第21話 ミステリック・ゲーム

 警察署を出ても、彼の姿はどこにも見当たらなかった。


 そりゃあまあ、そうだろう。事情がどうであれ、自分以外の別の女の子といるところを見られてしまったのだ。気まずくもなる。


 文子は連絡を取ろうと思ってスマートフォンを取り出したけど、やっぱり連絡するのはやめておいた。


 彼のことだ。あの娘が言っていたことが本当かどうかはともかく、文子は彼のことを信用している。二人の空気からして浮気という風に見えなかったのは確かなのだが――


 それでも、自分以外の女の子と一緒に歩いているところを見てしまったのは、ショックを受けなかったといえば嘘になる。


 警察署の方に視線を向けた。


 大河はまだ話をしている。彼女が第一発見者なのだからそれは当然であるが、顔を合わせておいてなにも言わずに先に帰るというのはあまりよろしくないだろう。


 どうしよう。警察署の入口の前で文子は立ち尽くしながら、あてもなく考える。


 彼のこと、あの娘のこと、そしてこの街で起こっている『なにか』のこと。


 自分はどうしたらいいんだろう。ここ数日、色々なことがおき過ぎて眩暈がしそうだ。どうしたらいいのかよくわからなくなって、文子は空を見上げた。空はいつの間にか曇り始めている。なんだかいまの自分の心みたいだ、なんてことを思う。


「……はあ」


 ため息が出た。なにか起こっているはずなのに、なにもできない自分に嫌気がさしたのかもしれない。


「それにしても……あの娘、可愛かったな」


 彼と一緒にいたあの娘は、自分とは比べものにならないほど美人だった。欧州系の顔立ちに、透き通るくらい綺麗だった白い肌、それから、思わず何度も見たくなってしまうくらい特徴的だった青く輝く髪。どこか人間離れした雰囲気を持っていて、同性の自分から見ても魅力的だった。あんな娘がいたら、自分なんて取るに足らない存在だ。浮気されてもおかしくない、かもしれない。


 そこで――

 彼女が纏っていた雰囲気にどこか既視感が感じられた。


 なんでだろう? そう思ったが、それはすぐに思い至った。


 昨日の夜、自分を助けてくれたあの青年と似ているんだ。異界と化した夜の街に現れたクモみたいな怪物に襲われた自分を助けてくれたあの人。顔はまったく思い出せないのに、何故か似ているように思えた。


 もしかして、あの青年の兄妹だったりするのだろうか?


 いやでも、と思ったけれど、世間は案外狭かったりするし、そういうこともあり得るのかも、なんて思ったところで――


 背後から、昨日の夜に感じられた、あの嫌な気配の感触があって――

 ハッとして文子は後ろを振り向いた。


 しかし、そこから見えるのは特に異常は見られない警察署の風景。黒い水も、黒い塊も、クモのような怪物の姿もなにもない。


 それなのに――


 嫌な気配がどんどんと近づいてくるのが感じられた。文子の足は恐怖で硬直してしまい、その場から動けなくなってしまう。


 じわじわと、嫌な汗が背中を湿らせていって――


「どうしたの?」


「ひゃあ!」


 いきなり声が聞こえて、文子は大声を出してしまった。

 そこにいたのは友人の大河だ。彼女の顔を見て、文子は心から安心した。


「驚かせるつもりは、なかったんだけど」


 と、大河は少しだけ申し訳なさそうな顔をする。


「ごめん。ちょっと考えごとしてて」


「考えごとって、吉田くんと一緒にいたあの娘のこと?」


「うん」


「なんというか、すこし可愛かったよね。人間離れしてるって感じ」


 あの娘が人間離れしているというのは、大河も同じだったようだ。親友と同じ感想を抱いていることに、文子は安心する。


「でも、少し危険かもね」


「危険って……どうして?」


「ん? だってあんな人間離れしてる娘と一緒にいたら、そっちに引きずられちゃいそうじゃない?」


「あー」


 それはわかるかもしれない。


 環境というのは人間を大きく変化させる。特に身近にいる人間の影響というものはとても大きい。


 もし、あの娘に引きずられて、彼が変わってしまったらどうなるだろうか?

 それを考えると、少しだけ嫌な気持ちになった。


「それに――」


 そこで、文子は大河が意味深な表情をしていることに気づいた。


「ねえ文子。あの娘が、あんたが昨日見た怪物と関係しているのだとしたらどうする?」


「えっ――」


 意外な言葉を言われて、文子は言葉を継げなくなる。


 あの娘が、あの怪物と関係している? 大河は一体、なにを言っているのだろう?


 文子は大河にそっと視線を向けてみる。


 彼女はうっすらと楽しそうな笑みを浮かべていた。それはどことなく邪悪さが感じられる微笑で――


 こちらの視線に気づいたのか、大河はすぐにもとの表情に戻った。よく知っている、親友の顔。「どうかした」と大河から訊かれたが、「なんでもない」と返すことしかできなかった。


「今日の夜なんだけど、そっちに行ってもいいかな?」


「夜? 別にいいけど」


「それじゃ、これから用事があるから、それが済んだら文子の部屋に行くね」


「う、うん。わかった」


 大河はそう言うと、「それじゃあお先」と言って、駆け出して行った。


 文子はただ一人、取り残される。

 それから、考える。


 大河はあの娘についてなにか知っているのだろうか? なにか、知っているように思えたけれど――


 でも、結局なにもわからなくて――

 そのまま、文子はなにもわからないまま帰路についた。

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