第11話 戦いを終えて
誰かが戦っている。
戦っている相手はあのモザイクの塊『裏側の住人』だ。
戦っているのは、当然自分ではない。自分はその光景を俯瞰しているからだ。周囲に広がっている風景もまったく見慣れないものでもあった。たぶんそれは、ここではないどこかの時代のどこかの国なのだろう。地球というのは、人間にとってはあまりにも広すぎるから。
『裏側の住人』と戦っているその誰かはとてもすさまじかった。青い炎を周囲に迸らせ、一撃で『裏側の住人』を撃滅し、その屍を積み上げていく。まさに修羅のような戦いぶりだ。たった二体を倒すのにあれほど苦労した自分とは大違いである。
その光景を眺めながら、
「できる」
『裏側の住人』を殲滅し、悠然と佇んでいた誰かがこちらを向いてそんなことを話しかけてくる。筋骨隆々とした、まさに戦うために生まれたといってもいいくらい力強い男だった。
「わたしもかつてはきみと同じだった。戦うことを怖れ、力もろくに使えなかった」
彼は、明らかにこちらに対して言葉を投げかけていた。そんなことあり得ないはずなのに、何故かそれを普通に受け入れている自分がいる。
「いや、きみよりもひどかったかもしれない。わたしが最初に『裏側の住人』と戦ったときはあまりにも怖くて漏らしてしまったからな。彼女にも汚いと罵られたよ。いやまったく、いま考えると恥ずかしい限りだがね。まあ、そうならなかったきみは間違いなくわたしより優れているよ」
彼の低く、戦うための男の声は少しだけ恥ずかしそうにしていた。そんな反応を見て、彼が嘘を言っているわけではないのだと炎司は直感する。
そうなのだろうか。こんな強そうな男から言われても、あまり信じられない。
「これからきみに課せられる戦いは過酷だ。それは間違いない。
だが、彼女を――きみはノヴァと呼んでいるのだったな。ノヴァを信じれば必ず生き延びて戦いきれる。彼女を信じろ。わたしにだってできたんだから、きみにだってできるさ」
そう言われても、やっぱり自信はなかった。『裏側の住人』とどれだけ間、戦うことになるのかわからないけれど、いま目の前で語りかけている彼のように強くなれるとはやはり思えなかった。
「思い出すんだ」
弱気に襲われる炎司を励ますように彼は言う。
「昨日の戦いで、きみはなにかつかめそうだっただろう? 我々には『裏側の住人』と戦うために様々な記憶が焼きつけられている。その遥かな記憶を思い出せばいい。それさえできればきみは一流の戦士になれる」
それじゃ、そろそろ時間だ。またな、なんてことを彼は言って、光とともに消えていった。炎司は見知らぬ場所に一人だけ取り残される。
思い出す、か。
一体、なにを思い出せばいいのだろう。
思い出したら、あの男のようになれるのだろうか? 強くなりたいわけではないけれど、生きてもとの世界に戻ることを考えるのであれば強くなるしか他に道はないのは確実だ。
でも、どうやって?
なにかつかめそうだったのは事実だけど、それでもまだよくわからない。実感が持てない。自分を確かなものだと信じられる確証が持てない。
結局、答えは得られないまま――
「…………」
目を覚ました炎司は、先ほど見たやけにリアルな夢のことを思い出した。
あの夢は一体なんだったのだろう? 自分にとって都合のいい幻影だったのか、それとも――
いや、考えても仕方ないか。あれがどんなものであったとしても、夢は夢でしかない。大事なのは現実の方だ。
そこまで考えたところで、炎司は自分が昨日の服装のまま寝ていたことに気がついた。自宅アパートまで帰ってきたことは覚えているけれど、そこから先の記憶がまったくない。たぶん、帰ってすぐそのまま寝てしまったのだろう。
ふと気になって、時間を確かめてみる。時刻は十二時を回ったところ。今日は一限から授業を入れていたはずなので、こんな時間に起きたということは当然サボりである。
でも、いいか。炎司はすぐに結論づけた。こちらの世界の自分――吉田何某も、元の自分と同じく、ちゃんと単位は取っているようだし、一日くらいサボっても問題ないはずだ。
ノヴァはどこにいるんだろう、と思ったけれど、いままでの様子からして、なにかあればすぐこちらに話しかけてくるだろう。いまは昼だし、なにかが起こっていないはずだ。
「シャワーでも浴びるか」
昨日、帰ってきてそのまま寝てしまったから、シャワーなんて浴びていないだろう。それに、こんなボロボロの服のままというのはよろしくない。
炎司はカラーボックスに入れてった下着と服を取り出して風呂場へと向かう。
脱衣所で服を脱いで、ボロボロの服はもう着れそうにないのでゴミ箱へ。それから脱衣所から中に入ってすぐシャワーを出した。少しぬるい温度がとても心地いい。シャワーを浴びながら、自分の身体を確かめてみる。
そこには、まだうっすらと傷跡が残っていた。腹を刺された傷、手首を切り落とされた時の傷――それ以外にも傷跡らしきものが無数にあった。
やはり、自分があんな化物と戦ったのは事実なのだと改めてそれが実感できた。しかし、あれだけの傷を負っていたのにも関わらず、痛みは残っておらず、シャワーも沁みることはない。それは、不思議というより恐ろしさを感じるものだった。
自分はこれからどうなるのだろう? シャワーを浴びながらそんなことを考える。
自分は二度の戦いに勝った。それは疑いようもなく事実だ。
だが三度目もうまくいくのだろうか? 昨日の戦いは、たまたま運がよかったのではないか? そう思えてしまう。
いや、そんな弱気では駄目だ。炎司は首を振って、不意に襲いかかってきた弱気を振り払おうとする。
できなければ、自分は元の世界には戻れないのだ。
そのためには、なにが必要だ?
自分は生き延びていくために必要なこと――
それは――
思い出せ。
ノヴァからも、夢に出てきたあの男からも言われた言葉が頭に浮かび上がってくる。
思い出せ。そんなことを言われても一体なにを思い出せばいいのだろう。確かに、二度目の戦いの時、なにかつかめそうだったのは事実だ。
だけど――その『なにか』をつかむまえに炎司は敵を倒してしまった。
もう一度戦ったら、それをつかめるのだろうか?
考えてみたけれど、やっぱりよくわからなかった。
それから頭と身体を入念に洗ったのち、炎司は風呂場を出て、脱衣所で新しい服と下着に着替える。
脱衣所を出ると――
突如としてインターホンが鳴り響いた。
こんな時間に誰だろう。
今日は授業があるから、吉田何某もこんな時間に配達を頼まないと思うが、セールスの類だろうか。扉を開ける前に、覗き穴から誰がきたのか確かめてみると――
そこにいたのは、金元文子であった。
どうして彼女が? と思ったものの、吉田何某と文子は付き合っているのだ。アポなしで相手が訪問してくることもあるだろう。なにしろ今日は授業をサボってしまったし。
無視するのも悪いなと思ったので、タオルで髪の毛を拭きながら、炎司は玄関に向かって扉を開ける。
「どうしたの?」
炎司はできるだけ平静に言葉を紡いだ。
「その、えっと、今日大学に来てなかったから……どうしたのかと思って」
「昨日、夜更かししてたら寝坊しちゃってさ。まあ、風邪とかは引いてないから心配しないでよ」
そっか、と歯切れ悪い感じで言う文子。その調子を見て、なにかまずいことをしてしまったか? と不安に思う炎司。文子に視線を向けると、目が合ったものの、すぐに逸らされてしまった。
「あの、えっと、ごめん。今日はそれだけ! じゃあ、また明日ね。明日はサボっちゃ駄目だよ」
早口でそう言って文子はすぐに離れていってしまった。
……なにかまずいことをしただろうかと炎司は再び思う。しかし、思い当たる節がまったくなくて――
「まあいいか。気にしても仕方ない。そりゃよく知ってる相手が別人になってたら、ああいう態度にもなるよな」
そう一人ごちで扉を閉めた。
『なんだ。痴話喧嘩は終わりか?』
不意に響くノヴァの声。
突然聞こえてきても、まったく驚かなくなってしまった。
「痴話喧嘩じゃないよ。で、どうかしたの? また行くのか?」
『いや、行くのは夜だけだ。いまはできるだけしっかり休んでおけ。今日も行くぞ』
「今日も……」
『嫌か?』
「そりゃ……嫌じゃないかって言われたら嘘になるけどさ。戦わなきゃもとに戻れないんだから戦うしかないじゃん。死にたくないし、ちゃんとやるよ」
『……そうか。ならいい』
どこか歯の奥になにかが挟まったような言い方をするノヴァが少し気になったけれど、炎司はなにも言わなかった。
休め、と言われてもぶっ続けで十時間以上寝てしまったため、いまはまったく眠さもないし、疲れも残っていない。どうしようかと思ってテレビをつけると――
やっていたのはお昼の情報番組。バラエティ系ではなく、社会的な出来事を扱っているニュースに近い番組だ。
そこでは、いま黒羽市で起こっている謎の急死事件が取り上げられていた。
急死事件。自分がいた黒羽市では起こっていなかった事件。これは、一体なんなのだろう。
気にはなったものの、すぐにその特集は終わってしまったので、別の番組にチャンネルを回して、炎司はベッドに寝転がった。
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