第19話 トライアングル・ハート
その行動は、あまりにも迂闊過ぎた。炎司は心の中で悪態をつく。
ここでふらふらしていたら、文子と出会う可能性は充分あり得ることに何故思い至らなかったのか。彼女もここに下宿しているのだ。仮に、こちらの世界では黒羽市に下宿していなかったとしても通う大学がここにあるのだから、活動の中心がこの街になるのは当然である。
しかも――
炎司が隣を見た。
彼女以外の女の子と、しかも明らかに外国人の風貌だから、妹とか親戚とか言い逃れることもできそうにない娘と一緒にいるところに出くわしてしまうなんて――
なんて、ついてない。
まあ、前の世界で殺されたこととか、怪物と戦うことになったとか、ここ最近、ついてないことしか起こっていないのだが。
こちらの心境などまったく気にすることなく、ノヴァは青く輝く粒子を飛ばしながら佇んでいる。
「ん? どうした?」
炎司の視線に気づき、ノヴァは小首を傾げてみせた。彼女は炎司の前に突如襲ってきた修羅場(かもしれない)現場など気にも留めていない。
どうしたらいいんだろう? 炎司だって女の子と付き合ったことは少なからずあるわけだが、彼女がいるにもかかわらず別の娘と出かけて、そこに鉢合わせしてしまう、なんてイベントには遭遇したことはなかった。
自分の身体に刻み込まれた『誰か』の記憶に、こういった修羅場を切り抜ける方法はないだろうか、なんて思ったものの、ありそうにない。
炎司は視線を前に向ける。
そこには悲しそうな目をした文子が佇んでいた。彼女のそんな顔を見て、なんとかしなければ、と思うのだが、炎司の口はまるで動いてくれない。炎司がなにも言わずにいる間も、二人の間にはどんどんと気まずい雰囲気に満たされていく。
「えっと……」
沈黙と気まずい雰囲気に耐えきれなくなって、先に口を開いたのは炎司だった。
「あの、この娘はその、付き合っているとかそういうのではなくて――」
言い訳を口から出しかけたところで、なんと言えばいいのかと思って口ごもる。
この娘は、俺に怪物と戦う力を与えてくれた神(自称)です。なんて言った日には頭がおかしくなったとしか思えない。ただでさえ、別人になってまわりには違和感抱かせているのに。
相変わらず、文子は黙ったままだ。その沈黙がなんとも恐ろしい。彼女は穏やかな娘だと記憶しているけど、そういうタイプに限って怒らせたときは怖かったりするものだ。
再び、沈黙に支配されたまま時間が過ぎていく。それからどれだけ時間が経過しただろうか。一分かもしれないし、十分以上だったかもしれない。炎司にとって、とても長い時間が過ぎたと思ったところで――
「なんだお前ら。もしかして私のことでそんなおかしなことになっているのか?」
と、ノヴァがその沈黙を軽やかに撃ち抜いた。
なにを言うつもりだ、と思って炎司は止めようとするが間に合わなかった。
「安心しろ。私はこいつの彼女でもなければ、お前からこいつを寝取ろうなんて思っちゃいない。ただ少し野暮用でこいつと一緒にいるだけだ。それが済めば私はさっさと消える。変な勘繰りはするでない」
意外にもノヴァはまともなことを言ったので炎司は驚いた。
「えっと、どういう関係なんですか? 日本人には見えないんですけど」
「こいつとは遠い親戚でね。その伝手を頼ってきた。その野暮用も終わり、今日帰るから、見送りにきてもらっていたのだ。誤解を招いたのなら素直に謝ろう。すまなかったな」
ノヴァはそう言って頭を下げた。見ているこちらが申し訳なくなるくらい見事なお辞儀である。文子も同じようにそう思ったのが、今度は困ったような顔をしていた。
「こいつに交際している娘がいることは知っていたが、今日一日くらい大丈夫だろうと高をくくったのがよくなかったな。短慮が過ぎた。本当にすまない」
ノヴァはそう言ってもう一度頭を下げる。
「いえ、その……わたしも誤解してしまったようで……すみません……」
消え入るような声で文子は頭を下げた。
なんかよくわからないけど、誤解は解けつつある――のだろうか。
「ほら、というわけだ。さっさと私のことを駅まで送って、この娘の相手をしてやれ。用も終わったしな」
ノヴァはそんな言葉を炎司に向かって吐き捨てるとともに尻を蹴り上げた。
「……わかったよ」
なに一つとして本当のことはなかったが、これでこの場を切り抜けられるのであればありがたい。
なんとかなりそうだ。そう思ったとき――
「きゃあああああああ!」
住宅街に響いたのは女性の叫び声。
なんだ、と思って声が聞こえてきた方向に振り向くと、裏路地に続く角から一人、女の人が出てきて――
「た、大河?」
「文子!」
慌てた様子で彼女は文子に抱きついていた。
「ど、どうしたの?」
「あ、あそこを歩いていたら、いきなり人が倒れて」
大河は自分が先ほど駆け出してきた裏路地を指さす。
「え?」
その不吉な言葉を聞いて、修羅場が収まりかけたところで緩んでいた心が一気に引き締まった。
「女の子二人だけで行くのは危ないから、俺も行くよ。いいかな?」
「吉田くん……いたんだ」
少しだけ驚いたような顔を見せる大河。だが、すぐに「うん、一緒に来てくれると助かる」と言ってくれた。
女子二人を後ろにして、炎司は路地へと進んでいく。
なにか嫌な気配がする。
なんだろうこれは。どこかで感じたことがあるような――
どどどど、と押し寄せる緊張と不安に苛まれながらも、炎司が路地を曲がると――
すぐに、倒れている男が目に入った。これも戦闘能力を思い出した結果なのだろうか、遠くからただ見ただけなのにもかかわらず、あそこに倒れている男がすでに死んでいることが理解できてしまった。
「……警察は?」
振り向かずに、炎司は大河に質問する。大河は「まだ」と言ったので、炎司はポケットからスマートフォンを取り出して生まれてはじめて一一〇番にかけた。
事件の場所、状況を口頭で伝えて、通話を切る。
そこで――
「おい」
と、後ろのいる二人に聞こえないような小声で、ノヴァが炎司のことを小突いてきた。
「なんだよ」
「誰かに聞かれるかもしれんから、ここではこれだけ言っておく」
「だからなんだって」
「あいつ、死んだ原因は『裏側の住人』かもしれない」
「え」
その言葉を言われて、この街で起こっている急死事件が『裏側の住人』と関係していることにやっと気づいたのだった。
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