1-13 家庭訪問

 九部の言う〝考え〟とは、宍戸家の家庭訪問であった。

「宍戸の家なんか行って何するのん?」

「先生は、『教育実習生として後学のために家庭訪問しております』とか適当なことを言っておいて下さい。僕は僕でやることをやります」

「はあ、何か知らんけど考えがあんねんな」

「ちなみに、宍戸は小さい頃に両親を亡くしているので、叔父さんと叔母さんが彼の現在の保護者です。間違ってもお父様、お母様などと言わないように」

「わかった。心得ておくわ」

 そして宍戸家に着き、呼び鈴を鳴らすと宍戸和一が出てきた。

「あれ、藍衣先生……それに九部? どうしてまた?」

「あ、その、家庭訪問や」

「家庭訪問? あれ、聞いてなかったけど今日でした?」

「ちょっと、急にすることになってな」

「そうですか、僕はこれから塾があるので退席しますが、叔父がおりますので話しておいて下さい」

 宍戸は一旦奥へ引き、叔父と話をつけるとまた戻ってきた。

「どうぞ、お入り下さい」


 恵里菜が家に入るや否や、小さな白いマルチーズがタタタッと駆け寄って来て足元にじゃれ付いた。

「あら、かわいい」

 すると和一の叔父が部屋から出て来た。

「ああ、すみません。こいつは人懐っこくてすぐにまとわりつくんです。どうぞこちらへ」

 恵里菜と九部は居間に通された。

「私が和一の叔父の宍戸和彦です。ええと、お飲み物はコーヒーかお茶かどちらがよよろしいですかな」

「では、コーヒーを」

「僕もコーヒーをお願いします」

 和彦はコーヒー豆を手回しミルで挽き、ペーパードリップをセットした。しばらくすると淹れたてのコーヒーがカップに注がれて恵里菜と九部の前に差し出された。そして彼らがカップを手に取ったところで和一が顔を覗かせた。

「すみません、僕はこれから出かけますが、どうぞごゆっくりなさって下さい」

 そして和一が家から出てドアの閉まる音がした。恵里菜は和一の礼儀正しさに感心して言った。

「宍戸君、本当に礼儀正しくてですね」

ですか……」

 和彦は和一が褒められたにも拘らず、かえって顔を曇らせた。「確かに良い子なんですがね、表向きは」

「もしかして……〝良い子症候群〟のことですか」

 恵里菜が言うと、和彦はわずかに苦笑いを浮かべた。

「やはり……今日はそのことで来られたんですね」

「え? いや、その……」

 思わぬ展開に恵里菜は戸惑って九部の方に目をやった。九部は『そういうことにしておけ』と言わんばかりに首を縦に振った。そして和彦が言葉を繋いだ。

「いいですよ、お話しましょう。

 私には兄と姉がおりましたが、和一は一番上の兄の子でした。ところが和一がまだ小学生の頃に彼の両親、つまり兄夫婦が交通事故で亡くなりまして、和一は姉夫婦の家に引き取られることになったのです。和一はそれ以前にも姉の家に良く出入りしていたので、すぐに新しい住まいに馴染むことができました。

 ところが、姉の夫はあまり収入も高くはなく、一人子供が増えたことで家計が苦しくなっていました。さらに和一の他に、孝信たかのぶという和一より五つ下のダウン症の息子がいまして、ただでさえ育児も精一杯の状態でした。そんな最中、和一が少し度を越したいたずらをしてしまい、姉の逆鱗に触れたのです。

『いい加減にしなさい。今度そんなことをしたら家から追い出すからね!』

 姉はストレスが極限だったこともあってか、そんなことを口走ってしまいました。和一はその時は『……ごめんなさい』とだけ言って部屋にこもったそうです。それから和一は一転して良い子になっていったそうです。家事の手伝いもさることながら、孝信の世話までしてくれたので姉は助かった気持ちになったそうです。その代わり、和一は以前のような子供らしい笑顔を見せることはなくなりましたが、疲れ切っていた姉は和一が助けてくれるがままにさせていました。

 和一も成長し、中学生になりました。その頃、孝信も大きくなっていたずら盛りになって姉夫婦は非常に手を焼くこととなりました。ただ物を壊したりする程度なら良かったのですが、高いところや危険な場所に行ったりして生命の危険に及ぶようなことまでしでかしてしまうのです。そこで和一がしっかりと孝信を見張って危険が及ばないように注意していました。そんなある日、和一と孝信がびしょ濡れになって帰ってきました。どうしたのかと訊くと、孝信が工場跡地のため池に入り、溺れているところを和一が助けたと言うのです。姉夫婦は和一に礼を言い、孝信にそこには二度と行かないようきつく言いつけました。

 ところが、孝信は何度もため池に入り、溺れ、和一に助けられるということを繰り返しました。姉はどうして何回も行くなと言ったのに、また行ってしまうのかと問い詰めました。すると孝信は答えました。

『兄ちゃんが、遊んでくれる』

 姉は血の気が引く思いがしました。ちなみにその時和一はそこにいませんでした。姉は夫と相談し、和一には孝信の言ったことを伝えず、こっそり和一の行動を監視することに決めました。そして数日後、和一が孝信を誘って外に出かけるところを姉は目撃しました。そこで彼らが出た後、こっそりと後をつけました。そして彼らが行き着いたところは……例の工場跡地でした。そして和一はため池のほとりに立って居丈高に孝信に言いました。

『泳いで向こう岸に渡れ』

『いやだ。ママがだめだって言った』

『ふうん、じゃあもう遊んでやらない』

『いやだ、遊んで』

『じゃあ、泳げよ』

 そう言われて孝信は泣きながら池の中に入って行きました。姉はもう見ていられなくなって飛び出しました。

『ちょっと、あんたたち何やってるの!』

 姉は池に飛び込んで孝信を助けようとしました。そこで和一が言いました。

『僕が助けてあげる!』

 しかし姉はそんな和一の横面を思い切りひっぱたき、『お前はここにいなさい!』と叫んで池の中に飛び込んでいきました。間もなく孝信は姉によって救出されましたが、姉は和一を叱るでもなく、何も言うことができませんでした。

 その晩、姉は夫に相談しました。

『私はもう和一を育てることはできないわ。あの子を施設に預けましょう』

『施設に預けてしまえばあの子は立ち直るのが今より難しくなる。親戚に預けるほうが良いだろう』

 そのような経緯で和一は大阪にやって来て、私たちに引き取られることになりました。もちろん事情は聞いた上の話です。私たちも彼に何とかしてやらなければと思うのですが、あの子はあまりに良い子で手がかからないので……かえって何をしたらよいのかわからずにおりました。しかし、学校のほうで何かあったということですね」

「ええ、実はですね……」

 恵里菜がそう言いかけた時、九部がすっと立ち上がって言った。

「すみません、お手洗いお借りしてもよろしいでしょうか」

「ああ、そこを出て右側の突き当りだよ」

 すると九部はいかにも我慢できないという様子で居間を飛び出した。しかし、居間を出ると九部はトイレには向かわずに廊下の隅にしゃがみ込んだ。そこには電話回線のルーターがあったのだ。九部は自分のスマホを取り出し、Wi-Fi設定画面を出して、ルーターに書かれているパスワードを入力した。即座に九部のスマホがWi-Fiに接続された。

(よし、これで繋がったと。お次は……)

 と、その時背後に人の気配を感じた。

 ビクッとして思わずスマホをポケットにしまい、後ろを振り返った。

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