思ってたのに雷が鳴って、アスカがパニクるし」
「まあしょうがないよ。じゃあ俺帰ってええかな?」
「はい。ありがとうございました。おふくろがお世話になりました」
「あ、『BANANA FISH』全巻借りてええ? 面白いねこれ」
「言っときます」
礼を言う言葉だけは歯切れが良かったが、疑ってるかな? という気持ちは拭えないまま、毬子のマンションを出た。
借りた漫画、19冊は重い。
コンコン。
ノックして、祐介は毬子の寝室に入る。
「ただいま。具合どう?」
「ん……げほっ……おかえり……」
「八木さん帰ったよ。『BANANA FISH』全巻借りてくって」
という祐介の発言には少し残念な気持ち。
祐介は、ベッドの枕元の水差しが空になっているのに気付いて、
「水持ってくる」
と水差しを持って部屋を出た。
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