第112話 騒々しい夜

 様々な面で波乱含みの合同レクリエーションを終えて、更に邪教徒による襲撃を退けたアトラス学院の一同。そんな彼らはドライらの護衛の下、なんとか無事に再度のアトラス学院にまで帰還の途についていた。というわけで、流石に襲撃も退けた後は軍の仕事、とドライ達は急ぎ撤退する事になっていた。


「時間……18時49分。アウローラ家では19時の夕食……」

「「「……」」」


 ギリギリセーフ。ドライ以下、今回の任務で出ていた彼女の腹心達は揃って時計を見て強く頷き合う。基本的な話として、彼女らは謂わばアレクシアの好き勝手の被害者達と言っても過言ではない。

 ツヴァイも彼女のそのままの意味での恐ろしさに怯えているのであるが、彼女らは全員それとは別のある種の恐ろしさにおびえていたのであった。というわけで、メイド一同は間に合った事に安堵しつつ、屋敷の扉を開く。そんな扉の先では、主人たるアレクシアが一同を待っていた。


「おかえりー。まだお夕食の時間には、少し早いわね」

「只今戻りました……ええ、間に合う様に動いたので」

「はい、お見事……じゃあ、皆着替えてらっしゃい」

「はい」


 どうやら流石にここで思わぬ伏兵に遭う事はなかったらしい。ドライは内心でここで何かの気まぐれに遭うのでは、と思っていたがそういう事もなかったようだ。

 というわけで、彼女と共に邪教徒との戦いに赴いたメイド達は着替えていた隊服からメイド服に着替えるべく、一度各々の個室へと戻る事にする。が、そこで事件は起きる事になった。


「……」


 やられた。完全に油断していた。ドライは置いておいた自分の着替えがあった場所に置かれていた自分のいつもの物ではないメイド服を見て、何故アレクシアがあの場に立っていたかを理解する。

 と、まるでそんな彼女の停止をわかっていたかの様なタイミングで、部屋の内線が鳴り響く。そうしてたっぷり数秒。呼吸を整え、ドライは内線に応ずると同時に相手が何かを発するより前に、口を開いた。


「……アレクシア様!」

『なーにー?』

「なーにー、ではございません! なんですか、これは! この……この、明らかに胸の谷間丸出しのメイド服は!」

『メイド服』


 そうですが。ドライは見たままを言えばそうとしか言えないメイド服を見て、さも平然とうそぶいたアレクシアに思わず呆気にとられる。

 単にエロティックなメイド服、というだけでメイド服はメイド服である。無論、これを本職のメイド達が見てメイド服だ、と言い切ってくれるかは話は別だろうが。


「そういう事ではありません……何故こんなものが」

『えー。だって、皆一日の仕事を殆ど終わらせたでしょ? なら汚れてるじゃない?』

「それで新しい物を出したら洗い物が増えるではないですか!」

『あ、そこなのね』


 まさかその返答が返ってくるとは。さしものアレクシアもドライのこの反応は予想出来なかったらしい。今度は彼女の方が思わず呆気にとられていた。というわけで、少し笑いながら彼女がドライへ告げる。


『それなら安心して頂戴……全部私が洗っといたから』

「なんでそんな事にばかり貴方は本気なのですか……」


 おそらく本当にしているだろう。それも並のメイドなら敵わないぐらいに見事な形で。ドライはそんな未来が見えればこそ、この無駄な主人の無駄な才能にただただ呆れ果てるしかなかった。


『だって着てほしかったんだもん』

「だもん、じゃありません……可愛こぶっても通用しませんから」

『えー……まぁ、早く着なさいな』

「着ませんよ!」

『良くわかったわね……』


 一応、二人は単に話しているだけである。なので本来はアレクシアが来るという意味ではなく着用する、と言っているとはわからないはずだ。だというのにドライはアレクシアがこちらの意味で言っていると理解出来たらしい。これに、ドライが盛大にため息を吐いた。


「流石に百年も一緒に居ればわかります」

『あら、嬉しい』

「はぁ……」


 できればこっちの気持ちも汲んでくれないだろうか。おそらく完全にこちらの気持ちなぞお見通しなアレクシアであるが、それでも彼女は唯我独尊我が道を行くだ。斟酌なぞしてくれた事は滅多になかった。

 というわけで、そんな彼女とのやり取りも終えてドライは内線を切ると、アレクシアの趣味満載で拵えられたメイド服を横に置いて、新しいメイド服をクローゼットから引っ張り出す。が、ここで彼女は主人の本気度を目の当たりにする事になった。


「アレクシア様!?」

『なーにー?』


 自身の怒鳴り声に、アレクシアのニヤニヤとした笑いが映し出される。完全にわかっている様子だった。


「全部変えたんですか!?」

『制服として制式採用しよっかな、って』

「何を考えてるんですか!? 絶対に認めませんからね!」

『えー……冬とか良いと思うんだけどなー……手とか突っ込んだら暖かそうだし。ツヴァイはそこらほら……ねぇ?』

「尚更何を考えてるんですか! というか、こっちは暖かくないですよね!?」


 流石にいくら同性だからと胸の谷間に手を突っ込んで良いわけがない。まぁ、それもお構いなしに突っ込むのがアレクシアである。ドライが声を荒げるのも無理のない事であった。


『だーいじょうぶよ。そこらきちんと考えて……ほら!』

「……何をやってるんですか、貴方は……」


 まばゆいばかりの笑顔でメイド服のデザインが描かれた資料を提示するアレクシアに、ドライはがっくりと肩を落とす。

 資料によると、冬は厚手の布が使われていたり、一部裏起毛になっていたりとなにげに今のメイド服よりも遥かに高性能であった。

 というわけで、そんな一部の改良には流石にドライも心惹かれたようだ。若干真剣な目で今度制服の改良を申請しようかな、と資料を見ていた。


「……」

『ちょっと良いでしょ』

「お、思ってません!」

『ほんとぉ?』

「絶対! ぜーったい見てません!」


 ニマニマと笑うアレクシアに、ドライは顔を真っ赤にしながら否定する。と、そんなドライであるが、唐突にくしゃみをした。


「くちゅん!」

『あらあら。随分可愛らしいくしゃみね……ま、冗談はさておいて。早く着替えなさいな』

「は、はぁ……って、だから着替えられないんですってば!」

『どしてよ』

「だから普通のメイド服は!?」


 口を尖らせるアレクシアに、ドライはアレクシアの趣味満載のメイド服を突っ返す。これに、アレクシアは為政者としての目を向けた。


『普通? 普通って何かしら。そもそもウチのメイド服って私の趣味満載なんだから、そもそもそれって普通? それは単に貴方が普通と思っているのであって、一般的には普通じゃないんじゃないかしら』

「え?」

『最初から貴方の着ていた服はメイド服っぽい何かであって、メイド服じゃないんじゃないかしら。なら、主人の意向で変更されてもおかしくないんじゃない?』

「え、そ、それはまぁ……」


 それを言われると返す言葉もない。ドライは畳み掛けるようなアレクシアの返答に、思わず目を泳がせる。そもそも本来アレクシアが主人で、この屋敷のそれ以外の全員は従者である。

 そしてこの屋敷の従者達の衣服を定めているのは、アレクシアその人だ。彼女が変更と言えば、それが絶対なのである。


『じゃあ、決まりね。ほら、はーやーくー』

「結局着せたいだけですよね!?」

『そうとも言う……ほら、はーやーくー。早くしないと皆にドライの子供の頃の写真ばら撒くぞー。主におねしょの写真とかよだれ塗れの寝顔とか』

「ちょっ!?」


 まさかのアレクシアの発言に、思わずドライは慌てふためく。実際、ドライは実はこの屋敷で育っている。そして育ての親が誰か、と言えば実はアレクシアなのである。なので本当に持っているのだから、たちが悪かった。


『なんですか、それ!?』

『見たい、超見たいです!』

『幾らで買えますか!?』

「貴方達!?」


 唐突に入り込んできた同僚達の声に、ドライが眦を上げる。どうやらすでにアレクシアの所に集合していたらしい。そんなメイド達の声に、アレクシアが問いかける。


『逆に幾らまでなら出せるかしら……じゃあ、100からスタート!』

『150!』

『200!』

「っ!」


 ヤバい。これは確実にアレクシア様が調子に乗って完全にコレクション秘蔵のお宝写真を大放出する流れだ。ドライは行き交う声にそれを察する。

 が、彼女が今着れる服はあのアレクシアの趣味満載のメイド服だけである。故に、彼女は選択するしかなかった。


「……えぇい、ままよ!」


 どうやらドライは自身の過去の写真と今の辱めを天秤にかけ、今辱めを受ける事を選択したらしい。是が非でも写真が大放出される事態だけは避けたかったようだ。そうして、五分。彼女はあっという間に着替えを終わらせ、彼女にはあるまじき着替えた軍服を脱ぎ捨ててまでして、食堂へと駆け抜けた。


「はぁ! はぁ!」

「あ、おかえりー」

「写真は!? オークションは!?」


 肩で息をしながら、ドライは鍋を囲むアレクシアへと問いかける。が、そんな彼女に対して、アレクシアと同じく鍋を囲むメイド達はどういうわけか視線を逸していた。


「……どうしたんですか、貴方達」

「……着たんですね」

「うわぁ……すご……」

「……しょ、しょうがないじゃないですか!?」


 当然であるが、この改良型か改悪型だかのメイド服を着ているのはドライだけである。故に扇情的なメイド服には同性であるメイド達にとっても若干恥ずかしかったらしい。そして同様にドライも恥ずかしかったようだ。

 と、そんな騒々しい場でも唯一アレクシアとの付き合いの長さから慣れきっていたツヴァイが、口を開いた。


「あ、お肉出来ました」

「わーい。あ、今日のおネギ、ちょっと太いわね」

「ちょっと良いネギを仕入れたそうです。明日、焼き葱はどうでしょう」

「良いわね。じゃあ、それで」

「はい」


 流石です、姉さん。この騒動の中でも一切動じずアレクシアへの配膳を行うツヴァイに、ドライは内心で尊敬を抱く。そんな彼女に、ツヴァイが念話をつなげた。


『……被害を受けたくなければ、さっさとシア様の注意を逸しなさい……そう、私は兄様の下で学びました』

『……はい』


 やっぱり苦労していたんだなぁ。ドライはツヴァイのどこか遠い所を見るような目に、そう理解する。まぁ、これで何度目の理解だ、と言われればそれまでである。そしてそんなツヴァイを起点として、夕食が開始される。


「ふぅ……食べた食べた。ツヴァイ、デザートはー?」

「今日のデザートは白玉を使ったデザートです……食べますか?」

「食べる食べる」


 ツヴァイの問いかけに、アレクシアは背筋を伸ばして頷いた。そうして一通りの食事が終わり後片付けが行われ、となり各自自室に戻り自由な時間を過ごす事になっていた。

 が、それはあくまでもツヴァイとドライの二人以外の話だった。彼女らはアレクシアの側近中の側近にして、血を分けた姉妹とさえ思われているほどの存在だ。故に基本的にこの二人はアレクシアと一緒に居た。


「ふぅ……良い日本酒ね」

「ええ……」

「何時も思うのですが、姉さんがお酒を飲んでいると少し背徳的な感じがしますね」

「言わないでください」


 ドライの指摘に対して、ツヴァイは少し恥ずかしげに拗ねる様にそっぽを剥く。改めて言うまでもない事であるが、ツヴァイはこれでも約二百歳だ。

 まだ二百歳までは届かないらしいが、それでも成人年齢――なおこの時代の成人年齢は18歳――は大きく上回っている。というわけで、そんなツヴァイの姿を見て、アレクシアがふと呟いた。


「丁度良いわよ。今以上になっちゃうと背徳感がなくなっちゃうから」

「「……」」

「な、何よ」

「「はぁ……」」


 姉妹からジト目で睨まれて、さすがのアレクシアも思わず気圧される。が、姉妹は何も言わず視線を逸らしてため息を吐いた。そんな二人に、アレクシアが口をとがらせた。


「何よー。色々とバリエーションは大切じゃないのよー」

「……はぁ。そういえばドライ。今日はどうでした?」

「今日……」

「違いますよ?」


 今日。その言葉の後にアレクシアに突っ返されたメイド服へと視線を向けたドライに、ツヴァイが一応の明言を行う。それに、ドライもなるほど、と頷いた。


「ああ、そっちですか……幸い、学生達に犠牲は出ませんでした。それだけは幸いでしょう」


 学生たちに。とどのつまり、それ以外には犠牲は出ていた。流石にアクアも疲弊した状態で不意打ちを受けては完全な対応は無理だったらしく、崩落に巻き込まれた者たちについては助けられなかったらしい。


「そうですか……学生達にけが人は?」

「そちらはある程度と重傷者は一人でした」

「その方は?」

「オーシャン家の方です。執事の方ですが……まぁ、オーシャン家なので問題は無いでしょう」


 ドライとてオーシャン家の事は知っている。なのでカインの怪我についても適切に処置がされるだろう、と不安視はしていなかった。と、そんな会話に気を取り直したアレクシアが口を挟んだ。


「そう……どの程度の怪我?」

「脇腹に深手を負ったみたいです。私が応急処置も済ませましたので、問題はないかと」

「そう。なら、怪我は大丈夫ね」

「はい」


 アレクシアの言葉に、ドライははっきりと請け負った。彼女自身、これでカインに後遺症を残るような怪我は無いだろう、と思っていた。と、それを受けてアレクシアがツヴァイへと問いかける。


「ツヴァイ……貴方の方のヨーロッパ行きの用意は?」

「あ、そちらはもう終わっています。流石にアレクセイも私には手を出しませんし……基本は問題無いかと」

黒騎士ブラックナイトも居るものね」

「あのような者を当てにするのはいけません。後で痛い目に遭う。兄様が何時も言っていました。確実に頼れる相手以外を計算に含めるな、と」

「あら、何度も何度も助けて貰ってるのに失礼ね」


 どこか不満げなツヴァイの返答に、アレクシアは楽しげに笑う。


「それでも、あの者が何者かわからない以上は信用出来ません。いざという時に裏切られては、対処が出来なくなります」

「そう? ピンチの時に来てくれてるから、裏切る事は無いと思うけどなー」

「そういう事ではありません。正体のわからない相手を100信頼できないというだけです」

「そ……まぁ、私は信頼して良いと思うわ、というだけよ。直に触れ合った貴方がそう思うのなら、それで良いのでしょう」


 ツヴァイの言葉に対して、アレクシアはそれで良しと認めておく。そうして、三人は今しばらくの間、家族の会話を繰り広げていく事になるのだった。


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