第4章 MARIKO 第4話
八木は藤花亭でお金を支払って、矢沢氏と別れると携帯電話を見た。
着信が多い。
全部文佳ちゃんから。
RRRRR
また鳴った。
『もしもし、八木ちゃん?』
「あー、どした?」
『どした? じゃないよ。カラオケ屋の救急車の真相どうなったの? 何も聞いてないの?』
あー、わかったら教えてと言われてたんだっけ、忘れてたぜ。
「悪ィ。
あのカラオケ屋の1階は居酒屋で、居酒屋が終わってバルサン炊いて、そこの店長が、カラオケ屋の店長に何も言わん警備会社に連絡もせん、で帰ったんじゃと」
『あっそ』
この発言に少しカチンときた八木である。
「聞きたかったんじゃないの?」
『いつ電話しようかこっちはタイミング測ってるのに、なかなか出てくれないしさ、連絡するのはいつもあたしからばかりだし、それからそれから……』
「悪かったよ……」
本気でそう思ってんのかしら、と文佳は思う。
山本くんのこと、考えようかな。
八木ちゃんには今は言わないけど。
秘密が出来た。
八木は、電話しながら歩いてる間に、自宅アパートに着いた。
毬子は、帰宅から30分後、由美に電話をした。
「ユーコがつくる本にコメントくれって電話来たでしょ」
『うん。来た』
りんだやユーコがとあるロックヴォーカリストの同人誌をつくった際に、由美がアルバムレビューを書いたりしていたのである。由美は毬子の親友ということで、高校が離れてもりんだ達とつながりがあり、なおかつ小学生時代から作文が得意だったからだ。
「由美は送った?」
『送ったよ』
「印刷所の締め切り間に合うかな」
『間に合わせるでしょ、というかまだ余裕じゃない?』
「そっか」
『ところで毬子、何着てくか決めた?』
「店で着てたやつか黒のフォーマルにしようかと思って。あー、思い出した! 前に瑞絵ちゃんが言ってたけど、りんだのヘアメイク根本美容室でやるって言ってたからあたしたち頼れるかな?」
『りんだは琴子さんがやってあたしらは瑞絵ちゃんができるんじゃない? って振袖や打掛着るなら人手がいるか、ってお店どうしたのあんた』
琴子さんとは、瑞絵や一哉の母親で、根本美容室の主のことだ。年齢は実は50に届く。
携帯で話しながら冷蔵庫へ移動して、アイスを出そうとする毬子。
由美は目の前のパソコンをシャットダウンし始めた。
「それも考えなきゃいけなかったんだ、油断した。店はやめた」
『髪にコサージュだけ付けたら?』
「あ、それもらいっ」
『悪い、そろそろファッションショーするわ』
「わかった。そういえばりんだが式の前に3人で飲もうとか言ってたけど」
『無理無理。あたしそんなに暇じゃないのよ。あんただってそうでしょ、ってあんたそろそろ誕生日じゃん、りんだそのことを言ったのかね』
「聞いてない。ごめん、あたし店辞めたからなあ」
『それを突っ込もうと思ってたんだよ』
由美はメンソールの煙草を1本加えて火をつける。
「8月からりんだのアシストやる」
『そうなんだ。あーあと、同人誌のサイズいくつだろ。バッグのサイズどうするよ。入るサイズのバッグ持たないと、ひと駅とはいえ電車でご開帳したくない。特にパロディは』
会場は浅草だ。改まった格好で自転車に乗って髪をぐちゃぐちゃにもしたくないし。
パロディとは、今でいう二次創作だ。二次創作とは、制作元に無断でスピンオフや番外編を描いてしまうこと、と描けば伝わるだろうか。俗に言う「公式」が容認している作品もあるけれど。
「あーそれもあったか。明日ユーコに電話して聞いとくわ」
『頼むね』
「んじゃおやすみ」
『おやすみ。結婚式で』
と言って2人は電話を切った。
「さて。今日こそは決めないと」
と言って毬子は、クロゼットを開ける。
「……」
店から持ち帰ってきた服で最近新たに膨れたクロゼットと箪笥。
子供いて30過ぎだからね。
やっぱりフォーマルかな。
りんだの友達は派手に決めるかな。
それもついでに聞いてみよう。
「もしもし、ユーコ? 遅くにごめん、ちょっといい?」
『あ、先輩。何かありました?』
なんだかユーコは嬉しそう。
「うん、質問なんだけど、あたしらがコメントした本、完成サイズいくつなの?」
『A5です、どうかしました?』
言いながらユーコは、左手に携帯、右手はロットリングで文字を書いている。
「A5ね、バッグのサイズがね。あと、あんたは当日何着てく?」
『……オレンジのワンピースですね。まあ、白じゃなきゃなんでもいいんじゃないですか?』
「あんたたち派手なの着るのかなとか思ってさ。まああたしは祐介居るからフォーマルかなとか」
『気にし過ぎじゃないですかね」
「そお?」
『今本にあとがき書いてたとこなんですよ。60Pになりましたよ。コミケの原稿も始めてるし』
「やる気のとこごめんね、切るね、おやすみ」
ユーコの現在のコミケにおけるジャンルが気になったが、電話を切った。
「今夜はもう寝よう」
つぶやいて毬子は、立ち上がる。
バスルームからは祐介が入浴する水音が小さい音で聞こえていた。
翌週。昼間。
毬子は藤花亭で。
「今日はジュースとイカ玉ね」
「今日はどうしたの」
「絵を真面目に描こうと思って」
と言ったところで、扉ががらっ。
八木だった。ギターのソフトケースを肩に担いでいる。
「こんにちは。
七瀬サンは最近いつ来てもいる気がする」
「気のせい気のせい」
「いや、毬ちゃん確かに、毎日昼か夜に来ちょる気がするぞ?」
「あ、バンドの練習ですか?」
毬子はギターのソフトケースを見つけて、無理矢理話題をそらせる。
「そうなんですよ。なんとか3回ほど練習する機会が持てることになって……実家から楽器送ってもらった奴もいて、練習にかかるのに時間かかったりなんかして……」
音楽が好きなのだろう。話は尽きない。合間に、座りなさいよ、と隆宏が言って、八木は毬子の隣に座る。座ってネギ焼きを注文した。
有線からは、KINKI KIDSの「全部だきしめて」がかかっている。
1週間以上経っても文佳は悩んでいた。
飲みに行って、山本幸治に告白もされたし。
八木に連絡するのがいつも自分からというのもムカつく。
「俺じゃダメか? 逢いたい時に逢えないなんて辛いだろ」
という山本の言葉が頭に残る。
八木ちゃんの態度は悪いし。
やっぱり相談してみよう。
「もしもし、美紗子?」
『あ、文佳? 仙台はやっぱり暑いね。なかなかきついよー。なんかあった?』
「う、うん、ちょっと……」
異動したばかりの美紗子に甘えちゃまずいという気が、突然文佳に起きた。
それからしどろもどろになっていたが結局、
「もう1か月八木ちゃんと逢ってないや」
と口にする。
『遠距離恋愛なら仕方ないでしょ。有給だって無限にあるわけじゃないんだしさ』
「こないだ山本くんに告白されたんだ」
『相談するってことは、あんたは揺れてて迷ってるってことだね。八木さんに何か不満もある』
「うっ……だって、あたしばっかり連絡するんだもん……たとえば、こないだ東京行った時、八木ちゃん家の最寄り駅のそばにカラオケボックスがあるんだけど、そのカラオケ屋の周りが朝から消防車でいっぱいだったことがあって、真相わかったら教えてもらう予定だったのに、あたしから連絡取らなきゃ教えてくれないんだもん」
『まあ悩みなさい。遠距離恋愛が世間が教える良い恋愛でないことは確かだけどさ』
「……」
そのまま二の句が継げない文佳に、
『悩んで結論出したら教えてね。おやすみ」
と言って、美紗子は電話を切った。
翌日の夕方、と言ってもまだ空は赤くないどころか雨が降っている。
「こんにちはー」
「毬ちゃんいらっしゃい」
言われてカウンターに座る。
「今日は毬ちゃん誕生日じゃけえ、特別にビール飲み放題ね、今日だけ」
「うわあ、すみません」
「いつも来てくれるからね、わしらにはこれくらいしかできんし」
「こんにちはー。どうかしたんですか?」
「毬ちゃん誕生日なんですよ」
八木の疑問に、笑顔で絢子が言う。
「……おめでとうございます」
少しの間が気になるが、まあ、いいだろう。
この後家に帰ったら、ボクシングから帰った祐介が肩揉んでくれて、いい1日だった。
そして10日ほど経って、結婚式当日になった。日本晴れである。
根本美容室はスタッフ総出だった。店には瑞絵だけが残って、黒のフォーマルワンピースを着た毬子と由美の髪に淡いピンクの薔薇のコサージュを挿した。由美は誕生石であるダイヤモンドのピアスに、やはり誕生石のキュービックジルコニアのネックレスをしている。毬子も誕生石の真珠の三連ネックレスだ。2か月違うだけで不公平だ、なんであたしは石でさえないんだ、と誕生石については愚痴の種なのだが。
式場の入り口には中谷家・佐藤家と書いてある。
店で着ていたノースリーブは、フォーマルな席にはやはり安いかなと思って。
母親に送ってもらった(借りた)真珠のネックレスをして。
式場に着いて、受け付けに御祝儀を出し、受け付けに居たりんだの妹に、控室に皆さんいらっしゃってますよ、と言われて行ってみる。
「おはようございまーす。この度はおめでとうございます」
「おめでとうございます」
新婦控室入り口で頭を下げる。
「聞いてくださいよ毬子先輩由美先輩、ユーコたちが本つくってくれて……」
と鏡の前に白無垢姿で座ったりんだは泣きそうだ。感激で毬子たちに駆け出したい気持ちなのだが衣装が重くてできないのである。
「あーりんだちゃん泣かないの! 化粧落ちちゃう!」
と、瑞絵と一哉の母親で根本美容室の主の琴子が叫ぶ。
「知ってるよあたしたちもコメントしたもん」
「間に合いましたよ先輩方!」
と言って、茶封筒に入れた同人誌を持ってくるユーコは妙にテンションが高い。肌艶が良いのは懸命にパックしたんだろうか。
封筒から少し出すと、表紙は派手だ。
「みんなお疲れさん」
「中身は後で楽しませてもらうわ」
と言って、毬子と由美は本をバッグにしまった。
ロビーで煙草を吸う由美に付き合ってたら崎谷を見つけた。
「こんにちは、七瀬さん。岩渕、久しぶり、ってなんで二人一緒にいるの?」
「あ、こんにちは崎谷さん」
「崎谷おひさー。友達だもの一緒に来るよ。昔からあんたたちに話してた友達ってたいていこいつの話だもの」
という由美の発言を聞いて、毬子は真顔で由美を見た。由美は口笛を吹くが久々過ぎてキレイに音が出ない。舌打ちをしたくなる。
りんだの、ドーリアン・マガジンズ少女漫画雑誌「まりあ」における担当編集の崎谷だった。由美は元同僚を見て、少し太ったな、などと思っているが口には出さない。漫画編集者としての彼は初めて見る。
「花嫁綺麗でしたよ」
「もう見られたんですか」
さすがに男性が控室入るわけにいかないもんね。
「あ、私8月からりんだのアシスタントとして正式に入ることになったので、よろしくお願いします」
「絵はしばらく引退されてたんですよね。佐藤先生から少し聞きましたよ」
「現役復帰、と言っていいのかな……いろいろご指導よろしくお願いします」
「いや、僕も文章書く方は少しはだけど、絵についてはまだまだですから……」
その時、
「おーい崎谷ー」
と崎谷を呼ぶ声がする。
「すいません呼ばれたんで。岩渕じゃあな。そのうち三村と3人で飲もうや」
「では……」
と言って崎谷と毬子は頭を下げ合った。
崎谷の背中を見ながら。
「崎谷あたしには申し訳程度に最後に、でやんの。毬子気に入られたんじゃない?」
由美が毬子の肘をつっつきながら言った。
「まさか」
ありえない、とでも言いたげに、毬子は短く返す。
披露宴は12時からだ。
式はつつがなく進む。
りんだの同級生たちは声を揃えて、「てんとう虫のサンバ」を歌った。
同じ頃、広島市内某所。
西野家、八木家結婚披露宴、と出ている。
「ワントゥースリー」
眼鏡をかけたドラマーがスティックを合わせてカウントを取る。
八木は真ん中から背後を振り返ってそれを見て。
ウルフルズの「バンザイ」のイントロが流れ始めた。
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