第61話 起きてほしくなかった事態

 轟音とともに周囲の建物を破壊しながら薙ぎ払われた電柱は横から炎司に襲いかかる。炎司はとっさに炎を壁を出現させて直撃は防いだものの、数百キロはあろうコンクリートの塊によって弾き飛ばされた。


「はっはー!」


 男は楽しそうに顔を歪め、電柱を持ったまま建物に激突した炎司に向かって突撃をする。炎司は素早く立ち上がり、足に力を入れ自らの身体を砕かんとする電柱に向かって一撃を放った。


 男の力と炎司の一撃を加えられた電柱は呆気なく砕けてしまう。男は砕け散った電柱を投げ捨てて再度地面を蹴って炎司に向かってくる。男から放たれているのは嗜虐に彩られた破壊衝動。ヒトとしての自我を残していながら、ヒトの枠から逸脱したものが男からは感じられた。


 男は無茶苦茶な姿勢から手を振りかぶる。その手は、血で真っ赤に染まっていた。


 炎司は大きく振り回された男の手を回避して距離を詰め、腹に掌底と『残骸』の影響を浄化する力を叩き込んだ。カウンターを受けた男は後ろに大きく弾き飛ばされる。これで、この男は――


 しかし――


 男はいままでと違って光に包まれることはなかった。男は近くにあった破壊された建物の壁を蹴り、再度炎司に向かってくる。それは猛獣のごとき突進であった。


「なんだてめえ! 手加減してんのか?」


 男はまたも無茶苦茶な姿勢になって蹴りを繰り出す。これで終わる、と思って一瞬気を抜いてしまった炎司の側頭部に男のつま先が突き刺さった。炎司は世界そのものが歪んでしまったかのような感覚とともに横に吹き飛ばされる。


「おらあ! もう終わりかクソガキ!」


 吹き飛ばされた炎司を追撃するために男が距離を詰める。男は炎司が姿勢を立て直すよりも早く、炎司の首をつかみ、首の骨を片手でへし折りながら逆方向へと投げ捨てた。


「ふん、俺の敵だっていうからどんなもんかと思ったらただの雑魚じゃねえか。やっぱり俺は最強らしい。さて、これからどうしてやろうか。色々やれることができるんだから、楽しまねえとなあ」


 男は炎司に背を向けて歩き出そうとする。

 そのとき――


「なに?」


 ごとり、と先ほど炎司を叩きつけ、埃が舞い上がっているところから音が聞こえてきた。男は足を止め、振り向くと――


 首をへし折られたはずの炎司が、男に迫っていた。炎司を倒したと思って完全に油断していた男は反応が遅れ、炎司の身体を思い切り叩きつけられて吹き飛ばされた。


 だが、あの男はこの程度では終わらない。それがわかっていた炎司は足を止めない。木の葉のように宙を飛ばされた男に接近し、手刀を放ち、下に叩きつける。


「がっ……」


 男はうめき声を上げた。炎司は動きが止まった男にそのまま覆い被さり――


「その状態ならまだ引き返せる。まだやるか? あんたじゃ俺には勝てないぞ」


「ああ?」


 男は苛立ちの声を発する。自分よりも遥かに若い男にそんなことを言われたことに腹が立ったらしい。


「お前誰にそんな口聞いてやがるんだ? ふざけてんのか? ああ? ガキが舐めた口聞いてんじゃねえよ!」


 暴れ出そうとする男に炎司は終わらせる一撃を入れようとする。


 その瞬間――


 男の身体がいびつな音を立てて変形をし始めた。それを見た炎司はすぐに男から飛び退いて距離を取る。炎司が離れても、男の身体はどんどんと音を立ててねじれていく。血には見えない真っ黒な液体が地面を濡らし、広がった。


 あの黒い液体に触れるのはまずい、そう直感した炎司は宙に飛び上がる。それでも男の身体の変形は止まらない。男の身体は原型を留めていなかった。広がった黒い液体はあたりに転がっている死体を呑み込んでいく。


『炎司』


「……うん」


 ノヴァの問いに炎司は頷いた。あの男は、境界を越えてしまった。もうもとには戻れない。


 ついに、起こってほしくなかった事態が起こってしまった。


 黒い液体があたりにあった死体をすべて呑み込むと、広がった黒い液体は収束する。


 そして――

 そこから現れたのは、ヒトとしての原型を残していない怪物であった。


「なんだあ……こりゃ?」


 異形と化した男は、自分になにが起こったのかよく理解していないようだった。


「ま、いいか。好き放題やれるのならどんな姿でもいいか。バケモノってのも悪くねえ」


 多くの虫の特徴を混ぜ、それを人型にしたような姿になった男は、まんざらでもない、という口調で言う。


「さっきはよくもなめた口ききやがったなあ、てめえ。てめえはただ殺すだけじゃすまさねえ。原型を残さないぐらい切り刻んたあと、食い散らかしてやる」


「…………」


 炎司はその問いには答えなかった。答えるまでもない。


 あの男は――『残骸』の力を引き出して『裏側の住人』と化してしまった。人を食らい、表側を侵食する正真正銘の怪物と化したのだ。残されている手段はただ一つ。


 あの男を殺すしかない。


『裏側の住人』と化す前から、あれだけの残虐性を発露していた男だ。本物の怪物と化したところで、止まりはしないだろう。


 やるしか、ない。炎司は気合を入れ、砕けたアスファルトを踏みしめた。


「なんだやる気か? てめえごときが俺に勝てると思ってんのか?」


『裏側の住人』と化した男の身体から『なにか』が飛び上がった。地球に存在するどの種とも似ていない異形の虫だった。無数の虫は、風を切り裂きながら炎司に襲いかかる。


「…………」


 炎司は無言のまま自らの身体に青い炎を纏わせて、襲いかかる異形の虫を焼き払っていく。地面を蹴って、『裏側の住人』と化した男に接近する。手に力を籠め、男に向かってそれを解き放つ。


「あ……が……」


『裏側の住人』と化した男の内部から青い炎が発火する。


「がああああああ!」


 しかし、男は止まらない。身体の内部が燃えたまま、炎司に向かって鋭く尖った腕を振り下ろしてくる。だが、炎司はそれを最低限の動作で回避し、蹴りを叩きこむ。炎司の蹴りを受けた『裏側の住人』と化した男は吹き飛びながら、内部を焼く炎はさらに勢いを増した。


「な、なんだよ……どうなってるんだ……。俺は、俺は最強のはずだ……。こんなガキに、負けるわけ……」


「誰だか知らないけど、現実を見ろ。あんたじゃ俺には勝てない」


 吹き飛ばされた男に向かって炎司はさらに力を放った。炎司の放った力は、『裏側の住人』と化した男の身体をさらに延焼させる。その青い炎は巨大な火柱と化し、『裏側の住人』と化した男のすべてを燃やしていく。その炎の輝きによって、あたりは真昼のように赤く留なったのち、『裏側の住人』と化した男を一片も残さずに消滅させた。残っているのは、炎司一人だけ。


『炎司よ、あまり気を病むな。〈裏側の住人〉と化してしまった以上、ああするより他に手段は残っていなかった。お前が、悪いわけではない』


「……そうだね」


『それに、まだあの若造が残っている。あいつをどうにかしなければ、この事態は終わらない』


 その通りだ。『残骸』と一体化した力人をどうにかしなければ、あの男のような誰かが再び現れないとも限らない。


『行くぞ』


「……ああ」


 炎司は宙に飛び上がって、宙を蹴り、大学へと向かった。

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