第37話 二人の朝
聖都グランブルーにて火災が起きた翌日の朝。そんな事なぞつゆ知らずのカインは今日も今日とてアクアが目覚めるよりも前に目を覚ましていた。これは何時ものことだ。そして彼の目覚めに際して半眼となるのも、何時ものことである。
「……今日はまだマシか」
自分の頭に抱きつく様にして眠るアクアに対して、カインはそうため息を吐いた。何度と無く彼女を知る者からは言われていたが、彼女の寝相は大層悪い。彼が言った通り、今日の様に自身の頭を逆から肩車している程度ならまだ良い方だった。
時にはどういう寝方をすればこうなるのだ、と思えるぐらいミラクルも起きるとの事である。神様だから、人間や元人間の想像も及ばない事を時折しでかしてくれるのであった。
なお、それで彼も起きないのか、というとそうなる様に訓練したらしい。なので無意識的にアクアがやっているのだと理解すると意識から省く様にしているとの事であった。
「はぁ……とはいえ、今日も今日でミラクルな寝方を……」
「ん……」
っと、まずいな。カインはため息を吐いた所為で息が腹のあたりに当たってくすぐったいらしいアクアの可愛らしい寝息を聞いて、僅かに息を落とす。
下手に寝ぼけた状態で起こすと、時と場合によっては魔力による砲撃を行うのが彼女の悪癖の一つだ。それに困ってサイエンス・マジック社の事件に乗り出したのは、記憶に新しい。カインも矯正は諦めていた。だからこそ、根本的な原因の解決に務めたのだ。
「……」
にしても、これはどうしようか。カインは自らの頭を包み込む様にして眠るアクアに対して、どうするか考える。少し深呼吸するだけでアクアの甘い香りが鼻孔をくすぐる。それについては良いが、身動き一つ出来ないのは問題だろう。
(見られれば変態そのものだが……やはりズボン式にしておくべきだったか)
カインの眼の前に広がる光景は白のみ。アクアの肌は純白だし、今カインの眼の前にあるアクアの下着も白だ。故に、白しか目の前には広がっていない。
ワンピース型の寝巻きを彼女が好んだのでそれを着用させていたが、それ故に服の中に頭を突っ込んでいる格好のカインにはパンツが丸見えというわけであった。
なお、ワンピース型を決めた時にはカインも諸手を挙げた上に大絶賛で賛同していた。アクアの愛らしさが強調されたよく似合う物だったからだ。
まぁ、オーシャン社が雇っている専属の一流デザイナーが一から作り上げたオーダーメイドなので当然ではある。他にも彼女の私服のデザイニング等も行ってくれていた。
(仕方がない。あまり好きじゃないんだが……)
兎にも角にも今が何時か確認しない事には動きようがない。急ぐ必要があるのなら急ぐし、そうでないのならゆっくりと対応を考えるだけだ。
故にカインは腕を動かして拡張現実機能を作動させて、アクアのワンピース型寝間着の内側に時間を表示させる。拡張現実が好きではない彼であるが、こういう事が起きた場合には大切だと考えているし、重宝していた。
(何時もよりかなり早いな。流石にオレも寝苦しかったか)
時刻は朝の五時少し。カインが何時も起きる時間より一時間早かった。目覚まし時計は彼女と一緒に寝る時は基本は使わない。代わりに体内時計に仕掛けた魔術で起きられる。そっちの方が面倒だからだ。
なお、アクアは遅くとも七時半に起きれば十分に間に合う。最悪は八時でも大丈夫だ。寮は校内なので移動に時間がかからず、生徒会の仕事さえなければ始業ギリギリでも問題はないからだ。まぁ、その場合彼女の朝はカインが完全にされるがままになる。が、カイン側も満足げなので問題はない。
「ん……」
少しだけ、カインはアクアの拘束から逃れられるか試す様に頭を動かしてみる。それに合わせて、アクアも動いた。簡単には外れないらしい。
「はぁ……」
「ん……」
どうするか。ため息しか出ない現状にカインがため息を吐けば、それに反応してアクアが可愛らしい嬌声を上げる。少しイタズラして起こしてやろうかと思わないでもないが、面倒になる可能性を考えてやめておく。
「……」
ぐりぐり。とりえずカインは頭をよじってなんとか脱出せんと試みる。
「もごっ!?」
が、失敗したらしい。お腹に髪が当たってくすぐったかったのか、逆にカインは頭を更に強く抱きかかえられる事になる。
「ん~~~?」
頭を抱きかかえられたカインであるが、これはこれで何かしっくりこないらしい。アクアはカインの頭を微調整する様に、更に上に持っていく。そうして小さくも確かにある双丘の真ん中にまで移動させられるが、これにもやはり彼女は不満らしい。
(そりゃそうだろ!)
不満げなアクアに対して、カインは内申で声を荒げ当然だと思うしかない。今彼女が何が気に入らないのかというと、服が引っかかっているからだ。引っ張られる感覚があるのである。
「ん……ん」
そんなアクアであるが、どうやら服をたくし上げる事で解決したらしい。が、カインの現状は変わらない。というのも、彼女は魔力を器用に操って服をたくし上げたからだ。つまり、どうあっても彼の頭を離すつもりはないらしい。
「……」
どうしよう。カインはついに身じろぎ一つ出来なくなった自身の状況に、遂にため息さえ吐けなくなる。今ため息を吐けば、確実にアクアは反応するからだ。
何故か。彼女は寝る時にブラはしない派だからだ。というより、多分少し口を開ければそれだけで彼女の胸に直接吸い付く格好になるだろう。
いや、吸い付かないだけでもうキスはしている。ブラをしていないので十分にアウトである。後数センチどちらかにずれるだけで危険域だ。
(吸った事が無いとは言わん! 吸いたくないとも言わん! なんだったらここら一帯は全部吸った事があるとも断言しよう! だがここ数日のアクア様の状況を鑑みると流石にまずい!)
女神とはいえ現在のアクアは精神がかなり普通の少女寄りになってしまっている。人間社会に溶け込む為にどうしても精神的にも人間に近づける必要があり、肉体面はさておいて精神は普通の少女のそれと大差がないのだ。
なのでこの姿となってからは何時もよりカインとイチャイチャしたい欲求なるものが暴走する事が多かった。何より、この姿を日常的に取る様になったのはカインとイチャイチャ出来るからだ。カインがアクアに尽くす様に、アクアもカインとイチャイチャしたいのである。
無論、それでも元来の視点が失われているわけではない。とまぁ、それはさておいても。つまりどういう事かというと、こういうことであった。
(最近のアクア様は非常に欲求不満! 今これに気付くと確実にしょうがないですね。カインも男の子ですもんね、とかニコニコ笑いながら絶対に迫ってくる! 考えろ! 流石に今日は駄目だ! 生徒会の朝礼がある!)
おそらく、カインは今まで生きてきた中で一番思考を巡らせていただろう。なにせ今まではこんな事が起きてもその時はその時、もしくは彼も喜んで応じるので別に良かった。が、流石に生徒会の朝礼がある今日応じてあげるわけにはいかない。ただでさえ今日は何時もより早いのに、輪をかけて早いのだ。
朝一番からシャワーを浴びて朝食を食べて、としている時間はアクアの起床時間を考えた時、どう考えても無いからだ。間違いなく遅刻する。それはまずい。
何より、朝一番の彼女はまだ色々と眠っている。生徒会の事どころか下手をするとアトラス学院の事も完全に失念している可能性さえあるのが、彼女の朝一番だ。そして案外押しの強いアクアである。押し切られる可能性は非常に高かった。
(どうする……)
必死で、カインは解決策を考える。こういう時だけは、自身が一人である事が嘆かわしかった。誰かが居てくれれば彼女を引き剥がしてくれる事も出来る。が、居ない以上は自分ひとりでなんとかするしかない。
(……良し)
どうやら、カインはどうするか決めたらしい。意を決した彼は先程から自分の頬を挟み込む柔らかな感触に対して、意識的に感覚を閉じる。流石に彼とて男だ。美少女の双丘に挟まれて男としての意識をなんとか出来る事はない。
(体内時計セット。良し)
意識を閉じて、カインは後は天に身を任せる事にする。現状、何が出来るかというと何も出来ない。後は祈るだけだ。
が、祈ろうにもその祈る相手は現代ではアクアしかいないのが、悲しい所であった。そしてその彼女はカインに対してウェルカム状態である。願いが叶えられる場合は、自身の願いに反して襲われる場合である。
(……頼むから、何も起きないでくれよ……)
祈る様に、カインは目を閉じる。どうせ何か出来る事はない。何かしようとすればその時点でアクアを起こしかねず、その場合は後は二択だ。
周囲が崩壊するか、自身がアクアに襲われるか。それしかない。前者なら事態が起きるより前に飛び起きる事になるし、後者なら襲われて起きる事になる。
なら、もう後は眠るだけであった。なので一時間後に自分が目を覚まして運良くアクアの胸に吸い付いていない事を祈るしかないのである。そうして、カインは一時間後の自身の目覚めに掛ける事にして、意識をオフにするのだった。
さて、それから一時間後。カインは体内にセットした魔術によって目を覚ます事になる。無論、目の前に広がるのはアクアの双丘だ。が、状況は幸いな事に好転していた。
(……助かった……)
どうやら一時間の間に拘束が僅かに緩んでいたらしい。もぞもぞと動けばなんとか脱出出来そうだった。というわけで、カインはアクアの双丘の間で身を捩る。
「ん……」
やはり所々で色々と当たってくすぐったいのだろう。アクアが可愛らしい嬌声を上げる。カインはそれを無視して、ゆっくりと彼女の拘束から脱出する事に成功した。
が、それだけでは駄目だ。なのでベッドから落下していた彼女愛用の抱きまくらを回収すると、手持ち無沙汰で寝にくいらしいアクアへと少し強引に押し付けた。
まぁ、とどのつまり彼女はカインの事を自身の抱きまくらと勘違いしていた様子であった。確かにそれでも間違いではないが、間違いではある。
「ふぅ……なんとか脱出出来た……」
ぎゅっと抱きまくらに抱きついたアクアを見ながら、カインは僅かな苦笑を浮かべる。何時も何時もこの寝相には苦しめられるが、この愛らしい寝顔を見られるのはその対価としては十分にお釣りが来る。そう思っていた。とはいえ、長々と見ていられるわけではない。
「さて、そろそろ朝食の用意をするか」
兎にも角にもアクアが起きる前に朝食の用意をせねばならない。カインの本職は従者だ。彼女の世話をする事が生きがいなのだ。というわけで彼はベッドから下りて軽く燕尾服に着替えると、紅茶の用意を整える。
「ふぅ……」
朝はこれに限る。現在は日本に居るが、幼少期には英国で過ごしたからだろう。朝は紅茶というのがカインの常だった。
立場を最大限に活用して最高級の茶葉を購入し、ミルクにもわざわざオーシャン社が牧場ごと買い上げた厳選した物を使っているらしい。
そうして一息入れた後。彼は緩めていたネクタイをしっかりと締めて身だしなみを取り繕うと、エレベータに乗り込んだ。向かう先は寮のエレベータホールだ。
「あら、カインさん。おはようございます」
「ああ、エアルさん。おはようございます」
「はい、今日の新聞です」
「ありがとうございます」
どうやら丁度エアルが寮の前を掃除ていた所だったらしい。朝の挨拶を交わし合うと、寮に届いていた新聞をカインへと渡してくれる。この拡張現実が全盛期の時代でも、紙の新聞は無くなっていない。カインの様な好き者が居るからだ。
無論、もう殆ど読んでいる者は居ない。全人口の1%程度だろう。そちらの方が安上がりだからだ。だが、印刷技術の維持を重要視して採算性度外視で特別に刷っている所はまだ幾つかあった。そういう所は得てして伝統的な所なので、情報も信用出来た。
「ふむ……」
部屋に戻ったカインは足を組んで、新聞を読み始める。一面はどうやら、昨夜聖都で起きた火事だった。やはり安全面についてもかなり進んだこの時代だ。あれだけ派手な火事が起きたというのは、そこそこのニュースに成り得た様だ。
「事故ね……まぁ、聖都とはいえ古い地域だと違法建築もあるか……」
この時、カインは特に気にする事もなくそういう事件があったのだ、程度で流していた。そしてそれで良かった。それに何より、朝一番でオーシャン社の各部署に細かな指示を与える必要もあるからだ。そしてそんな事をしていると、あっという間にアクアが起きてきた。
「うにゅ……」
「アクア様。おはようございます」
「おはようございましゅ……」
「おっと」
朝が弱いのは白鯨の姿でも少女の姿でも変わらないアクアの癖だ。真面目に起きるとすると、この間の様に何かを企んでいる時だけである。
それを知るカインは自らに倒れ込んできた彼女を抱きとめる。そうして、彼はこの日も朝の支度をして、揃って学院に向かう事にするのだった。
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