第78話 急展開

 倒したのはすべて偽物だった。しかし、この街から感じられた反応は三つだったことは間違いない。これはどういうことだ? 炎司の中にいくつもの疑問符が浮かぶ。


 もう一度、感覚を強化し、探索の手を広げてみる。


 だが――


 つい先ほど倒したルナティックの気配は感じられなかった。なにが、どうなっている? まさか、この街からもう離脱してしまったのか? それとも、なにか細工をしているのか? わからない。くそ。なにがどうなって――


『落ち着け』


 ノヴァの短い言葉が響いた。その冷静な言葉が炎司に冷静さを取り戻させた。


『奴がなにをやってこちらの探索から逃れたのかはまだわからんが、焦ってもなにもならん』


「……そうだね」


 炎司は広げていた感覚をいったん閉じ、ノヴァに言う。それから、考える。


 ルナティックはなにをしたのかを? どうやって自分の感覚から逃れたのかを、思考する。だが、答えは出ない。


 もう一度、最初の時のように感覚を強化するか? いや、それはあまり得策ではない。アテをつけずに探索するのは消耗が大きい。ルナティックとの戦いが控えている以上、消耗のし過ぎは禁物だ。これは、最後の手段にしておいた方がいい。


 とはいっても、一切のアテもなく街を駆けずり回っていても駄目だ。あまりにも効率が悪すぎる。そもそも、この街全体をたった一人ですべて探索するのは不可能だ。そうなったらやはり――


「やっぱり、使うしかないか……」


 消耗は大きいが、やはり感覚を強化するしかない。この街で、なにかをしようとしているあの男が、素直にここから出ていったとは思えなかった。炎司の探索から、逃れたのには必ずなにか理由があるはずだ。そして、こちらの探索を逃れて、なにかをやっている可能性は充分にあり得る。ならば――


 脅威を排除するためには、使うしかない。


 炎司は感覚を強化する。ゆっくりと、この街に感覚の手を広げていく。異質な気配を探せ。なにをどうやったとしても、ルナティックの異質さを完全に隠すことはできないはずだ。なにか、違和感を。不自然さを探すのだ。そうすれば、こちらの感覚から逃れたルナティックを見つけられる――


 徐々に感覚を広げていく。押し寄せてくる大量の情報。夜であってもそれはすさまじい量だった。情報の津波に自分の身体がすり潰されたそうになる。もっと遠くへ。深く、深く、深く。


 感覚の手を広げ切る、というところまできて――


 自分のポケットから振動が感じられた。それに気づいて、炎司は感覚を広げるのを中断する。


「なんだよ、こんな時に……」


 ポケットから発せられている振動はなかなか収まらなかった。仕方なくポケットに入れてあったスマホを取り出す。スマホの液晶画面には、金元文子と表示されていた。


「金元が……どうして?」


 こんな時間に彼女がいきなり連絡を寄越してきたので、炎司はなにか不穏なものを感じた。炎司は通話を取る。こんな時間にどうしたの、と言おうとしたところで――


『火村くん、助けて!』


 通話を取るなり、いきなり文子の尋常ならざる声が聞こえてくる。


「はい?」


 電話を取るなり助けを求める声が聞こえて、事情がわからない炎司は間の抜けた声を出してしまう。


『その、えっと、いきなりごめん。ちょっとどうしたらいいのかわからなくて――』


 炎司の間の抜けた声を聞いて、文子は冷静になったのか、しどろもどろな声を出す。


「どうしたの?」


 だが、文子の声の様子から尋常ならざることが起こったのだと察した炎司は、彼女を促した。


「とりあえず、落ち着いて。いきなり叫ばれても、どうしたらいいのかわからないし」


 炎司がそう言うと、電話の向こうで文子が深呼吸するのが聞こえた。五秒ほど、無言の時間が続いたところで――


『大河と、連絡が取れなくなったの』


 文子は落ち着いた声で言う。


『ただ、連絡が取れなくなったわけじゃないの。少し前まで私と通話していたんだけど、その途中にいきなり切れちゃって――』


 文子の声は恐怖で震えていた。その声からして、ただならぬ状況であったことが伝わってくる。


『はじめはバッテリーが切れたのかと思ったんだけど、少ししたら向こうから連絡が来て、そうしたら、知らない男が通話をかけてきていて、その……』


 そこで文子は躊躇するように言葉を切る。炎司は、向こうがなにか言うまで促すことはしなかった。


『わたしに、火村くんのことを呼べって、そう言ったの』


 文子の言葉を聞き、炎司の心音は急激に跳ね上がった。まさか――


『この前、変な男に話しかけられたって言ったでしょ。それがあったから、もしかしてその男が大河の家に押し入ったんだって思って、それで……警察にも言うなって言われて、どうしたらいいかわからなくて、その……』


 文子はいまにも泣き出しそうな声だった。いきなり通話が切れたかと思ったら、いきなり知らない男から脅されたのだから無理もない。


 大河の家に押し入ったのは、間違いなくルナティックだろう。自分を呼び出したことからも明らかだ。大河と文子に話しかけてきた変な男がルナティックだった可能性は非常に高い。そして、ルナティックは大河に関心を持っていたようだから。


「わかった。そう言われたのなら、俺が木戸のところに行ってくる。その男が、俺を呼び出した場所はどこかわかってる?」


『ううん、聞いてない。たぶん、大河の家に来いってことだと思う』


「そうか。なら、木戸の家を教えてくれ」


 これがなにかしらの罠である可能性は否定できないが、どちらにせよ、ルナティックは炎司にとって避けられない敵である。それならば、堂々と出向いていくしかない。


『待って。わたしも一緒に行きたい。大河のことが心配で、その……』


 困ったような調子で言う文子。その気持ちは炎司にも理解できた。だが――


 いや、文子一人なら守ることくらいはできるだろう。もし、ヤバいようだったら、彼女を逃がせばいい。それくらいなら、いまの自分でもできるだろうと炎司は結論を出す。


「わかった。その代わり、自分の命が危ないと思ったら、俺のことはいいからすぐに逃げてくれ」


『……うん』


 少し戸惑った声で文子は言う。


「それじゃあ、俺はどこに行けばいい? 金元の家がどこか知らないし」


 炎司がそう言うと、文子は少し考えてから待ち合わせ場所を言った。文子が言った場所は、当然炎司も知っている場所だった。


「それじゃあ、すぐにそこに行くよ。それじゃあ」


 そう言って、炎司は通話を切る。それから、ひと息ついて――


「これ、どう思う?」


 炎司はノヴァに問いかけた。


『罠かどうかは断定できんが、行かないわけにはいくまい』


「だよね」


 炎司もノヴァの言葉に同意する。まさか、このような事態になるなんて予想していなかった。


「あ」


『どうした? なにが問題でもあるのか?』


「金元と、この格好で会うのは、どうかと思って」


 炎司は、ルナティックの偽物と戦ったせいで、服がボロボロである。こんな格好で文子と会えば、怯えている彼女をより怯えさせてしまう。


『なんだそんなことか。直してやる』


 ノヴァがそう言うと、炎司の着ていた服が元通りになる。なにが起こったのかわからないが、どうやらこんなこともできるらしい。このところ服の消耗が激しいから、あとで思い出してみよう、なんてことを思った。


「それじゃあ、行こう」


 炎司は、また夜の空へと飛び立った。

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