第90話 邪魔

 宙に浮かび上がった炎司は、重々しく空中を移動する巨大な黒い塊に目を向けた。それは、だいぶ離れたこの場所からでもその禍々しさが理解できる。あれを、壊さないといけないのかと思うと、炎司は少しだけ恐ろしい気持ちになる。


 ――あれほど大きなものを果たして壊せるのだろうか? そんな弱音が心の中に浮かび上がった。


 だが、やらなければ、この街はいま以上の災厄に呑まれてしまう。どうあがいたとしても、この街の平和を取り戻すにはあれを絶対に打ち倒さなければならないのだ。だから、やるしかない。自分の力を信じて、あれを打ち倒すのだ。


 巨大な黒い塊は無音で街を移動している。どうして移動しているのかは不明だ。あれに意思のようなものがあるとは思えない。なにか、目的があるのだろうか。


 しかし、考えていても仕方ない。さっさとあれに近づいて、ぶっ壊すのだ。


 炎司は宙を蹴って加速する。距離はそれほどではない。すぐに辿り着けるだろう。冬の夜の風が少しだけ痛かった。


「あれ?」


 そこで炎司は疑問を抱く。どういうことなのか、巨大な黒い塊との距離がまったく縮まっていないのだ。こちらは全速力で移動していて、あっちの移動はとても遅い。であるなら、すぐに距離は縮まるはずだが――


「大きいから、見た目よりも移動速度が速いのか?」


 それはあるかもしれない。だが、これはあまりにもそれから逸脱しているように思えた。


 それとも、こちらの距離感覚を狂わせる力でもあるのだろうか? なにしろ相手はあのルナティックが貯蔵していたものだ。そのくらいの力があってもおかしくはない。


「あの巨大な黒い塊がこっちの距離感覚を狂わせているとしたら、危険かな?」


 炎司はノヴァに問いかける。


『近づくのを遅延させるだけならたいしたことはあるまい。だが、あれと戦闘になって距離感覚を狂わされるのは危険かもしれんな』


 確かにそうだ。戦いというやつはいつだってぎりぎりなのだ。そのぎりぎりの状態で距離感覚を狂わされたとしたら、かなり致命的だろう。


 しかし、炎司の場合は多少感覚を狂わされ、普通であれば致命傷になるような攻撃を受けても驚異的な再生力で復帰できる。だから、そこまでの脅威ではない。が、面倒なものであるのは確かだ。なんとか、なるだろうか?


 いや、なんとかするしかないのだ。この街を災厄から救うためには、あれを完全に破壊しなければならない。


「背水の陣、ってやつかな」


 炎司はもう一度宙を蹴る。巨大な黒い球体との距離は縮まったように見えたが、まだ遠い。


 遠距離から攻撃してみるか?


 いや、あれだけ大きいと生半可な攻撃ではかすり傷も負わせられないだろう。弁を開けて力を放出すればできるかもしれないが、あれだけ大きなものを破壊するエネルギーを放出したら、今度は炎司が放ったエネルギーで街が大変なことになってしまう。


 遠距離では駄目だ。やはり近づいて、壊さないと。


 いくら加速してみても、距離が縮まるのは遅い。一向に縮まらない距離となにをされているのかわからないせいで、炎司はだんだんイライラが募ってくる。


 その時――


 前を悠然と移動する巨大な黒い塊から『なにか』が飛び出してきた。細長い、ひも状のもの。炎司は動きを止め、それを待ち受けた。あれは、間違いなく――


 ひも状のそれは高速で炎司に向かってくる。距離が縮まり、その姿を一望することができた。二十メートルはあると思われる蛇のような『裏側の住人』だった。


 蛇型の『裏側の住人』は空を泳ぐようにして炎司に向かってくる。巨大であるにもかかわらず、その速度は速い。蛇は身体を翻して、自分の尾を炎司に叩きつけてくる。重量にしたらトンはあると思われるその尾の一撃は重さと速さを兼ね備えており、炎司はとっさに回避することができず腕で防御した。その圧倒的な重さにより、炎司の身体は後ろに弾き飛ばされた。


「く……」


 腕に重い衝撃が残る。蛇はすかさず身体をもう一度翻し、今度はその牙で炎司をかみ砕かんと迫ってきた。待ち受けるのは悪手だと判断した炎司は宙を蹴って、こちらの向かってくる蛇の顎に向かって突撃。蛇の頭部とすれ違い、そのまま炎の力を込めた手刀を蛇の頭部に放つ。


 しかし――


 炎司の一撃は空を切った。蛇の頭部が分裂したのだ。当然、炎司によって切り裂かれてそうなったわけではなかった。


 二つに割れた頭部はそれぞれ炎司に襲いかかる。分裂して小さくなった蛇の頭部は荒れ狂う旋風のように炎司の身体のまわりを舞いながらかみつき、その肉を削り取っていく。


 だが、自分のまわりにいるのであれば、どれだけ速く動こうと簡単に倒せる。


 炎司は全身に炎の力を溜め、それを一気に放出した。周囲五メートルほどが青い業火に包まれる。炎が消えると、炎司を襲っていた蛇の頭部は消えてなくなっていた。残されたのは蛇の胴体のみ。このまま全部燃やしてしまえば、これで終わりだ。炎司は、蛇の胴体に触れて、炎を放とうとする。


 が、その瞬間、頭部が消えたはずの蛇が動き出した。再生したのではない。蛇の胴体が炎司の身体を侵食してきたのだ。炎司の腕を駆け上がってくる蛇の胴体。このままでは呑まれる、と判断した炎司は自らの腕を切り落とした。切り落とされた炎司の腕は獰猛な生物にたかられたかのように消えていく。炎司は後ろにステップして距離を取る。距離を取った時には、切り落とした腕は再生を果たしていた。


『わかったぞ、あの蛇』


 不意にノヴァの声が響く。


『あの蛇、一匹ではない。無数の小さな蛇の集合体だ。ゆえに、いまお前が焼き払った頭は頭であって頭ではない。ヤツには無数の頭が存在しているのだ。だから、頭部を潰されても問題なく動くことができる』


「厄介だな……」


『恐らく、蛇を倒しても無駄だ。無数にいる蛇は殻のようなものだろう。場合によっては、いくらでも生み出せる可能性がある。あの無数の蛇を動かしている本体がどこかに隠れているはずだ。それをどうにかしなければあの〈裏側の住人〉は倒せない』


 炎司は蛇を見た。


 蛇はちろちろと舌を出しながらこちらの様子を窺っている。先ほど焼き払ったはずの頭部は完全に復活していた。どうやら、ノヴァが言った通り、まわりの蛇はいくらでも生み出せるらしい。


「――――」


 蛇は耳障りな音を発して、炎司に向かってくる。炎司は自分の向かってくる蛇の頭部をかわして、蹴りを叩きこんだ。蛇の身体は容易く千切れた。だが、無数の蛇の集合体であるこの『裏側の住人』には頭部と胴体が寸断してもダメージは一切ない。千切れた頭部はそのまま別の蛇と化し、炎司に再び襲いかかってくる。炎司は炎を放出して一気に焼き払った。分裂した蛇は完全に消滅。


 胴体の方は再生を果たし、いつの間にか、炎司の身体に巻きつこうとしていた。身体を細くし、無数のロープのように変化させて。無数のロープのようになった蛇は炎司の身体に次々と巻きついていく。巻きつくたびに炎司の骨が折れる音が聞こえた。折れては再生し、また折れる。炎司は全身の骨を砕かれ続けていた。


「――――」


 上から耳障りな音が聞こえる。蛇の泣き声。炎司は上を向く。蛇はその顎を広げ、炎司の呑み込まんとしていた。全身の骨を折られ続けている状況では先ほどのように炎の力を溜めて一気に放出するのは難しい。


 ならば――


 炎司は、迫りくる蛇の顎ぬい向かって手を伸ばす。それは、蛇の顎に思い切り突き刺さり。その手から一気に、炎の力を放出した。放たれた炎は無数の蛇の内部から次々と燃やしていく。そして、半分ほどが燃えたところで――


 蛇の集合体の中から、丸い『なにか』が見えた。


 あれが核だ。


 炎司は身体に巻きついていた無数の蛇を一気に振り払い、宙を蹴ってその丸い『なにか』に向かって、炎の球を放つ。それは見事命中し、チープな音を立てて消滅した。核が消えると、炎司のまわりを取り巻いていた蛇も消えていく。


「よし……」


 なかなかの強敵であったが、自分を倒すほどではない。

 さて、もう一度巨大な黒い塊に向かおう、と思った時、あることに気づく。


「ノヴァ、『裏側の住人』がいるってことは、襲われている人もいるってことだよね」


『だろうな。三十万人いるこの街には、『裏側の住人』を認識できる者がそれなりにいるだろう』


「その人たちって、この黒い水も見えるんだよね」


『そうだ』


「その人たち、助けちゃ駄目かな?」


『……いいだろう。だがあまりそれにかまけている時間はないぞ。それに、一度助けたところで大丈夫というわけではない。我々の目的は救助ではないことを忘れるな』


「わかった。じゃあ」


 炎司は感覚を広げていく。

 街にいる、この事態を認識できてしまう人を探すために。

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