第40話 私が戻るまでのそれほど長くない経緯

「でもどうして戻ってきたのさ」


 火村炎司は目の前にちょこんと座っている少女――しばらく前まで生活を共にしていた少女――ノヴァにそう問いかける。


 彼女は役目が終わったら去らなければならないと言った。自分によって人間社会に影響を与えるわけにはいかないから、と言って。


 それなのに――どうして戻ってきたのだろう。


 こちらの黒羽市にもなにか近づいているということだろうか?


 わりと堅物なノヴァが、ただ自分に顔を見せにきてくれた、なんてことはないだろう。


 だから――


『なんだ。私が戻ってきたのがそんなに不満か?』


「いや、不満ではないけど――その」


 なにか起こったんじゃないの? と、炎司はそう付け足した。

 平和なはずの、自分が暮らす黒羽市で。


『ああ、そうだ。話は早くて助かる。やはり新しくリクルートしなくて正解だったな』


 ノヴァは満足そうな笑みを浮かべ、青く輝く細くて長い髪を揺らしながらそう言う。彼女と過ごした時間はたったの数日のことだったのに、とても古くから付き合っているような気がしてくる。


 それにしても、相変わらずあり得ないくらい美人だ。ノヴァがいなくなってから、女の子が近くにいたことはなかったので妙にドキドキしてしまう。


『では、どうして私がここに来たのかを話そう。その前に一つ言っておくが――』


 ノヴァは神妙な面持ちになって炎司と相対する。その視線はやっぱり鋭利な刃物のような鋭さを持っている。


『今回のお前には拒否権がある。それだけは言っておこう。色々と失敗はあったものの、ちゃんと責務を果たしたのだ。もう私たちとお前は対等の立場だ。だから、嫌なのであれば私の申し出を拒否できる。それでもなお私たちはお前にお願いをしているのだというのを忘れないで欲しい』


「…………」


 ノヴァがいままで見たことないほど真摯な口調になって言ったので、炎司はなにも言えなくなってしまった。


 ……どうしたらいいのだろう、と炎司は自問する。


 ノヴァがこんなことを言うってことは、当然あちらの世界でいたときのような危険が伴うのだろう。それは、痛い思いをしたり――最悪の場合死ぬ可能性もある危険なことであるのは考えなくとも理解できた。


 別の世界にいたときのようにまた戦いとは思わない。

 そこまで戦いを求めるほど狂っていたわけでもない、はずだ。


 だけど――


 炎司はノヴァに視線を向ける。ノヴァは鋭く、そして真摯な目をこちらに向けていた。


 殺された自分がいまこうしていられるのは彼女のおかげだ。彼女が自分を見出してくれたから――いま炎司はこうしていられる。


 でも、それはすでに終わったことなのだ。別の世界で、別人と認識されていた世界で繰り広げた戦いによって、それは過不足なく徴収されている。


 どうする――べきなのだろう。

 自分はどうしたい?


「一つ――訊きたいんだけど」


『なんだ?』


「この世界で――〈扉〉が出現して、〈裏側の住人〉が現れたの?」


『違う。なんと言えばいいのだろうな。『残骸』がこの世界に流れてくるのが観測されたのだ』


「残骸?」


 聞き慣れない言葉に炎司は首を傾げる。


『お前も覚えているだろう。〈扉〉と融合したあのイカレ女のことを』


 その言葉を聞いて、炎司の鼓動は急激に跳ね上がった。


 木戸大河。


 炎司が別人として過ごしていた世界で現れた仇敵ともいえる存在。ここではない別の黒羽市に混沌と混乱と暴力で彩られた夜宴を発生させた人物。『裏側の世界』に繋がる『扉』と融合した狂気の女。あの常軌を逸した狂気を忘れることなどできるはずもない。


「うん……。でも、あいつは完全に消えたんじゃないの? もしかして――」


 蘇ったのだろうか? あの常軌を逸したあの女なら――そんなことが起こっても不思議ではないと炎司には思えた。


『違うよ。残骸だと言っただろう。安心しろ。あのイカレ女が蘇ったわけではない。あのイカレ女は消滅の直前に自分の身体の一部を切り離した。それは時間を経てお前がいる世界に流れ着いた。


 普通の〈裏側の住人〉の残骸が流れ着いただけなら、さして問題はない。放っておけば勝手に修正され、自然に消滅する。


 だが――あのイカレ女は〈扉〉と融合していた。〈裏側の世界〉と繋がっているあれとだ。残骸とはいえ、肉を得た〈扉〉を放っておくことはできない。その影響はなにかしらの形で必ず出てくるとの結果が出た。早急に処置をしなければならない』


「それが――この世界で観測された不穏なものの正体?」


『そうだ』


 ノヴァは炎司を見据えたまま頷く。


「…………」


 この街に大河の置き土産が流れ着いた。それが意味することは、ただ一つ。


 あの世界での戦いはまだ終わっていない。


 それに大河の一部がここに流れ着いたのも偶然ではないはずだ。あの世界で縁があった自分がいるから、大河の残骸はここに流れ着いたのではないか。


 それなら――


「やるよ」


『……え?』


 ノヴァは驚きの声を上げる。


『いや、待て。なにを即答している。もう少し考えろ。来ておいてそんなことを言うのはおかしいかもしれんが――』


 あたふたとするノヴァ。炎司が即答するとは思っていなかったらしい。その様子がなんともおかしなものに映った。もしかしたら――彼女は自分に断ってほしかったのではないか、なんてことを思う。


「だってさ、あの世界の木戸の残骸が俺のいる世界に流れてきたのってたぶん偶然じゃないだろ? それに――残骸があるってことは、まだ俺の責務は終わっていないじゃないか。俺の不手際だよ。あんなことになったんだ。ちゃんと後始末はしないと駄目だろ。アフターサービスってやつ」


『むう……』


 ノヴァは少しだけ気まずそうにして炎司から視線を逸らした。だが、すぐに真剣な表情に切り替わって――


『本当にいいのか?』


「ああ。これは俺がやらなきゃならないことだ。だから、やるよ。あいつの狂気がまだ残っているなんてわかったら、おちおち寝てもいられない。ちゃんと潰せなかったのは俺のせいなんだから」


 それに――いまの炎司は戦える人間だ。力の使い方も、なにもかもしっかりと記憶に残っている。戦える人間が戦わないのは、いいとは思えなかった。


『……なんという、しばらく見ない間に変わったな』


「違うよ。ノヴァといたから変わったんだ」


『恥ずかしいことを言うな、クソガキめ』


 ノヴァはそう言って表情を崩し、悪態をついた。その様子は、年相応の少女らしく見えた。


『それでは――もう一度お前に私の力を接続する。手を伸ばせ』


 そう言われて、炎司は手を伸ばす。すると、ノヴァの手が炎司の手に合わされて――


 感じられたのは身体の内側をすべて焼き尽くすかのような強烈な熱。

 身体の内側がなにかによって燃やされ、別のものに置き換わっていく感覚。


 以前やったときはここで意識を失ってしまったけれど――今回はなんとか押し留める。


 手足の末端、脳髄の奥深くまで焼き尽くされるような熱を感じたところで――それは止まった。


『再接続完了だ。具合はどうだ?』


「特になんとも。もっと変わるのかと思ったんだけど」


 もっと劇的なものになるのかと思った。以前のときはもっと強烈だった気がするのだが――


『いまのお前は私の力の残滓が残っている状態だからな。以前よりも劇的ではないのは当たり前だ』


「そういうもん?」


『そういうもんだ』


「それで――木戸の残骸はどこにあるの?」


『残念ながら、まだ捉えられていない。ここにあることはわかるが、どこにあるのかはわかっていない状況だ。もしかしたら、誰かの手に渡っている可能性もあり得る』


「それだと――生きている人間を侵食するのかな?」


『その通りだ。侵食が進めば、あのイカレ女のようになる可能性さえもある』


 その言葉を聞いて、炎司はぞっとするかなかった。別の黒羽市で起こった惨劇が、ここでも起こり得る事実に戦慄するしかない。


「やっぱり、夜じゃないと見つけられないのかな?」


『ああ。いくら肉を得ているとはいえ、残骸だからな。昼の間は影響力が小さい。探すのなら――裏に近づく夜だ。少なくとも、いまのところはな』


「わかった」


『それと、一つお願いがあるのだが』


「なにさ」


『せっかくこっちに出てきたのだ。お前の金でアイスが食いたい』


「…………」


 またか。


 まあいい。久々に会ったのだし、アイスくらい奢ってやるとしよう。そんなに高いものでもないし。

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