第67話 形のない襲撃

 数々の暗闇に隠れ事態が動く一方。そんな暗闇から離れて日常を生きていたカインとアクアであるが、そんな彼らが日常を歩む間でも事件は進行する。

 が、そんな事とはつゆ知らず、アクアとカインはクラリスの生徒会最後の一人を出迎える事になっていた。


「さて。今日も朝早くに集まってもらったわけであるが」


 今日は朝の挨拶活動という事で少し早めに集まる事になっていたのだが、この日だけはそれより少しだけ早めに集まっていた。理由は勿論、昨日の夕方の生徒会活動で言われていた最後の一人を出迎える為だ。そうして、クラリスは横にアクアの見知らぬ銀髪の少女を控えさせ少し楽しげに紹介を開始した。


「アンゲリーナ・ヴィノグラードヴァ。リーナとお呼びください」

「リーナ?」

「ああ。最後の一人はリーナだ」


 どうやらクラリスとアリシアの姉妹はリーナという銀髪の少女を最初から見知っていたらしい。が、アリシアの驚きから見て、元々はこのアトラス学院の生徒ではなかった可能性が高い様子だった。


「でもリーナはたしか……」

「一度ロシアの地に戻ったのですが……その後、色々とありまたこちらへ」

「色々……」


 何やら厄介な予感がする。リーナの返答にアリシアはどこか苦笑を交えおおよそ理解した、という様な顔を浮かべる。


「でも良かったわ。リーナも元気そうで」

「そちらもお元気そうで何よりです」

「お知り合い……なんですか?」


 親しげなリーナとアリシアに、リアーナが興味深げに問い掛ける。この様子なら元々アトラス学院の生徒だったが、何かしらの事情があったと考えるべきなのだろう。というわけで、アリシアが教えてくれた。


「元々初等部までは一緒だったのよ。その後、中等部に入って一年でちょっと色々とあってロシアに戻る事になって、そちらで暮らしてたのね。で」

「ゴールデン・ウィークに入ってから、となりましたがこちらに戻る事に。それでクラリス様にお話をお伝えした所、生徒会にどうだ、と」

「そういうわけでね。元々中等部でも一年生徒会に居てくれていたんだ。が、半年で色々とあって抜けざるを得なくてね。が、戻ってきたのでせっかくだから、と声を掛けたんだ」


 どうやら元々知り合いだった上、生徒会も手伝ってくれていたので声を掛けたらしい。逆にリーナもこれは渡りに船という所で、快諾したらしかった。


「まぁ、そういうわけなのでおそらくシュウジやアクアより業務はわかっているだろうが……久しぶりの生徒会だ。手助けしてやってくれ」

「はい」


 クラリスの指示に、アリシアが快諾を示す。そうして、全ての生徒会役員が揃った事で改めて朝の挨拶活動を開始する事になるのだった。



 さて。朝の挨拶活動から数時間。昼を過ぎた頃に、闇で蠢く何者かの魔の手の先端は彼らの所へまで、届く事になった。それは昼を過ぎて一つ目の授業も終わろうかという時の事であった。


「何だ?」

「表示がバグってる……?」

「先生。端末の表示が可怪しいんですけど……」


 幾ら高度な教育を受けている学生達とて、所詮は学生だ。故にいきなり表示がバグり始めた事態に困惑を隠せないでいた。それに対して、丁度授業を担当していた教師はやはり慣れた様なものだった。


「ふむ……何かシステムトラブルかもしれん。確認しよう」


 兎にも角にも個人端末が使えなければ授業も何もあったものではない。このご時世、物理的なノートを取るのはよほどの好き者だけだ。

 勿論、教師の授業もこの時代では個人端末に配信される。わざわざ席次第では見にくい黒板やホワイトボードを使う意味が無いからだ。なので実は教室で授業を受ける意味はないが、集団行動を学ぶ為にもこの形式だけは今もまだ続いていた。

 閑話休題。同じ様に授業を受けていたアクアであるが、そんな表示がバグった端末を見ながらアリシアへと問い掛ける。


「……よくある事なんですか?」

「無い……わね。勿論、数年に一度は起きてるけど……でもここまで酷いのは久しぶりかしら。ここまで酷いのだと前に起きたのはまだ私が初等部の頃……かしらね」


 どうやらアリシアにとっては数年に一度起きる程度の突発的なイベント扱いらしい。タンタンタン、とどこか遊ぶ様に端末のコンソールを叩いていた。

 が、当然何度やっても端末はエラーを吐いたままで、何も反応はしてくれなかった。そうして、そんな端末を見ながら、アリシアは少し楽しげにおおよその見込みを告げた。


「……だめね、これは。一時間二時間じゃ済まなさそう」

「ということは」

「そうね。午後の授業はこれでおしまい、じゃないかしら」


 流石にこれでは授業にならない。ノートも取れねば講義も受けられないのだ。というわけで、アリシアの予想は大当たりだっった。


「……はい、はい……わかりました。おーい、全員。聞いてくれ。本日の授業はこれで終わり。ホームルームも無しとの事だ」


 授業を担当していた教師がアリシアの想定した通りの内容を告げる。先程から何度か述べられている通り、現代では端末が無いと授業にならない。が、逆に端末さえあればどこでも授業を受けられる。

 なのでホームルームで伝えるべき事も普通に端末を介して伝えられる為、急いでホームルームをしなくても復旧次第そちらで重要事項を伝えれば良いだけの事だった。


「ああ、そうだ。一応これは伝えておかないといけないんだが……ヴィナスとオーシャン。二人は生徒会室に行く様に。中等部以上の生徒会役員には状況を把握してもらわないといけない、との学院長からのお言葉だ」

「「はい」」


 基本的にアトラス学院では学生自治が遵守されている。なのでよほどの事態が無い限りは生徒会が生徒達の統率を行う事になっており、その統率を担う為にもある程度の事情は知っておく必要があった。

 なのでこういう突発的なトラブルが起きた場合には生徒会役員が集まるのは何ら不思議の無い事で、アクアもアリシアも一切反論は無かった。というわけで二人はそれぞれの従者を待つ事になるわけであるが、やってきたその二人の様子はあまり良い物では無い様子だった。


「……カイン。何かありましたか?」

「お嬢様。詳しいお話は生徒会室にて。詳しくはクラリス様がお話になられるかと思われます」

「……」


 どうやら、何かよくない事態が起きたらしい。いや、そもそも現状でこんなトラブルが起きている事を考えれば、何かがあると考えて然るべきなのだろう。

 というわけで二人は少し足早に生徒会室に向かう事にしたわけであるが、そうして入った生徒会室ではやはり先んじて事情を聞いていたらしいクラリスが苦い顔だった。


「お姉さま」

「会長」

「ああ、二人共来たか……事情は聞いたか?」

「いえ、まだ何も。こちらで一緒に説明を受けた方が早いだろう、と」


 クラリスの問いかけを受けて、アクアが一つ首を振る。それにクラリスもまた一つ頷いた。


「妥当な判断、かもしれんな。と言っても何かが私達に出来るわけではないが」

「? それは当然では?」


 起きているのは一見するとシステムのトラブルだ。幾ら高度な教育を受けていようと、その専門知識が無ければシステムトラブルには対応出来ない。それが学内のネットワークや授業を配信する配信システムともなれば、尚更だ。故のアリシアの問いかけに対して、クラリスは苦い顔で首を振る。


「いや、そうじゃないんだ……今、このアトラス学院に大規模なハッキングが仕掛けられていてな」

「ハッキング?」


 当然の事であるが、この現代においてネットワークに繋がっていない機器はよほどの軍事に関わる物か、ネットワークに繋がりたくないという意志を持つ者の所有物だけだ。

 教育機関ではアトラス学院に関わらずほぼ全ての学校がネットワークに接続されており、ハッキングを仕掛ける事は不可能ではない。それが高度な研究施設を備えるアトラス学院なら、殊更狙われやすかった。

 なのでこういう事は時折起きていたが、ここまで被害が出るのは長年学院にいるアリシアからすれば、到底信じられない事であった。一度も経験した事が無かったからだ。


「ですが、お姉さま。アトラス学院はハッキングには確か……」

「すまん。言葉に誤りがあった……ハッキングではないな。クラッキングだ」

「クラッキング?」


 クラッキング。それはハッキングの様に情報を盗み取る事を目的としているのではなく、データを破壊・改ざんする事を目的とした行為の事だ。

 こうなるともはや学院の歴史上起きた事があったか、というレベルだったらしい。アリシアの顔は盛大に訝しげだった。そしてそれはクラリスも一緒だった。


「ああ、お前の顔はよく分かる。が、事実は事実としてそうらしくてな。防壁も何もお構いなしに破壊されているらしい」

「そ、それはまた……高度なハッカー……いえ、クラッカー? が相手なのでしょうか」

「それはわからんさ。だが、現状からしてあまり良く無い状況らしい。今はまだ末端の配信システムがやられただけで、授業に支障が出る程度の被害しかないが……最悪は明日一日休みになるかも、とのことだ」

「つまりは?」


 やはりさすがのアリシアも今回のことは経験した事がなく、情報もほとんど無いに等しい。故にか何がどうなっているのかさっぱりだったらしい。


「どうやら手当り次第破壊しているらしくてな。最悪は授業のデータなども洗いざらい破壊されるかも、とのことだ」

「そ、それはまたなんとも……」


 確かにデータが無くなってしまえば授業も何もない。とはいえ、一応バックアップはあるとの事で、致命的な事態は避けられるとの事でまだクラリスも楽観的といえば楽観的ではあった。が、そのバックアップとて万全なものではない。それ故の、最初の苦笑でもあった。


「まぁ、そうなると、流石に今週一週間やった生徒会の仕事の大半はパーになるがな」

「……え、っと、お姉さま……それはつまり……」

「……生徒会の会報は一週間延期で良いぞ」

「「「そ、そんな……」」」


 今まで長い間頑張って作った会報が水の泡。言外にそう言われて、アリシア以下会報作りに注力していた女子三人ががっくりと膝を落とす。そして、それを告げる終末のラッパの音にも似たコール音が鳴り響いた。


「……はい。はい……わかりました。では、明日は臨時休校という事で。はい、はい……わかりました。生徒会・風紀委員で協力して各生徒に通達を出します」

「「「……」」」


 これで今までの苦労が水の泡か。三人は遠い目で、学院長からの通達を聞くクラリスを見る事になる。そうして、その日一日は流石に仕事も何もあったものではないので、アクアは伝達を終わらせるとカインに支えられる様にして寮室に帰還する事になるのだった。

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