第389話 トート・シュトライテン 開始

ーー珍しい。今日はいないんだな。



ーー誰の声も聞こえない。



ーーいや、聞こえる。



ーーこの声は…






「タロウさん、起きて下さい。」

「タロウさんっ。」



牡丹と美波だ。2人の声で起こされる。寝心地の良い牡丹の膝枕。もう完全にこの膝が俺の指定席になっている。本当なら牡丹の膝をまだ堪能したいが今はそれどころじゃない。



「起こしてくれてありがとう。どれぐらい時間経った?」


「30秒経っていないと思います。」



俺の問いに牡丹が答える。前にすぐに起こしてくれてって言った通りちゃんと起こしてくれたんだな。



「せっかくみんなで旅行に行く所だったのに…、ここってオレヒスですよね…?でもこれだけの人が同じ場所にいるなんて何か…変ですよね…」


「そうですね。この砦のような場所に1000人近くの人間がいます。これは明らかに異質ーーあうっ。た、タロウさん!?」



俺が着ていた黒のパーカーをフードごと牡丹に着せるので牡丹が驚いている。



「…牡丹、牡丹は目立たないようにしな。牡丹の顔を知ってるプレイヤーは多い。正体がバレると面倒な事になる可能性もある。フードを深く被って俺の背後に隠れてな。」


「…わかりました。」



リリに概要しか教えられてないが、両軍に分かれての戦いならどんな条件を与えられるかわかったもんじゃない。戦闘力の高いプレイヤーに懸賞金みたいなもんがかけられる可能性があるし、裏切りにあって相手陣営に身柄を差し出される可能性もある。それに戦闘力が高い事がわかれば牡丹に頼ったり、牡丹をリーダーに担ぎ出される事だってありえる。俺たちは極力目立たないようにしなきゃダメだ。目立てばそれだけ命を失う確率が高くなる。楓さんたちの方は楓さんとみくが顔が割れてるから隠れないといけないがそこは楓さんが上手くやってくれるだろう。正直組み分けは最高だ。俺と牡丹が一緒で楓さんが別の組み分けは幸運と言わざるを得ない。



「…2人に言っておく事がある。このイベントではスキルもラウムも使えない。」



俺の言葉に牡丹と美波が驚く。スキルが使えない事は今までにもあったがラウムが使えない事は今までなかった。これは相当に厄介だ。ハッキリ言ってスキルが使えない事よりラウムが使えない事のが大問題。それはすなわち食料と水が無いという事だ。最初のイベントの時こそ食料と水には苦労させられたが以降のイベントでは俺たちはそれに関して苦労した事は無い。好成績を収めた俺たちには潤沢なまでの飲食物がいつも供給されていた。その供給路が絶たれるのは大きな痛手だ。イベントの内容から見ても日数がかなりかかる可能性がある。一歩間違えれば一ヶ月以上かかってもおかしくない。その間の食料をどうするか考えるのが最初の課題だ。



「…タロウさん、”特殊装備”は使えるんですかっ?」


「…美波の”プロフェート”はわからないが、牡丹の『フリーデン』は使えるはずだ。」


「…『フリーデン』が使えるのは大きいですねっ。それと私たちの武器はゼーゲンかぁ。きっと他の人よりアドバンテージは大きいですねっ。」


「…そうだな。」



俺たちが小声で話していると上空にプロジェクションマッピングみたいな物が映し出されれ、そこに人が現れる。中高生ぐらいのくせ毛の少年だ。



『初めまして皆さん。僕は俺'sヒストリー運営事務局のドライです。今回のイベントを担当させて頂く事になりましたのでよろしくお願いします。』



事務所の奴って事はツヴァイたちの仲間か。何でコイツはアイツらみたいに仮面被ってねぇんだ?必ず仮面って被る必要無いのかな。



『さて、今回のゲリライベントですが、初開催のイベントとなっております。その名もトート・シュトライテン。死の闘いとなっております。』


「死…死の闘い…!?」



集団の中のどこかで恐怖に駆られた呟きが聞こえる。熟練者ならある程度の覚悟は出来ているだろうが初心者レベルなら恐ろしいだろう。正直俺だって恐ろしい。一緒にいる美波と牡丹は俺の手で守ってやれる事は出来るが、楓さんたちはそうはいかない。俺は誰も失いたくない。1人だって欠ける事は嫌だ。だからこそ恐ろしいんだ。



『皆さんにはこれから1000人対1000人の戦いを行なって頂きます。こことは別の砦に1000人が配置されております。それが皆さんの対戦プレイヤーです。この砦を拠点とし、死守するのが目的です。』


「じゃあこの砦を相手に取られたら負けって事か!?」



集団にいる中の誰かがドライに問いかける。



『うーん、別に砦は取られてもいいかな。でも砦を取られると実質負けだからね。』


「どういう意味だ…!?」


『普通そうじゃないですか?拠点を取られたら負けでしょ?補給も出来ないし、部隊は散り散りになる。これじゃ負けだよね?でも別に砦を取られてもゲームオーバーにはなりません。ゲームオーバーになる条件は『王』を殺される事です。』


「『王』を殺される事…?」



集団がどよめく。



『皆さんの中で最も強いプレイヤーを『王』として設定致します。『王』の印として左胸に『紋』を入れさせてもらっているので確認してみて下さい。』



皆がそれぞれ左胸を確認する。俺も確認するが当然『紋』なんて入っていない。



『確認されましたね?さて、ルール説明をしましょう。皆さんの役割は『王』を守る事。相手の『王』を殺す事。『表』のルールは主にこの2点です。』


『表』?なんか引っかかる言い方だな。



『当然ながら『王』は強いです。軍の中で最強なわけですからね。でも、穴はある。今回のイベントでは皆さんはスキルもラウムも使えません。』


「な、なんだって…!?」



群衆が先程まで以上にざわめく。そりゃそうだ。俺だってリリから聞かされてなけりゃ狼狽えてたぞ。



『だから今回は最初から武器を装備しているんです。あ、”特殊装備”は使えますから安心して下さい。』



良かった。美波の”プロフェート”も使えるんだな。でも持ってないやつからしたらどうでもいい話だな。



『これでわかりましたよね?スキルがあると非常に厄介です。特に全体攻撃できるタイプのものなら尚更だ。でもこれなら人海戦術で『王』を殺す事も出来る。”特殊装備”は使用時間が短いですからね。』



コイツの言う通りだ。牡丹の『フリーデン』と美波の『プロフェート』は使用時間が30秒と非常に少ない。あくまでも短期決戦の為のものだ。楓さんの『グローリエ』は使用時間こそ設定されていないみたいだが一度使用すると魔力だかなんだかが無くなるから次に使うまでの充電時間が発生する。『神具』にしても”特殊装備”にしても強力ではあるが弱点もある。そこを考えながらやっていかないといくら牡丹でも楓さんでも負けかねない。



『次に食糧についてです。まずはこちらをどうぞ。』



ドライが指を鳴らす。すると俺たちの足元に布でできた袋が現れる。



『中身を確認して下さい。それがこのイベント中における皆さんの食糧です。』



促されるまま俺たちは中身を確認する。コッペパンが3個に500mlの水が1本。なんかどっかで見た事あるような中身だな。



「はっ!?これだけかよ!?」


「冗談じゃねぇぞ!?いつまでかかるかわからないようなイベントでこれだけだって!?ふざけんな!!」



袋の中身に腹を立てている奴らが騒ぎ出す。こんな中身ならイラッイラにもなるわな。



『あ、水はいくらでも補給出来ますから安心して下さい。使ったら袋の中に供給される仕組みとなっております。』



よし、俺の予想通りだ。水は絶対手に入ると思っていた。あわよくば食糧もとは思ったがそこまでは甘くなかったな。でも水が無限に手に入るなら問題は無い。



「水だけで戦えってのか!?そんなもんで力が出るわけねぇだろ!!」


「そうだ!!ふざけんな!!」



砦内に怒号が飛び交う。



『話は最後まで聞きましょう。食糧を入手する術を今からお伝えします。』



ドライの言葉に怒りに染まっていた空気が沈静化される。



『ご自分の左手の甲をご覧下さい。『0』と印されているかと思いますが、こちらが皆さんが相手方のプレイヤーを倒した数となります。相手方のプレイヤーを倒す毎に皆さんの左手の甲にカウントされ、その数を『1』使う毎に弁当と交換出来るシステムにしております。』


「マジか…それなら…悪くねぇな。」


「ああ…!プレイヤーをぶっ殺せば食糧が手に入るってんなら殺せばいいだけだ!!」



なるほどね。こうやって互いの殺意を煽るってわけか。エサが欲しけりゃ殺し合え。とんでもねぇイベントだ。



『最後に『裏』ルールについてです。』


「『裏』ルール…?」


『裏切りや寝返りなんて様々な歴史を見ても日常茶飯事ですよね?なら当然このイベントでもそれを採用するべきです。つまりは『王』を相手方に引き渡す事も可能とさせて頂きます。『王』を差し出したプレイヤーは相手方のプレイヤーとみなし勝利者となり、敗北を免除にしましょう。当然勝利報酬も差し上げます。』



このドライの言葉に群衆の空気が変わった事を感じた。このルールは『王』を擁するクラン以外にはメリット十分だ。軍が負けていれば当然考える手になるし、勝っていても相手方からの交渉によっては裏切る事にメリットが生まれる事もある。このルールがあるだけで自分のクラン以外を信じる事は決して出来ない。最高に嫌なイベント内容だ。



『それと勝利報酬ですが、勝利方全員にゼーゲン、最優秀プレイヤーには”特殊装備”を差し上げます。それではこれよりイベント開始とさせて頂きます。どうぞ楽しんで下さい。』


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