第109話 銀の犬

 アトラス学院への邪教徒達による襲撃が起きて少し。流石に世界中の高位高官の子息達が通う学院への襲撃とあって、ルイが発した報告はバス会社を通して自動的かつ早急に世界政府の中枢へともたらされる事になる。そしてそうなると必然、アレクシアにもまた即座の報告が上げられる事になっていた。


「そう……大変ね、あの子達も」

「どうしますか?」


 政府高官より寄せられた報告を取り次いだツヴァイが、アレクシアへと対応の是非を問う。流石に政府の高官達の中には自分達の子供が巻き込まれている者もおり、対応は全力かつ最速で動いていた。故にアレクシアへの連絡もこう動きます、という報告に近く、対応を求めている様子はなかった。


「どうもこうもないわ。別にそれについては放っておきなさいな。親の情を止める道理もなし。好きにさせてやりなさい」

「はい」


 別に対応してくれ、と言っているわけではないし、<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>を動かしてくれ、と言われているわけでもない。

 対応に動いている中には軍の高官も居る為、自分の所で私兵を抱えていたり、懇意にしている傭兵が居る所もあるのだ。

 こちらに迷惑を掛けない以上、アレクシアとしてみればどうでも良かった。とはいえ、それはそれとして、ドライとしてはそれで良いのかと思わなくもなかった。故にツヴァイが対応の是非を伝えに行く一方、彼女は一つ口にする。


「アレクシア様。ですが、それであればアレクシア様も動かれるべきなのでは」

「クラリスとアリシアの事?」

「はい……ヴィナス家はイギリスにありますから、本家が対応するまでには些か時間があるかと。その間、何かがあった場合に備え動いておいた方が良いかと」

「そうねぇ……」


 確かに、それは道理といえば道理だろう。アレクシアはドライの指摘にカップをソーサーにおいて少しだけ思索する。


「まぁ、それについてはそうとは言えるわね。ポーズだけでも、見せておくべきかしらね」

「かと」

「では、このまま私が行きましょうか」


 アレクシアの言葉に同意を示したドライに対して、丁度政府の高官達に自由に動いて良い許可を伝達したツヴァイが問いかける。これに、アレクシアは優雅に笑って、しかし首を振った。


「それはだめよ。貴方には別に仕事を任せているのだし。そちらの支度が終わったとしても、こっちに取り掛かるべきではないわね。あちらも、公的な仕事。それを軽視するのは、良い事ではないわね」

「……」


 それは確かに。アレクシアの指摘にツヴァイは無言で同意する。というわけで、それならとアレクシアはドライを見た。


「ドライ。貴方が行って頂戴な」

「言い出しっぺだから、ですか?」

「そういう事ね」


 自分の腹心中の腹心だからではなく、単に言い出したのが彼女だから。そんな理由である事をはっきりと名言したアレクシアに、ドライは若干だが微笑んだ。別にこの程度拒む道理はないし、邪教徒との戦いなぞ日常茶飯事で行っている事だ。拒む意味もなかった。


「かしこまりました。では、すぐに」

「はい、いってらっしゃい。夕ご飯までには戻ってきてね」

「そ、それはさすがに……」


 そもそも襲撃が起きた時点で夕刻だ。報告がすぐに行われても、夕食時までに帰れるとは思えない。それに、アレクシアが告げた。


「そう……なら、銀化して良いわ。夕食までには、戻ってらっしゃい」

「え?」

「銀化して良い」

「は、はぁ……」


 切り札を使って良いのであれば、それはそれで有り難いが。ドライはアレクシアの許可に逆に困惑を隠せないでいた。そしてそれはツヴァイも同様だった。故に彼女は妙に夕食までに戻る様に念押しするアレクシアへと、訝しげに問いかける。


「夕食に間に合わないとマズいんですか?」

「今日の晩ごはん、すき焼きなのよー。貴方が行くとあの子達も連れて行くだろうし……二人だけじゃお鍋が味気ないじゃない」

「「そんな理由ですか!?」」


 まさかの返答に、ツヴァイもドライも揃って声を荒げる。これに、アレクシアが口を尖らせた。


「だって鍋は皆で食べたいじゃない?」

「「え、えぇ……」」


 アレクシアらしいといえばアレクシアらしい理由だが。それで一切の躊躇いなく軍事機密にも匹敵する切り札を切らせる彼女に、ツヴァイもドライもドン引きだった。が、切り札を切らせてくれる、というのであればドライとしてはありがたかった。


「……はぁ。わかりました。銀化してさっさと終わらせて参ります。相手は邪教徒。万が一に切り札が使えるというのは有り難い事に違いはありません」

「でしょう? じゃあ、頑張って頂戴な」

「はい」


 せっかく切り札を使える様にしてくれたのだ。ならばドライとしてはアレクシアが翻意するより前に動いた方が得だと言えば、得だった。

 というわけで、彼女はアレクシアが翻意する前に、と足早に――夕食に間に合わないと何をされるかわかったものではない事もあったが――その場を後にして、ドライ達の救援へと向かう事になるのだった。




 さて、そういうわけで屋敷を出立したドライであるが、到着したトンネルの出入り口付近ではすでに軍の特殊部隊が崩落に巻き込まれなかった運営委員会への襲撃を行っていた邪教徒達と戦闘を繰り広げていた。


「……フレキ、ゲリ。あの雑兵共は貴方達に任せます。有り難い事に、銀化の許可も得ています。殲滅して構いません」

「「はっ」」


 どうやら相当な部隊を組織して、今回の襲撃を行っていたらしい。ドライは盛大にしかめっ面を浮かべながら、胡乱げに腹心二人に向けて指示を飛ばす。そうして二人が戦闘に乗り出した一方で、彼女は今回生徒会の役員達はトンネルの中だという事を聞いて連れてきていた転移術者を見る。


「ヤタ」

「はい」

「門の準備は?」

「すでに」


 ヤタと呼ばれた女性兵士が、ドライの言葉に一つ頷いた。なお、ヤタは八咫烏ヤタガラスのヤタで、コードネームが長いので略していた。

 というわけで、そんなヤタガラスは一つ頷くと、白銀の門を生み出す。『転移門ゲート』だ。別に黒でなければならないわけではなく、術者に応じて色は変わるのであった。


「さて……」


 早々に終わらせないとマズい。ドライは夕食までには戻る様に言われた事を思い出し、一度だけ時計を確認する。


「現在時刻……17時過ぎという所ですか。さっさと殲滅して救出を終えて、戻らないと……」

「……何、させられるんでしょう」

「……さっさと終わらせて戻りますよ。そうすれば、考えないで良い」

「はい」


 そうしましょう。ヤタガラスはドライの言葉にはっきりと頷いた。今回連れてきているのは、アレクシアの屋敷でメイド兼<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>の隊員として活動する者だ。

 事は急を要した為、即座に動かせる者を、となると屋敷のメイド達になってしまったのである。そしてそれ故、アレクシアも早く戻る様に告げていたのであった。


「私が突入後は門を閉じて構いません。内部の殲滅終了後、また連絡を送ります。その後、バスや被害者達の脱出出来る経路を確保。後は軍に任せなさい」

「はい……後、屋敷への門も準備しておきます」

「……そうしてください。19時がタイムリミットです」


 許された時間はおよそ一時間と少し。要救助者の救助を考えると、戦闘に掛けられる時間はさほどではなかった。さっさと行ってさっさと帰る。それに尽きた。

 というわけで、ドライは速攻を仕掛けると決めて、気合を入れた。すると、彼女の髪の留め具が外れ、その長い髪が神々しい白銀に輝く。


「……では、行きます」

「いってらっしゃいませ」


 白銀に輝く髪を棚引かせ、ドライは『転移門ゲート』を通り抜ける。すると、トンネルの内部の状況がすぐに確認出来た。


「何奴!」

「誰だ!」

「コードネーム・<<地獄の番犬ケルベロス>>……支援に参りました。敵は……あれですね」

「「「!?」」」


 軍の認識票を提示して、ドライは威圧的な従者達へと敵ではない旨を告げる。これに、従者達さえ仰天した。が、そんな従者達を横目に、ドライは即座に行動に入る。


「ぐっ」

「ごふっ……」

「な……に……?」


 一瞬で、ドライは三人の邪教徒を切り捨てる。そうして彼女は三人の邪教徒を切り捨てると、愛用の細剣の切っ先を邪教徒達が出入りする『転移門ゲート』へと向けた。


「はっ!」

「「「……」」」


 迸った白銀の閃光が黒い『転移門ゲート』を飲み込んで、更にはアクアの結界さえも侵食していた黒いモヤをも消し飛ばす。その有様に、邪教徒達も従者達も、身を守っていた生徒達さえも唖然となった。


「これは……っ! 白銀! 命弄びし者か!」

「総員、掛かれ! なんとしても奴を仕留めろ!」

「……有り難い」


 各所に散られて殲滅に手間取るより、自分目掛けて総攻撃された方が片付ける手間が省ける。自身を見るなり総攻撃を指示した邪教徒達に、ドライは薄く荒い笑みを浮かべる。そうして、数十人の邪教徒達が彼女を取り囲み、一斉に襲いかかった。


「「「!?」」」


 水も漏らさぬ包囲網で襲いかかった瞬間。邪教徒達が得たのは驚きだ。白銀の閃光が疾走ったと思った瞬間、包囲網の一角が消し飛んでいたのである。そうして、一角を一撃で消し飛ばしたドライが、優雅に礼を述べた。


「ありがとうございます。実は今日は些か時間が無いものでして……一箇所に集める手間が省けた」


 これぞ、地獄の番犬の名を冠せし猟犬。その圧倒的な戦闘力を見せつけながら、ドライは残る邪教徒達に死刑宣告を口にする。


「ぉおおおおおおおおおん!」


 狼にも似た声が、ドライの口から迸る。そうして、神々しいまでの輝きが彼女を包み、白銀の髪を更に輝かせる。その圧たるや、邪教徒達は揃って神を前にしたと同等の感覚を得る。


「……聖女アレクシアの名において。聖伐を開始します」


 しゃんっ。そんな音が、誰しもの耳に響く。そうして、ドライは一切の傷を負う事もなく、瞬く間に邪教徒達を殲滅していく事になるのだった。




 ドライの参戦から少し。ドライの参戦を彼女の遠吠えを聞いて察知したアレクセイの部下達が撤退した一方で、ルイとニコルの戦いはまだ続いていた。カインは撤退の事情が理解できず再度の襲撃を恐れて支援に入れていなかったのだが、ルイの結界にドライが介入し支援に入る事になっていた。


「ぐっ!」

「何者!」

「……後は、貴方達だけです。投降すれば良し。せねば、この場で消えて貰いましょう」


 背後からの一撃で邪教徒の一人を串刺しにしたドライが、串刺しにした一人を投げ飛ばしながら冷酷に告げる。そんな光景を見て、ルイもニコルもわずかに戦いの手を緩めた。


「……あれは」

「ドライ様ですね。銀化していらっしゃる事で若干分かりにくいかもしれませんが……」

「はぁ……」


 どうやら、自分達は助かったらしい。ルイは邪教徒の本隊による攻勢を魔術による障壁で防ぎながら、安堵した様に胸をなでおろす。そもそも邪教徒の本隊をたった一人で返り討ちにしてしまえるカインの実力がおかしいだけだ。


「にしても、あれが銀化。ドライさんやツヴァイさん、一部の<<神話の猟犬ヘル・ハウンド>>隊員にのみ授けられた身体強化……見るのは初めてだ」

「私もです……なんと神々しい」


 マントの様に白銀の髪を棚引かせるその姿は、物語に語られる戦乙女のようだった。特に邪教徒達が身に纏う黒い力の禍々しさとの対比となり、神々しさが際立っていた。そしてその戦闘力もまた、戦乙女の名に恥じぬものだった。


「「……え?」」


 ドライが来た事で自分達を無視し対峙が行われた後の一瞬。一瞬の対峙の後に両者が消えたかと思うと、次の瞬間に立っていたのはドライだけだった。

 何が起きたか、基本魔術師として後方支援を担うルイだけでなく、そんなルイを守るべく前線に立つニコルさえわからなかった。それほどの、まさしく神速であった。


「ふぅ……ご無事ですか?」

「え、あ、はい……」


 何が起きた。一切わからぬままに終わった戦いに、ルイはただ驚愕の中で頷く事しか出来なかった。その一方、ドライはルイの言葉に一つ頷いた。


「なら、良いのです。救助が遅れ申し訳ありません。外の殲滅もすでに終わっています。この空間を解いても大丈夫でしょう」

「あ……っ! そうだ! すいません。先にオーシャン家の従者の方が単身、敵を食い止めてくださっています。そちらの救援を」

「オーシャン家の従者……? それはもしや、カイン・カイさんですか?」


 現在オーシャン家の親族でアトラス学院に在籍しているのはアクアのみだ。それを知るドライはそれならカインだろう、と思ったらしい。それに、ルイが頷いた。


「はい……ご存知なのですか?」

「ええ……まぁ、彼なら大丈夫でしょう。一度、少しの故があり手合わせをしましたが……あの程度の戦士であれば、問題はないかと。何人でした?」

「最後に見た時には、五人でした」

「なら、尚更問題はないでしょう」


 あの程度の邪教徒に、マーカスにさえ圧勝してみせたカインが負ける道理はないだろう。ドライは彼の実力を思い出し、そう請け負った。とはいえ、それとて絶対というわけではない。故に彼女は即座にルイに申し出る。


「とはいえ、不足が無い可能性が無いわけではない。すぐに支援に向かいます。空間を」

「はい」


 ドライの要望に応じて、ルイが空間の拡大を制御して小さくする。そうして、手傷を受けて若干つらそうなカインと邪教徒達の死屍累々の姿が見える様になった。


「……これは……ドライさん」

「カインさん。お久しぶりです」

「ええ……っ」

「! 大丈夫ですか?」

「ええ……些か、手傷を」


 やはり脇腹を深く貫かれた挙げ句、そこへ蹴りを叩き込まれたのだ。若干だがカインの顔は青く、痛みに耐えている様子があった。そんな彼を見て、ドライは持ってきていた治療用のスプレーガンを取り出した。


「傷を。これを使います」

「ありがとうございます……っ」

「少し痛みと違和感がありますが、我慢してください」


 脇腹を見せたカインに、ドライはスプレーガンの銃口を向ける。この中には特殊な薬剤を塗布するナノマシンが含まれており、一時的な止血効果をもたらした後、自動的に失った肉の代用になってくれるのであった。そうして治療の最中、ドライは怪訝そうにカインへと問いかける。


「にしても……貴方ほどの猛者が手傷を負うとは。そこまでこちらには厄介な敵が居たのですか?」

「いえ……どうやら、更にルイ様を狙う傭兵が来たご様子でして。偶然、私が交戦する事に」

「なるほど。彼らにも困ったものです」


 どうやらどこかで状況を察知した企業に雇われたのだろう。この状況だ。ルイを拉致した所で、邪教徒の仕業にしてしまえる。ドライもカインと同じく、そう思ったようだ。そんな会話を聞いて、ルイが申し訳無さそうにカインへと感謝を示した。


「それは……申し訳ない。貴方が怪我を負うほどだ。私達では、不足の事態もあり得た。感謝します」

「いえ……私の側で良かったと言うべきでしょう。そちらもご無事で何よりです」


 ひとまず、学園側に目立った被害は無いと考えて良いのだろう。カインは同じく主力部隊と交戦していたルイとニコルの無事に安堵を示す。

 そうして、ドライの参戦により邪教徒達の襲撃は完全に沈黙する事となり、アトラス学院の一同はヤタガラスの生み出した『転移門ゲート』を通って崩落したトンネルからの生還する事になるのだった。

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