第15話 ファイアスターター・ビギンズ

 上半身が人型、下半身がクモの『裏側の住人』は一心不乱に炎司のもとに突撃してくる。炎司はその両腕に炎の力を溜めてそれを受け止めた。


 だが、先ほどよりもさらにひと回り大きい『裏側の住人』の質量に徐々に押されていく。ここで競り負けるわけにはいかない。だって後ろには――


 両腕で『裏側の住人』を受け止めた状態のまま、そっと後ろを覗き見る。そこには文子がいる。もし、ここで自分がやられてしまえば、ヤツはこのまま彼女に襲いかかるだろう。そうなったら――


『そんなことは考えるな』


 ノヴァの咎めるような声が聞こえた。


『自分がもしやられたら、なんてことを戦っている最中に考えるのは愚の極みだ。最悪を想定しておくのは必要だが、それは自分がやられることを考えるのとは別だ。


 それに、お前がいる限り〈裏側の住人〉は、あの娘に襲いかかることはない』


 それってどういうこと? と声に出さす炎司はノヴァに問いかけた。


『裏側の住人はより強く観測できるものに集まる習性をもつ。あの娘とお前、どちらがヤツらを強く認識できるかは言うまでもなかろう。だから、お前がいる限りあの娘は襲われることはない。他の個体が来たとしてもそれは同じだ』


 それなら――


「早く逃げて!」


 炎司は、背後にいる文子に向かって叫んだ。


「俺がいる限りきみは襲われることはない。だから早くここから逃げるんだ!」


 じりじりと後ろに押されるのを堪えつつ、背後を確かめてみる。文子は少しだけ躊躇する素振りを見せたのちに、ぱたぱたと走り出した。その姿はすぐに夜の闇に紛れて見えなくなる。


 本当によかったのだろうか? と少しだけ自分の判断に対し疑問が生まれた。こちらの世界では自分は文子の彼氏なのだ。こんなことでよかったのだろうか?


『いや、それでいい』


 自分の判断に狂いはなかったのか迷いがあった炎司に対し、ノヴァが声を響かせる。


『いまの状態でお前の一緒にいるのは危険だ。無用な被害を避けるのであればお前の判断は正しい。


 それに、あの娘にも一応マークはつけておいた。いまの状態で〈裏側の住人〉を認識できる娘だ。なにかあるかもしれんからな』


 炎司は両腕に溜めた炎の力を一気に放出する。瞬間、あたりが轟音と閃光に満たされた。巨大クモ男は弾き飛ばされ、壁に張り付いていた。ダメージを負っているようには見えない。


 追い打ちをかけよう。そう思って足を動かそうとしたとき――


 足がなにかによって固められていることに気づく。そちらに目を向けてみると、左足になにかねばねばしたものがまとわりついていた。それは、炎司の足と地面を溶接したかのように固めている。思い切り引っ張ってもまったくびくともしない。


 どうする――炎司は思いがけない攻撃を食らって恐慌に陥りかける。


 こちらが恐慌に陥りかけていることを察知しているのか、壁に張り付いていた『裏側の住人』がこちらに飛びかかってきた。


『なにをやっている。そのくらい炎で燃やせ!』


 と、ノヴァの怒号が聞こえてきて、恐慌に襲われかけていた炎司はぎりぎりで立ち戻った。固められている足を含めた全身に炎を放出し、飛びかかってくる『裏側の住人』の攻撃を防ぎつつ、固められた足の拘束を解いた。いきなり多くの力を放出してしまったせいか、炎司はその場に膝をついた。『裏側の住人』は、またしてもダメージを負っているようには見えなかった。恐らく、こちらが放出する爆風をすんでのところで避けたのだろう。なんという運動性能なのか。炎司は歯噛みするしかない。


『よく見ろ』


 息を整えながら、炎司はノヴァの言葉に耳を傾ける。


『上半身は人型で目立つが、下半身にも頭がある。お前の足を固めた糸はあの下半身の頭が吐いたのだろう。人型の方が本体だろうが、下半身もある程度別に動けるのだろう。気をつけろ』


 なんてデタラメなヤツだ。炎司は心の中でそう吐き捨てた。


 しかし、吐き捨てようがなにをしようが、いま戦っている『裏側の住人』が頭を二つ持っている現実は変わることはない。


「――――」


『裏側の住人』は醜悪な唸り声をあげる。それから、下半身の頭がなにかを吐いてきた。炎司は反射的にそれを防御したが、腕に細かい欠片のようなものが大量に突き刺さっていた。鋭い痛みが広がる。どうやら、先ほど地面と足を接着した糸を固めて攻撃に使ってきたらしい。


 炎司は両腕に突き刺さった大量の破片を吹き飛ばし、立ち上がって『裏側の住人』に突撃する。『裏側の住人』は散弾銃の如く固めた破片を炎司に向かって飛ばしてきた。炎司はその破片を防御し回避し、ときには受け、『裏側の住人』との距離を縮めていく。距離が縮まるたびに、全身を細かく切り刻まれるような痛みが走った。


 それでも、炎司は止まらない。


 多少の傷を負ったところで死なないことを自覚したからだろう。炎司は距離を詰め、自分の手足が届く距離にまで『裏側の住人』に接近した。人型をした上半身に向かって渾身の一撃を放つ。


 だが、炎司の放った一撃は下半身の顔が吐いた糸にとって直前で妨害された。真正面からねばついた糸を吐きかけられた炎司は動きが完全に止まってしまう。さっきのように糸を燃やして吹き飛ばさなくてはと思ったが、それよりも『裏側の住人』が先んじていた。


『裏側の住人』は禍々しさすら感じられる鋭い爪で炎司に切りかかった。糸を浴びて全身を固められていた炎司は当然それを回避することはできなかった。肘あたりから先の腕の感覚が消失する。視界のほとんどは糸によって阻まれていたが、自分の腕がヤツによって切り落とされたことをすぐに理解した。


 再び、炎を全身から放出してまとわりついた糸を吹き飛ばした。それと同時に、消失していた肘から先の感触が戻ってくる。切り落とされる前と一切変わらず再生した腕は動いた。もはや炎司は、この道理を超えた再生力に驚かなくなっていた。


『裏側の住人』は、切り落とした炎司の腕を持っていた。ヤツはその腕を自分の口に放り込んで、ばりばりと音を立てながら捕食する。満足そうに微笑んでいるように思えた。


 炎司の腕を捕食し終えた瞬間、『裏側の住人』の存在感が確かに強くなるのが感じられた。存在感が強まると同時に、ヤツが持つ禍々しさも増大する。


「――――」


 どの言語とも似ていない叫びが聞こえる。自身の存在感が強まったことに歓喜しているのだろうか?


 ――どうする?


 ヤツはいままでの個体と同じようにはいかない。


 ――なにか手はないのか?


 ゆっくりと炎司を侵食するのは絶望という感情。


 どうにかして、下半身の頭を潰さなければ。接近したところで、先ほどと同じようにやられるのがオチだ。


 ――思い出せ。


 そこで聞こえてきたのは、どこかで聞いた覚えのある声だった。


 ――思い出せ火村炎司。お前は、あの程度の敵に苦戦するほど弱くない。お前にはあるはずだ。力が。そして、いままで同じように戦ってきた者たちの経験が。


 その声は確信を持っている。炎司が敗北することなど微塵も考えていない声だった。


「――――」


『裏側の住人』はこちらが動きを止めているのを見定めて、炎司に向かって突撃してくる。下半身の頭から散弾銃のように固まった糸を吐き出しながら。


 チープな音を立てて吐き出される糸に身体のあらゆる部分を切り裂かれながら、炎司は――


 思い出す。

 自分の奥深くにあるはずの、自分のものではないはずの記憶を。


 思い出せ。


 深く、深く、深く、もっと深く。まだ思い出していないことがあるはずだ。それを思い出せ。


 世界の動きがすべて遅くなったような気がした。『裏側の住人』との距離はまだ六メートルほどもある。


『裏側の住人』は下半身から糸を吐いてきた。これは、先ほどまで吐いていた散弾とは違う。こちらの動きを奪うためのものであると直感した。


 炎司はそれを身体を反らして回避したのち、地面を蹴りこむとともに炎を放出して一気に接近する。


 ヤツの糸は強度こそ高いが燃えやすい。


 ならば――

 こうすればいい。


 炎司は全身に炎を纏わせる。いままで攻撃を防ぐときにやったときのように瞬間的にではなく、その身を生きた炎のごとく変化させ、突撃した。


 身に纏った炎は、『裏側の住人』が吐き出す糸をことごとく防いでくれた。その身を炎のそのもの同然にした炎司は、彗星のごとく『裏側の住人』に接近し――


 至近距離で身に纏っていたすべての炎を『裏側の住人』に解き放って――


 その青き炎はクモの下半身と人型の上半身を持つ『裏側の住人』を、その痕跡を一切残すことなくすべてを焼き尽くした。

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