第81話 戦闘の夜

 文子を庇い、炎司の肩口にかみついた黒い『なにか』は急上昇する。もちろん、炎司の身体を巻き込んだままだ。炎司の身体はどんどんと上に引きずられていった。


「この……」


 かみついた黒い『なにか』を引きはがそうとするが、深々とかみついたそいつはなかなか炎司の身体からなかなか引きはがせない。引きはがせないまま、さらに上へと向かっていく。


 こうなったら、肩と腕ごとこいつを引きはがしかない。炎司は覚悟を決め、黒い『なにか』の頭部のような場所をつかんだ、その時――


 がくん、と力強く下に引きずられた。先ほどよりも遥かに速い速度で急降下している。どうやら、このままこの黒いのは自分を叩きつけるつもりらしい。


 やらせるか。高速で下に引きずられながらも、炎司は体勢を整える。下を見る。地面はまだ先だ。落とそうっていうのならとことんまで付き合ってやろうじゃないか。


 下へ、下へ、下へ。黒い『なにか』はかみついた炎司の身体を引きずりながら急降下していく。


 頼りない夜の明かりを頼りにして、下を確かめる。この速度なら、地面に衝突するまであと十秒もかからないだろう。炎司は決心する。炎司は、黒い『なにか』の首のような場所をつかみ、そのまま自分の肩口ごと引き千切り、黒い『なにか』を地面に向かって投げ捨てた。


 炎司はそのまま空中で姿勢を整えて地面に着地する。黒い『なにか』は、ダメージを受けているのか、ぴくぴくと苦しそうに痙攣していた。


 くそ、ここはどこだ。せっかくルナティックと接近できたのに、かなり距離が離れてしまった。


 それに――


 大河は、どうなる。別世界の大河の『残骸』の一部を彼らに注入された彼女は、一体どうしている? 奴は失敗だと言っていたが、あの『残骸』はごく微量でもかなりの影響力を持っていた。ただの人間を、『裏側の住人』に変えるくらいの力があった。そんなものを、本人に注入されたら一体どうなることだろう。


「ノヴァ、『残骸』の一部を注入された木戸、どうなると思う?」


『まだなんとも言えん。奴が一度こちらでも復活していることを考慮すると、即効性はなかったとしても、中長期的にどうなるかは未知数だ』


 ノヴァの声には戸惑いがあった、先ほど、ルナティックが行ったことに脅威を感じているのかもしれない。


「他の人にやったみたいに除去はできないかな?」


『難しいな。他の人間は異物だったから除去できたが、あいつの場合、別世界とはいえ本人の一部だからな。こちら側のあの女も『裏側の住人』を見ることができるはずだ。恐らく、あれは彼女の身体に適合し、異物として排除できないだろう』


「また復活、するのかな?」


『わからん。あの娘次第だろう。我々にはもうどうすることもできん』


「くそ」


 炎司は拳を振り下ろした。夜の闇を拳が空しく切り裂く。


『とにかく、早くルナティックを倒し、あの娘を取り返さなければならん。注入されてからまだ時間が経っていない今ならば、除去できるかもしれない』


 ノヴァの言葉を聞き、炎司は少しだけ救われたような気持ちになった。


 まだ、なんとかなる。希望の光は消えていない。その希望の光を絶やさないためには、いますぐここを飛び立ってルナティックのもとに戻らなければ――


 そう決意した、瞬間――


 高速で地面に叩きつけられて痙攣していた黒い『なにか』がぼこぼこと音を立てて質量を増大させていった。現れたのは、頭に巨大な口だけがある人型の『裏側の住人』。しゅうしゅうと音を立て、こちらを値踏みするかのように様子を窺っている。


「簡単にはやらせてくれないか」


 炎司はそう吐き捨て、構えたのち一気に地面を踏み込んで加速。九メートルほどの距離を一瞬で詰める。クロスレンジ。殴ると同時に核も一気にまとめて燃やして、一撃で終わらせてやる。炎司は、腕に炎の力を込めて、腕を引き、『裏側の住人』目がけて拳を放った。敵は、動かない。当たる。その確信を得た。炎司の炎を纏う拳が当たったその時だった。


 つるん、と『裏側の住人』の胴体が滑った。いや、正確にいえば紙を空中で殴った時のような感触だった。当然、手ごたえはない。


 炎司のパンチを滑るように回避した『裏側の住人』はしなやかに自らの腕を振り払った。炎司はとっさに頭と首を防御。


「ぐ……」


『裏側の住人』の腕が当たった部分に痛みが走った。どうやら、奴のしなやかな腕によって、防御に使った炎司の腕を切り裂かれたらしい。だが、その傷は次の瞬間、修復される。


 炎司は、『裏側の住人』を見た。


『裏側の住人』をよく見てみると、その身体は紙のようにぺらぺらだった。あの薄さが、炎司のパンチを受け流したらしい。


「――――」


『裏側の住人』は声を上げる。なにを言っているのかわからないが、こちらを嘲っているように聞こえた。


「こうなったら」


 炎司は腕から炎を放射する。『裏側の住人』にまわりが青い炎に包まれた。だが、『裏側の住人』は微動だにしない。


「――――」


『裏側の住人』がなにか言うと同時に、ぺらぺらの腕を振り払うと同時に伸ばしてきた。その速度はまるで達人の居合のよう。伸びてきた腕は炎司の腕に巻きついた。巻きついた腕は誰かが力を込めて握っているよう感じられた。『裏側の住人』はそのまま、炎司に巻き付けたまま、腕を逆側に振るった。炎司の身体はアメリカンクラッカーのように振るわれ、一瞬の間に重力の消失と復活が感じられた。


 だが、空中で姿勢を整えて着地し、自分の腕に巻きついた『裏側の住人』のぺらぺらな腕を蹴りで引き千切る。『裏側の住人』はうめき声のようなものを発した。


 それからびったりと巻きついていた『裏側の住人』のぺらぺらな腕を引きはがしていく。


 十二メートルほど離れた距離で、炎司と『裏側の住人』はにらみ合う。


 敵は、紙みたいな身体をしている。だからといって、質量がまったくないわけではない。神のようにぺらぺらなのに、質量を伴っている。軽いわけじゃない。


 こいつを、どう倒す?


 こんなところで時間を食っている場合ではない。早くしなければ、大河の身体に入った『残骸』の一部を除去することができなくなってしまう。


 思い出せ。倒せない奴なんてどこにもいない。


 思い出せ。転生とともに自分に与えられた記憶に、目の前の敵を対処する方法があるはずだ。


 思い出せ、思い出せ、思い出せ。

 なにか、あるはずだ。この『裏側の住人』を倒す方法が、必ずあるはずだ。


 記憶を思い出そうとしている炎司を待つことなく『裏側の住人』はそのぺらぺらな足で地面を蹴り、急加速。ひらひらと舞う腕を炎司の首めがけて振り払った。炎司は後ろにバックステップしてそれをかわす。


 後ろにバックステップした炎司をさらに追い詰めるかのごとく、『裏側の住人』はさらにもう一歩踏み出してくる。紙のようにぺらぺらな腕を振るう。炎司は、今度はかわすことができなかった。腕で防御する。


「が……」


 想像を絶する衝撃が炎司の腕から感じられた。腕を見ると、少しだけ曲がっている。どうやら骨をやられたらしい。


 考えてみればわかることだ。紙のようにぺらぺらでありながら、重量を伴っているということは、その一撃は重い鞭のようであると。鞭で殴られる痛みというのは、とてもすさまじいというのをどこかで見た覚えがある。その情報は、間違いではなかった。ただ、違うのは――


 あれは、ただの鞭とは違って、それなりの重量を伴っている。ゆえに、皮膚を傷めつけるだけではない。皮膚を傷めつけたうえに、肉や骨を破壊してくる。受けるのは、危険かもしれない。


 炎司は折れた腕を無理矢理動かして骨を接合する。


 どうする?

 戦いの中で何度も行った自分への問いかけ。


 答えるまでもない。思い出せばいい。この地球が持つ叡智を思い出せば、この程度、絶対に打ち勝てるはずなんだから――


 そうだ。炎司に天啓が浮かび上がった。


 こうすれば、殴るよりも効果的なはずだ。それで、相手の動きをそげればいい。


 炎司は再び地面を蹴る。アスファルトの焦げる匂いが感じられた。距離を詰め、腕に炎の力を込め、その腕を――


 横から、振り抜いた。


 炎司の腕力と、炎の熱量によって、ぺらぺらな『裏側の住人』の胴体は真っ二つに切り裂かれる。真っ二つになって動けなくなったところで、炎を放ち、真っ二つになった『裏側の住人』を燃やし尽くした。燃えて地面に落ちたそれを炎司は思い切り踏みつける。思いのほか炎司を苦しめた『裏側の住人』は影も形も残っていなかった。


「木戸はどこにいる?」


 炎司はノヴァに問いかける。


『どうやら、あの女を担いで移動しているらしい。早く行こう』


「ああ」


 炎司は夜の空を切り裂きながら飛び立った。

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