二人で街へ

 リシュリオルが異界の旅の話を終えると、シュナスェールは「寝室の場所を教えます」と言って、今は使われていないらしい空き部屋まで案内してくれた。少し狭い部屋だったが、寝心地が良さそうな、ふかふかのベッドが用意されており、眠るだけなら最適な空間であった。


 立て続けに色々な事が起こりすぎて、非常に疲れていたので、直ぐに眠りにつこうとした。だが、ずっと影の中に潜んでいた筈の精霊達がいきなり現れ、ぎゃあぎゃあと喚き始める。


「あの女、何者なんだ? 確実に人間ではないぞ」

「ええ、尋常ではない力を感じます。最強の精霊と謳われた私が、こんな言葉を口にするのは情けないですが、全く勝てる気がしない。きっと神か何かの類ですよ、あれは」


 いつもは自信満々な精霊達が珍しく怯えている。彼らの話すシュナスェールの正体についての憶測も興味深かったが、疲れ果てているリシュリオルにとっては、眠りを妨げるだけの鬱陶しい小話に過ぎなかった。


「うるさい、静かにしろ」

「リシュ、今すぐラフーリオンさんを連れてここから逃げましょう。食べられてしまいますよ」

「そうだ。直ぐに逃げろ。それがいい」


 中々静まらない精霊達に辟易していると、急に部屋の扉が開いた。精霊達はその音を聞いて、直ぐにリシュリオルの影の中に隠れた。扉から現れたのはシュナスェールだった。


「リシュリオル、牧場の朝は早いです。しっかり眠っておかないと身体が持ちませんよ」

「……はい」


 以降、その夜に精霊達が現れる事はなかった。おかげで、リシュリオルはぐっすりと眠る事が出来た。




 翌日、リシュリオルが目を覚ましたのは真昼だった。リビングに向かうと、ラフーリオンとシュナスェールが昼食を取っていた。


「やっと起きたのか」ラフーリオンが呆れたように言った。

「うん、おはよう」

「……おはようございます。もう昼ですが」シュナスェールはなんだか不機嫌そうだった。フォークを持つ左手の薬指には、銀色の指輪が光っているのが見えた。

「……すみません」弁解の余地もなく、リシュリオルは平謝りした。


 二人がかりで何度も起こそうとしたらしいが、リシュリオルは何も覚えていなかった。余程疲れていたのだろう。


「相変わらず、起きられないんだな」

「昨日は特に疲れてたんだと思う。色々ありすぎた」

「まあ、いいか。……これから街へ行く。お前も一緒に来い」

「分かった」


 昼食後、リシュリオルはラフーリオンと共に街に向かった。シュナスェールは家畜の世話をする為、牧場に残った。


「街には何をしに行くんだ?」リシュリオルは牧場から街へ向かう道中、ラフーリオンに尋ねた。

「以前、お前も世話になった人の所だ。あと、お前の服をまた繕ってやろうと思ってな。ぼろぼろだし。だから、その為の生地を買いに行く」

「服を? ……ありがとう」

「お前に礼を言われるのは、新鮮だな」

「はは……。最近、似たような事をよく言われる」


 旧知の人間から見た自分の印象が、どれ程酷い物なのか思い浮かべ、リシュリオルは乾いた笑い声を上げた。


 牧場から離れ、市街地から伸びる石畳の街道に入ると、精霊達が昨晩のように喚き出した。


「さあ、この機会を狙って、彼女から逃げましょう!」アリゼルがリシュリオルの右の袖を引っ張る。

「そうだ。あの女に何かされる前にここから離れろ!」レグリスは左の袖を引っ張った。

「なんなんだよ、そんなにあの人が怖いのか?」精霊達の情けない怯えっぷりに、リシュリオルはほとほと呆れていた。


「あのアリゼルがこんなに怯えるなんて、やっぱりシュナさんは只者じゃないな」ラフーリオンが可笑しそうに笑う。


「一体何者なんだ? シュナスェールさんは」

「さあ? 俺がいくら聞いても教えてくれない。俺みたいなのを導く役割をしてる事と、未亡人って事しか知らない」

「未亡人? まさか手を出したりしてないよな、ラフーリオン」

「あのなぁ、お前が男だったら、あの人に何かする気が起きるか?」眉をひそめながら、ラフーリオンは言った。

「いやぁ……、起きないと思う……」


 想像するだけで、背筋が凍った。何をされるか分からない。下手な事をしたら、腕じゃなく首をへし折られてしまいそうだ。


「でも、あんな美人と一緒に牧場生活をしてるんだろ? イルシュエッタが聞いたら、何て言うか……」

「なんで、その名前が出てくるんだ?」ラフーリオンは不可思議そうに首を傾げる。

「……気付いてなかったのか。……可哀想に、イルシュエッタ……」


 リシュリオルはこの場にいない、でも、きっと何処かにいる筈のイルシュエッタの事を憐れんだ。




 他愛の無い話をしながら、街道を歩いている内に、街に辿り着いた。


 リシュリオルはラフーリオンの後を追い、彼の言う『世話になった人』の元へ向かった。


 しばらく歩いていると、見覚えのある通りに差し掛かる。ラフーリオンが立ち止まったのは、レンガ造りの一軒家だった。病院の記号が扉に描かれている。


「そうか、ここは……」


 リシュリオルは、この病院を営む夫婦にラフーリオンの事を助けてもらった事を思い出した。


「思い出したみたいだな。今も街に来る度、牧場の物をお裾分けしに来るんだ」そう言いながら、ラフーリオンは玄関のベルを鳴らした。


 しばらくすると、一人の男性が出てくる。この病院を営む夫婦の、夫の方だった。以前に会った時と殆ど変わっていないように見える。


「こんにちは。いつもの奴です」挨拶をしながら、ラフーリオンが数種類の乳製品の入ったカゴを手渡した。

「こんにちは、ラフーリオンくん。いつもありがとう。……おや、そちらの子はもしかして」男性の視線がリシュリオルに向く。

「お久しぶりです。あの時は本当にお世話になりました」

「ははは、困った時はお互い様さ。気にしなくていいよ。……ああ、そういえば、患者さんからハーブティーをもらったんだ。よかったら、牧場でシュナスェールさんと一緒に飲んでくれよ」

「ありがとうございます。そうさせてもらいます」


 ラフーリオンとリシュリオルは、ハーブティーの入った紙袋を受け取ると、男性に礼を告げて、病院を離れた。


「あの夫婦からは色々と学んだ。それを活かすなら、このハーブティーがただの物じゃないって事が分かる」ラフーリオンはそう言って、ハーブティーの入った紙袋をリシュリオルの前にかざす。袋越しに漏れるハーブの清涼な香りが鼻腔をくすぐった。

「よく分からないんだが……」

「このハーブティーは、人の善意が作る、俺達が生きていく為に必要な流れの一つなんだ。そして、その流れは止めてはならない。交差したり、一時淀んだりするのは問題ないが、完全な停止は何もかもを終わらせてしまう」

「……やっぱり分からない」

「いつか分かる。……さあ、お前の服の生地を探しに行こう」


 病院を後にして、二人は街の生地屋に向かった。ラフーリオン曰く、この街の生地屋はそこらの専門店とは格が違うらしい。




「リシュはどんな服が欲しいとかあるのか?」ラフーリオンは生地屋に入るなり、聞いてきた。

「じゃあ、この外套を新しくしてくれ」リシュリオルはラフーリオンから貰った外套の端を掴んで言った。

「別にいいが……、それだけでいいのか?」

「いい。本当は外套だって自分で作れるし」

「そうだったのか。じゃあなんで、そんなぼろぼろの恰好のままでいたんだ?」

「そこまで酷いか? この位ならまだまだ着られるだろ」


 自分が来ている服を見直す。少し泥や砂埃が付いてしまっているが、旅人ならこの程度の汚れは気にしないだろう。大事な式典に参列する訳でもないのだ。


「いや、着替えろ。酷いから。お前の姿を見た瞬間、直ぐに全ての服を取り替えてやろうと思っていた」

「……そういう所、結構気にするよな。ラフーリオンは」


 事実、ラフーリオンと共に旅をしていた時、リシュリオルの服が汚れた時は、直ぐに着替えるようにと、促された記憶がある。


「ただの真っ白い外套を作ってもつまらんな。沢山装飾を付けてやる」


 ラフーリオンが店内に置かれた派手な装飾品に手を触れる。やけに機嫌が良く、子供のようにはしゃいでいた。


「必要無い。そんなの鬱陶しいだけだ」

「なら、金で刺繍をしてやる。俺の技術ならどんな物でも縫ってやるぞ」

「じゃあ、それでいいよ。でも、あんまり目立つのは止めてくれ」


 リシュリオルの素っ気ない返事を聞いたラフーリオンはいきなり大きな笑い声を上げた。


「なんだよ……」突然笑い出したラフーリオンに訝しげな視線を送るリシュリオル。

「いや、俺に似てきたなぁと思って。鬱陶しい装飾は要らないとか、目立たないようにとか、そういうのは決まって俺が言う言葉だっただろ」

「確かに……。でも、消極的で弱腰のお前に似てるなんて言われるのは心外だ」

「いや、似てきてる。昨日の旅の話を聞た限りじゃ、お前の言動は確実に俺に近づいてる」

「ちっ」リシュリオルはラフーリオンに背を向けながら、舌打ちした。

「似てる似てる、ははは」


 二人はその生地屋で、最高級の白布と金糸、そして、邪魔にならない程度の装飾品を買った。ラフーリオンが言っていた通り、この店は『格』が違った。金糸を平然と売っている店など普通は無い。


 二人は買い物を済ませると、そそくさと店を出た。ラフーリオンは最後まで、リシュリオルの事を小馬鹿にしながら笑っていた。

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