第36話 炎使いは人殺しの夢を見るか?

『本当にあれだけでよかったのか?』


「うん……あれ以上言っても仕方ないと思って」


 そうか、とノヴァは返すだけであとはなにも言わなかった。その心遣いがいまだからこそありがたい。


 炎司は、はじめて人を殺した。『裏側の住人』と『裏側の世界』と繋がっている『扉』と同化し、災厄そのものと化した彼女を人間だと言っていいのか炎司にはわからない。


 だけど、自分の意志を持っている存在を殺したことに間違いないのだ。その気持ちはたまらなく嫌なものだった。


 炎司は周囲を見渡した。


 そこには大河が起こした災厄の爪痕がはっきりと残っている。恐らく、自分が助けられなかった人も大勢いるのだろう。わけのわからない欲望で、こんなことを起こした大河を、心から殺してやりたいと思っていたはずなのに、いざ殺したらこんな気持ちになるなんて、人間というのは不思議だ。


「ノヴァ」


『なんだ』


「人を殺すのって、あんまり気分のいいものじゃないね」


 いまでも、街では混乱と絶叫が聞こえてくる。その声はとても痛ましく、聞いているのもつらかった。街をこんな風にした大河は絶対に許されない。死んで当然だった、とすら思っている。


 なのに、すべてが終わり、木戸大河という存在を終わらせた自分を支配しているのはなんとも表現のしがたい不快感だ。心から殺してやりたいとすらも思った相手なのだから、殺したらもっとスカッとすると思っていた。


『……そうだな。私にはよくわからないが、人間というのは生来的にそういうところがあることは知識として知っている。それが、どんなにイカレた奴だとしても、お前がいま感じているそれは間違いなく正常な証だよ。〈扉〉と同化して街を半壊させたヤツがどこまで人間といえるのか不明だがね。


 どんな理由があったとしても、人を殺すときになにも感じなくなったらそれこそ人間としては終わりだろう。だから、お前がいま感じているそれは忘れちゃいけないものだ』


「忘れちゃいけない……か」


 ノヴァの言ったことはよくわかなかったけれど、この気持ちを忘れちゃいけないというのだけは理解できた。


 自分は、自分のために命を奪った。それがどうしようもない、殺す以外、他に道が残されていなかった怪物だったとしても、その事実だけは変わらない。


 きっと自分は今日知ったこの重みをずっとどこかで感じながら生きていくのだ。


 街にはもう『裏側の住人』はいない。『裏側の世界』に繋がっている『扉』も壊したから、迫っていた脅威は去ったのだろう。


 だが――


 街に残された傷跡はとても深い。たった数時間で、この街のあったありとあらゆるものが壊されてしまった。人も建物も価値観も、色んなものがたった一人の狂気によって壊されたのだ。名も知らぬ、彼ら彼女らは、これからどうやって生きていくのだろうか、と少し心配になる。


 でも、それは炎司が口を出すことではないのだろう。

 炎司はこの街を救ったのかもしれない。


 だけど、それは誰にも知られることはない。


 この世界では自分を知っている者は誰もいないから。

 称えられることは決してないだろう。


 それに、犠牲になった人たちだってとても多いに違いない。大河を殺して、結果的に救った人の方が多かったとしても、救えなかった人たちがいることは、絶対に忘れてはならないことだ。この街で起こった災厄は自分の手が鈍ってしまったことが原因なのだから。


 炎司はあてもなく街を歩いていく。


 泣いている子供の声が耳に入った。そちらに目を向けてみる。そこにいたのは裸足のまま歩いている女の子。まだ十歳もいかないだろう小さな娘だった。その娘にどんなことが起こったのか炎司には知る由もない。しかし、彼女があんな風に泣いているのは、自分がちゃんと責務を果たせなかったせいだ。


 痛みに叫ぶ、男の声が耳に入った。自分と同年代くらいの、もしかしたら同じ大学に通っているかもしれない若い男だ。彼は右腕があらぬ方向に折れ曲がっていた。『裏側の住人』に襲われてそうなったか、逃げる時にそうなったかのどちらかなのは明らかだ。これも自分の手が鈍ってしまったせいだ。


 他にも、街には多くの悲劇が残されていた。


 そのすべてを語るには時間が足りなすぎる。自分では語り切れないほどの悲劇がこの街で起こっているそのすべてを一つ一つかみ締めながら、自分の無力さを実感しながら、炎司は街を進んでいく。


『掃討の必要もないようだし、そろそろ済ませるか』


「済ませるってなにを?」


『お前は責務を果たした。ままならずに街がこうなってしまったが、救ったことに変わりはない。お前の望みを叶えよう』


「望み? ……ああ、そうか」


 炎司は、自分がもともといた世界に戻りたくて戦っていたのだ。そんなこと、ノヴァに言われるその瞬間まですっかり忘れていた。


 もとの世界に戻る。それは嬉しい。自分のことを誰も知らない世界で生きていくのはとてもつらいことだから。


 だけど――


「街がまだこんなことになっているのに、いいのかな?」


『いい。お前はやることをやった。決してうまいとは言えなかったし、大きな失敗もしたがな。そもそも、この街を復興させるのはお前の仕事ではない。お前ではない名も知らぬ人々がそれをやるんだ。使命が済んでもなお、残していると余計な歪みが生じかねないからな』


「……そっか。わかった」


『では、やるぞ』


 ノヴァはそう言って、姿を現した。炎司の手を取ると、徐々に自分のまわりに光が溢れていく。


『それでは、私とはお別れだ。短い間だったが、悪くはなかった』


「へ?」


 炎司は、ノヴァがなにを言ったのか理解できなかった。


『私はお前をナビゲートするために、そして力の仲介役としてここにいる。お前が使命を果たして元の世界に戻るのだから、私だって戻るのが道理だろう?』


「で、でも――」


 そんなこと、いままでひと言も言ってなかったじゃないか。


『わがままを言うな。お前がこの世界の住人ではないように、私は人間の世界の住人ではない。〈裏側の住人〉という脅威がいるからこそ、かかわることを許されている。だから、そう言うな。随分とみっともない顔だぞ』


 ははっ、とノヴァは軽く笑う。


『それじゃあな。せっかく死ぬはずだったところを助けてやったんだ。大成しろとは言わんが、ロクでもない輩になったら許さんぞ』


 光に包まれて消える瞬間、ノヴァのいままで見たことのない笑みが見えて――

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