第75話 ルナティックは人間である

 部屋を出た炎司は宙に飛び上がる。街全体を見渡せる高さまで上昇したところで静止、目を瞑る。


 それから、自身の感覚を強化。だが、すでに追うものはわかっているので、そいつに狙いをつける。


 自分の感覚は広がっていく。自分の身体が、巨大になったかのような感覚。その強化された感覚の手を広げていく。敵は、ルナティックはすぐに見つかった。消耗は少ない。


 場所を認識した炎司は宙を蹴って一直線にルナティックがいる場所へと向かう。弾丸のごとき勢いで加速すると、夜の闇が冷たかった。


「見えた」


 高速で宙を移動していた炎司はすぐにルナティックを視認した。奴は動きを見て、こちらを見ている。どうやら察知されたらしい。不意打ちは無理だと判断した炎司はルナティックから十メートルほど離れた地点に着地する。


「おや、今日も出てきたのか。精が出るなあ少年。そんなに私にことを殺したいのか? いやいや、それはいけないよ。そんな風に闘争心むき出しでは。もっと平和に行こうじゃないか」


「平和だと……?」


 炎司はルナティックに身体を向けて、構える。


「そう、平和だ。別に私はきみら守護者と殺したり殺されたりはしたくないのだよ。そもそも戦うのは苦手だし嫌いだ。百年ずっと仕方なく戦ってきたがね」


 楽しそうな声を出して嘯くルナティック。その言動からは、なにを考えているのかまったくつかめない。


「私はただ、理想の世界を作りたいのだよ。なにしろ私は人間だからね」


「は?」


 ルナティックの言葉の意味がわからず、炎司は呆然とする。


「私は『裏側の住人』である以前に人間だ。であるならば、私が理想の世界を追い求めるのは当たり前のことだろう」


「お前が……人間?」


 炎司は緩く握っていた拳を強く握った。


「なんだ? 私が人間というのは不服かね? では問おう。人間を人間たらしめるものはなんだ?」


「…………」


 炎司は、答えない。答える必要などないと判断したからだ。


「それは、『私は人間である』という自負さ。それがあれば、どれだけ異形に成り下がろうと、人間である。どうだ? 正しいと思わないかね?」


 自分が人間だと思っているから人間? なんだそれは。それでは、どんな怪物だってその自負があれば人間になってしまうじゃないか。


「答えないのかね? ではきみに問おう。きみは自分を人間だと思っているかね?」


「なに……」


 そう問われて、炎司はルナティックへの警戒をしながら考える。


 自分は、明らかに人間から外れている。普通だったら死ぬような怪我を負っても一瞬で回復し、人間とは比較にならないほどの力を持ち、空すらも舞うことができる。


 だが――


「俺は……人間だ」


「だろうな。では問おう。人から外れたきみが人間だと思っているのと、私は同じではないかね?」


「っ……」


 悔しいが、同じだった。ただ、自分を人外にしたものが違うというだけで、そのメンタリティは炎司もルナティックも変わりはない。


「というわけだ。私も人間。きみも人間。これでいいじゃないか。同じ人間であるのなら、争う理由などないのではないかね? 所詮、私一人ではこの世界に与える影響など微々たるものなのだから。であるならば、理想の世界を作る私を放置しておくのが正しいのではないか?」


 ルナティックの言葉は、猛毒のように炎司の中に侵食していく。その言葉を聞いていると、身体の中が腐っていくように感じられた。


「違う」


 炎司は首を振って強く言う。


「お前が人間であっても、お前は世界に害を為す。それが地球に与える影響が小さかったとしても、お前のその欲望によって悲しむ人が出てくるはずだ。俺が守るのは、お前のような奴に無慈悲に蹂躙される人たちを少しでも減らすためだ。だから、お前が人間であっても、俺には戦う理由がある。見逃すわけにはいかない」


 この男は、大河に接触していた。こいつが求める理想に世界に、この世界の大河が関係している可能性がある。


「……ふふ」


 ルナティックは小さく笑った。狂気が見え隠れする小さな笑み。


「確かにその通りだ。きみの範疇で考えれば私は間違いなくきみの敵だろう。なにしろ私は自分の目的のために何人死のうが不幸になろうが知ったことじゃないからね」


 ははは、と狂気を滲ませながら大笑いする。


「いいだろう。私は、きみにとって避けられない敵のようだ。精々抵抗させてもらおう。なにしろ、私の理想はまだ遠くにあるからな」


 ルナティックは腕を振りかざし、近くにいくつも歪みを出現させた。その無数の歪みから、黒い剣を発射する。少しでも触れれば炎司の身体をずたずたに引き裂く黒い剣。炎司はそれを宙に飛んで回避する。


 しかし――


「ぐっ……」


 数本の黒い剣が炎司の足を貫いていた。どうやら、炎司が上に逃げることを予測して操っていたらしい。やられた。同じ手段で回避するべきではなかったか。炎司は足裏から突き刺さっている黒い剣を引き抜いて燃やした。


「まだあるぞ」


 その声が聞こえると、炎司を取り囲むように歪みが出現する。歪みまでの距離は五メートル。歪みは、全方位を取り囲んでいる。危険を察知した炎司は宙を蹴って、歪みと歪みの間を通り抜けた。それから、歪みから怪生物が飛び出してくる。その数は、六。


 炎司は構え直し、六体の怪生物を待ち受ける。


 物理法則を無視しているとしか思えない動きで一体目が炎司に向かってくる。速い、が、その程度が追えないほど炎司の目は弱くない。高速で向かってきた怪生物に拳と炎を叩きこんで一撃で破壊する。


 二体目と三体目が同時に向かってくる。同じように物理法則を無視しているかのような動き。だが、二体でも問題なく捉えられる。炎司を前後から同時に襲いかかってきた二体目と三体目の怪生物を蹴りと拳で炎を叩きこんで破壊。


 残りの怪生物が炎司を食い破るべく向かってくる。同時に三体。だが、三体であっても同じだ。炎司の感覚を強化すれば、目で追えない個体が出てきても追える。炎司は感覚を強化し、同時に炎司の身体を食い破ろうとする怪生物を一撃で倒していく。


 すべて、倒したところで――

 背後から、自分の身体になにか異物が突き刺さった。

 見ると、自分の胸に黒い剣が突き刺さっている。


「な……」


 炎司は予想外の攻撃に驚く。


「言い忘れていたが、私の貯蔵庫から出す場所はいくらでも精製できる。このようにな」


 ルナティックが手を叩くと――


 宙に浮く炎司のありとあらゆる方向に歪みが出現していた。逃げられる、場所はどこにもない。


「守護者はこの程度では死なんだろうが、死なぬからといって自分の身体を串刺しにされるというのは存外にきつい体験だろう」


 ルナティックは手を振る。すると――


 炎司のまわりを埋め尽くしていた歪みから黒い剣が発射される。全力を持って自分に向かってくる黒い剣を防御するが、あまりにも数が多すぎて防御しきれない。一本、二本、三本と、炎司の身体に黒い剣が突き刺さっていく。腕を、腹を、胸を、肩を、脚を貫かれる。


「うおおおお!」


 炎司は全身から炎を放出して、自分の身体に突き刺さった大量の剣を一気に弾き飛ばした。黒い剣が抜けると、いままで身体に突き刺さっていたのが嘘だったのではないかと思うほどの勢いで傷が修復されていく。


 炎司は宙を蹴る。離れた場所で悠然としているルナティックのもとへ突撃。


「やるな」


 ルナティックは余裕を崩さず、歪みから巨大な楯を出現させる。炎司の突撃はそれによって遮られた。


 遮られても、止まるわけにはいかない。炎司はさらに力を引き出す。腕を伸ばし、自分を遮っている楯に触れる。自分の両腕に、炎の力を極限まで溜めて――


「なに?」


 その楯を、一気に切り裂いた。


 だが、まだ止まらない。本命はあの楯じゃない。その後ろにいるルナティックだ。


 炎司は再び宙を蹴って加速し、腕を振りかぶる。ルナティックの首をめがけて、貫手を放つ。炎司の腕はルナティックの首を引き裂き、そして、腕を横に振り、首を斬り落とした。ごとり、という音を立ててルナティックの頭部が落ちる。血はまったく出ていなかった。


 人間ならこれで終わりだが、相手は『裏側の住人』だ。首を斬り落としただけでは死なない可能性がある。炎司は、転がった頭部を踏み潰そうとした、その時――


 不気味な音を立てて、ルナティックの首が液状化した。見ると、首を切り離された胴体も同じ液状化している。液状化したルナティックの身体はすぐに蒸発していく。


「終わった……のか?」


 炎司はまわりを見渡す。いま融けたものが偽物で、本体がどこかに隠れているかと思ったが、異質な気配はどこにもない。


 これで、終わり?


 確かに手ごたえはあった。だが、いままで地球の修正や守護者を退けてきた奴がこんなに呆気なくやられるものだろうか?


『炎司』


 ノヴァの声が響く。


「どうか、した?」


『どうやら我々は嵌められたらしい。いまのは偽物だ』


「な……」


 戦いの夜は、まだ終わらない。

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