2-11 谷町四丁目

「藍衣先生?」

 九部に声をかけられて恵里菜はハッとなった。

「あ、ああゴメンな。ちょっとボーッとしてもうて」

 近藤が調子に乗って言った。「今の藍衣先生やったら倒せるって思たけどな」

「アホなこと言わんといて。……詐欺師にあった時のこと思い出してたんや」

「任意売却勧める奴は詐欺師が多いんか?」

「そういうわけでもない。真面目にやってる業者の方が多いやろ。そやけど大金が絡むことやから悪徳業者が横行してるのも事実や」

「すると森崎綾子がいるのは善良な方ですか、それとも悪徳の方ですか?」

「わからん。善悪はともかく、任意売却の仲介をしている業者であることは間違いないから、業者を探して行ったら森崎綾子に会えると思う」

「でも探すにしても、どうやって任意売却業者をリストアップするんですか?」

「私は法学部やからな。大学関係者のツテで任意売却仲介やってる業者の情報が得られると思う」


 その後、恵里菜は大学関係者に連絡し、どうやったのか、放課後には恵里菜の手元に業者のリストが集まった。しかし……

「こんなにあるんですか?」

「一応、関西と呼ばれる範囲は一通りリストアップしてもろた」

「……って、こんな広範囲、僕らだけで探し回るんですか?」

 九部が苦言を呈すると、恵里菜は近藤の方を向いてニヤニヤと笑いかけた。

「な、なんやねん。気持ち悪いな」

「なあ、近藤。あんた、大勢のヤンキーをまとめる頭やろ。統率力っちゅうのはこういう時使うもんやで」

「まさか、……あいつらに探させぇって言うんちゃうやろな」

 恵里菜は答えるかわりに満面の笑顔を近藤に向けた。


 恵里菜、九部、近藤、そして……近藤の取り巻きたちは手分けしてリストアップされた業者を当たった。東は滋賀県の大津、西は姫路、北は丹波篠山ささやま、南は和歌山というとてつもない広範囲だった。また、こういうことは世の常ではあるが、近藤の取り巻きの中でもヒェラルキーの下位に属する者ほど遠くへ派遣された。


 恵里菜と九部はペアになって大阪市内を回っていた。移動中、九部はルービックキューブを絶えずカシャカシャ回しているので、嫌でも人目を引く。

「なあ、それ結構音が気になるんやけど、もっと静かなやつないの?」

「競技用のスピードキューブっていうのがあって、一度買ってみたんですけど、回転する時に摩擦がなさ過ぎて、やってる気がしなかったんですよ」

「そうなんか。ところで、次はどこやったっけ?」

「王手前住宅相談所ですね。大阪メトロの谷町四丁目駅から歩いてすぐのところです」

「大阪メトロ? 何や、それ」

「知らなかったですか? 大阪市営地下鉄が最近民営化されて大阪メトロになったんですよ」

「そうやったんか。何やチャラい名前になったもんやなぁ」

 そんな会話を交わしている内に、二人は〝大阪メトロ〟の谷町四丁目駅に着き、王手前住宅相談所へとやって来た。「相談所」と呼ばれるだけあって、入口を入るとすぐに相談員の女性が窓口で待ち構えていた。

「いらっしゃいませ。今日はどのようなご相談でしょうか」

「相談という程ではないんですけど、この方、こちらで働いておられないでしょうか?」

「お預かりします」

 相談員は受け取った写真をじっと見た。そしてしばらくして恵里菜に返した。「すみませんが見覚えありませんね。少なくともこの方が私共の方で働いたことはありません」

「そうですか。ちょっと事務所の中を拝見してもよろしいでしょうか?」

 相談員は「なぜそんなことをするのか」という疑問を顔に出しはしたものの、恵里菜の申し出を断らずに事務所の中を案内した。しかし、森崎綾子の動画の背景と一致する場所はなかった。

「……大変お邪魔しました。失礼します」

「ご来訪ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 相談員は心にもないマニュアル通りのセリフで恵里菜たちを追い返した。


「ちょっと喫茶店でお茶せえへん?」

「喫茶店ですか? コンビニでも安くて美味しいコーヒーが飲めますけど」

「いや、おばちゃんになるとな、時々座らな疲れてまうんや」

「おばちゃんて、……まだ二十代前半じゃないですか。まあいいですよ、喫茶店行きましょう」

 二人が喫茶店に入ると、一組の先客がいた。二人の男性で一人は若く、もう一人は六十に手が届きそうな中年男性だった。恵里菜はその中年男性の声を聞いてハッとした。

「先生、どうしたんですか?」

「しっ。ちょっと静かにしてて」

 すると九部も声を小さくし、静かに問うた。

「どうしたんです?」

「あの声……府警本部の機動捜査隊長、泉信弘さんや。泉刑事のお兄さんのな」

「へえ……そう言えばここ、大阪府警本部の近くでしたね」

「あんまり私らやってこと気づかれん方がええと思う」

「そうですね」

 そうして声を潜めていると、自ずと向こうの会話が耳に入ってくる。泉信弘の話し相手は若手の私服警官だ。


「容疑者の身柄拘束を延長出来ないかって?」

「何だか怖いんですよ。逮捕した途端に上からはすぐ送検しろ、の一点張りで。送検するのにまだ疑問点があると言うと、後は検察に任せろ、とにかく送検だ、送検だって……まるで証拠の裏付けなどどうでもいいみたいに感じるんです」

「よぉわかってるやんけ。あれだけ世間を騒がせた事件なんや。逮捕が遅れれば責められるのは上層部の連中や。ぶっちゃけた話、誰でもええから逮捕さえすれば世間の風当たりはなくなる。それで連中は検挙率やって口酸っぱくしおんのや」

「そんな、冤罪にでもなったらどうするんです? 結局証拠不十分で不起訴でしたなんて、それこそ世間は黙っていませんよ」

「ふん、逮捕した奴が無実やと分かると『現場捜査官の勇み足でした』なんて逃げ口上使いよるんや、上の連中はな。それで世間の非難は現場の捜査官に向けられるから、お偉いさんは痛くも痒くもない言うわけや。そやから上は証拠があろうとなかろうと取り敢えず送検せえ言うわけやな」

「じゃあどうしたらいいですか?」

「疑問に思うんやったら上の言うことなんか無視したらええ。あんまり五月蠅うるさいようやったら聞き込みに出かける言うて映画でも見とれ。でもな、疑問持ちながらプレッシャーに負けて送検なんかしてみ、一生十字架背負うことになるで……俺みたいにな」

「泉さんの十字架って、あの高校教師のレイプ殺人事件ですか」

 泉隊長がそれに答えるまでしばらく時間があった。

「ああ。あの時は他にニュースらしいニュースもなくて、世間が事件のことでよお騒いどったからな。上からの送検せえっちゅうプレッシャーも相当なもんやった。特にあの小島っちゅう教師が容疑者として挙げられた時、ホンマみんな狂ったんかと思たで。ほんで俺は心の声が否定するのも無視して奴を引っ張ることに尽力した」

「しかし、捕まって拘束中に病死でしたっけ。後味悪いっすよね」

「公にはそうなっとるな。しかしホンマのこと言うと小島は留置場で首吊って自殺したんや」

「え……っ!」

「まあほんで死人に口なしで、犯行を認める発言をしてから何も言うてないから、結局は小島の犯行っちゅうことで片付いとる。そやけどあのまま生きとって優秀な弁護士でも付いたら……どうなっとったやろな。俺も今の立場ではおれんかったやろ」

「不謹慎な言い方ですけど……小島が死んでくれたおかげで今の泉さんが安泰というわけですか」

「ホンマそれは不謹慎やで。そやけどその通りや。だからそれが俺の十字架なんや」


 その話を聞いて恵里菜は怒り心頭になったが、歯を食いしばってその気持ちを必死でこらえた。

「……九部、出るで」

「え? まだコーヒー来ていませんよ……」

 しかし恵里菜はそそくさと席を立ち、レジに千円札を二枚置くと何も言わずに店を出た。

「ちょっと先生、待って下さいよ」

 九部もあわてて恵里菜の後についていった。その時、九部と恵里菜の携帯が同時に通知音を鳴らした。西九条から弁天町あたりを調査していた山口からのメッセージだった。

──森崎綾子のオフィスが見つかりました。弁天町の工藤ファイナンシャルコンサルティングです──

 恵里菜と九部は互いに顔を見合わせた。そしてすぐさま谷町四丁目駅から〝大阪メトロ〟に乗り込み、弁天町へと向かった。

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